3 幻獣ハンター

 私は急いでその場を離れた。ドキドキと跳ねる心臓と、そわそわと緊張を帯びる体。

 正直言って、怖かった。

 さっきこの子の記憶を覗いたからわかる。この子は誰かから逃げていた。その『こわいひと』っていうのは、まだ近くにいるはず……。


「きゅぅ……」


 《ライムどり》が不安そうに頬をすりつけてくる。

 私は下を向いて、へへっと笑った。

 本当は怖くて仕方なかったけど。

 追いかけられて、怪我をさせられたこの子の方がもっと怖かったと思うから。少しでもこの子が安心できるように、へらへらと笑ってみせた。


「大丈夫だよ。私が『こわいひと』なんていないところまで、連れて行ってあげるからね