7 優しい人(※対:幻獣)

 ひどい怪我……。

 どうして隠そうとするのだろう。『治してほしい』って、言ってくれればいいのに。

 痛々しい指をこれ以上見ていられなくて、私はそっと両手で覆った。


「《ペタルーダ様の祝福を》」


 祝福の光を見るのは好きだ。優しい色の光は、心まで温かくしてくれるような気がするから。

 クラトスの指が元の色に――ほっそりとしたものへと戻っていく。

 それと同時に、私の頭の中で1つの光景が弾けた。

 ……それは、クラトスの記憶だった。


 ◆ ◇ ◆


「クラトス! どうしたんだよ、こいつら!」


 ディルベルがぎょっとして告げる。

 連れ帰った幻獣は10匹。皆、衰弱しきっていた。

 人間の居住地で捕らえられていた幻獣たちだ。彼らは檻の中で飼われていた。何をされていたのかまではわからない。


「魔力が尽きかけている……これ以上は持たねえぞ!?」


 そんなことはわかっている。

 僕には彼らを治療する力はない。できるのは自分の魔力を注ぎこんで、彼らの命をつなぎとめることだけ。

 後は、彼らの自然治癒力に任せるしかない。

 ……どうか助かって。

 そう祈りながら、僕は自分の魔力を彼らに注いだ。


 ◇


「クラトス! お前はよくやった……もういいだろ。諦めろよ。もう3日もずっと、魔力を注ぎっぱなしじゃねえか」


 ディルベルの声で、僕は我に返った。

 ……意識が飛びかけていた。

 慌ててベッドを見渡すと、まだ大丈夫だ。彼らには息がある。

 ここで諦めるわけにはいかない。


「おい! もうやめとけって! こいつらは助からねえよ。このままだとお前がぶっ倒れる」


 うるさい。

 僕はディルベルをつかんで、外へと放り出した。

 歩く時、平衡感覚がつかめずに、体がふらつく。でも、ここで意識を手放すわけにはいかない。


 ◇


 ――5日目。

 頭が朦朧としている。自分が今、どこにいて、何をしているのかわからない。


 ……………………。

 ………………………………。


 だめだ、油断すると眠ってしまう。

 寝そうになる度に、肌をつねり、爪で突き刺して、痛みで意識を引き戻してきたけど、それももう限界だ。

 ……僕が寝たら、この子たちは死んでしまう。


 それだけはできなかった。

 左手の指をつかむ。

 そして、思い切り折った。

 激痛が全身を巡って、意識が浮上する。

 大丈夫……まだ……まだ起きていられる。

 その時、外から声が聞こえた。


「【幻光の樹海】! 【カルポロス】が助けを求める声! ハンターが来た!」


 ……こんな時に。

 でも、どんな幻獣だって見殺しにすることはできない。

 僕は弱っている幻獣たちに、多めの魔力を注ぎこむ。これで少しの間はもつはず……。


「ディルベル。【幻光の樹海】にゲートを開け」


 その場を離れようとすると、目眩に襲われた。

 ……ここで倒れるわけにはいかないんだ。

 もう1本の指を折って、痛みで意識を保つ。


 ◆ ◇ ◆


 私はハッとして、顔を上げた。

 今の光景は……。

 そうか。そういうことだったんだ。

 この指は自分で……。でも、それは幻獣を助けるために。

 クラトスは私や他の人間には横暴だし、冷酷だ。でも、幻獣にはとても優しい。

 自分がどうなろうと、あの子たちは助けてあげたかったんだね。


 不思議な人。

 そう思った時、私は気付いた。

 クラトスが上体を起こして、私の顔を見上げている。

 うわ、思ったよりも距離が近かった!

 この人、無駄に見た目がいいんだよなあ。

 冷たい眼差し、優しさの欠片もない表情。でも、今は記憶の中で彼の優しさに触れてしまったからか。こうして顔を見ていると、少しだけ胸がドキドキした。

 ――目を離せなかった。


「……名前」

「え……?」

「君の名前。聞いてない」

「いや、さっき名乗りましたけど?」


 クラトスは憮然とした様子で、くり返した。


「聞いてない」


 私はがっくりと肩を落とす。

 あー。そうですよねえ! あなた、さっきまで失神寸前の眠気と格闘している最中でしたもんね! そりゃ私みたいに口うるさい女の話なんて、一片たりとも耳に入っていませんでしたよねえ!?

 むっと眉を寄せてから……でも、仕方ないなあ、という気持ちになって。

 私は笑った。


「エリン・アズナヴェール。今度はちゃんと聞いて。忘れないでよね」

「――エリン」


 その瞬間。

 クラトスはふわりとほほ笑んだ。

 え……わ、笑った……!?

 でも、それは幻なのかと思うくらい、一瞬だった。

 すぐに目蓋が閉じられて、彼の体が揺らめく。そして、私の膝に倒れこんできた。


「えー、ちょっと、どうしたの!? もしかして、まだ具合悪いとこ、あった!?」

「いや、これは」


 ディルベルは骨しかない口腔を開いて、「カッカッカッ」と豪快に笑った。


「寝落ちだな!」

「ええ!?」


 ちょっとこんなところで!?


「ディルベル……? この状況、どうしたらいい?」

「寝かせておいてやってくれよ」

「うー……それはそうだけど。でも、ここ廊下だし。こんなとこで寝たら寒いよ」

「それもそうだな。じゃあ、送ってやる」


 ディルベルが言った直後、私の下で闇が展開する。その中に私とクラトスの体は沈んでいった。

 視界がぐにゃりと歪む。

 あ、この感覚。空間転移だ……!

 次の瞬間、私は部屋の中にいた。談話室のような場所だ。暖炉とソファが置いてある。


 ソファに私は腰かけていた。隣にはクラトス。その頭は私の膝の上に乗ったまま。

 あ、この状況は変わらないんですね……。


「悪ぃが、一緒に送ることしかできなかった。邪魔だったらそいつ、自分でどかしてくれ」


 ディルベルが飛んで来て、暖炉の上に座る。

 ゆっくりとどかせば大丈夫かな?

 そう思って、私は視線を下ろした。

 何て穏やかな寝顔だ。

 ハンターを射貫く冷酷な目、私に向ける冷たい面差しからは、想像もつかない。

 それに私はさっき、この人の記憶を覗いてしまった。幻獣を助けるために、ずっと頑張ってきた姿。それが脳裏から離れない。


 仕方ないか。

 その寝顔に気を抜かれて、私はふふっと笑った。

 ――クラトスが何としてでも助けたかった幻獣たち。

 助けてあげられてよかった。

 ゆっくり休んでね。おやすみなさい。




 陽ざしが目蓋に突き刺さり、目が覚めた。

 あ、私も寝ちゃってたんだ。

 目をこすり、体を伸ばす。

 下へと視線を向けると、ちょうどクラトスも目覚めたところのようだった。

 ばっちりと目が合って、何だか気まずい。


「ええっと、おはよう」

「……君」


 クラトスがぼんやりとした顔で体を起こす。

 ソファに隣り合って座る形だ。そのまま彼は私の顔をじっと覗きこんだ。

 ちょ、ちょっと。距離が近いんですけど……。

 もしかして、寝ぼけてます!?

 ぽやーっとした顔で私を眺めてから、クラトスは納得したように離れた。


「ああ……エリンか」

「え、エリンだけど……」


 ようやく私の名前を覚えてくれたんですね……。

 クラトスは自分の左手を見る。


「治ってる」

「うん。治したよ」


 静かな視線で、彼は私を見る。

 う、じっと見られると恥ずかしいんだけど。

 すると、クラトスはハッとして、


「あの子たちは……!?」


 ソファから宙に浮かび上がると、すぐに部屋を飛び出して行った。

 私もその後を追いかける。

 治療室では、幻獣たちが起き上がっていた。皆、元気そうだ。

 私が部屋に入ると、1匹の幻獣が飛びついてきた。


「わ……っ」


 私はその子を掌で受けとめる。

 ふわふわとした毛に覆われた、小さな幻獣だ。

 リス?  いや、うさぎ?

 全身が水色と白でふわふわ。もふっとした毛並みのせいか、全体的に丸みを帯びて見える。尻尾なんて特にふわふわしてて、くるんと弧を描いている。

 耳は長い。目はクリクリ。顔はうさぎに近い。

 その子が私にふわふわとした尻尾をすりつけてくる。

 もっふもふ! くすぐったい! 可愛い!


「ふふ……もう。どうしたの?」

「【スキュフラート】だ。君にお礼を言いたいみたい」


 室内を見渡すと、他の幻獣たちも私のことをじっと見つめていた。中にはぺこりとおじぎをしたり、嬉しそうに体を揺らしたりしている子たちもいる。

 言葉はわからないけど、何となく気持ちは伝わった。

 クラトスの言う通り、「ありがとう」って言ってるみたいだ。

 じんと心が温かくなる。


「エリン」


 クラトスが静かに告げる。


「……君のおかげで助かった」


 その横顔は冷静だ。

 この人、今日も無愛想だな。

 そんな風に言ってくれるなら、せめて昨日みたいに、ちょっとは笑ってくれると嬉しいんだけどなあ。

 ……なんて。

 そう思うのはきっと贅沢だよね。


「ありがとう」


 だって、その一言を言ってもらえるだけでも、心が温かい気持ちに包まれて、幸せになれるから。

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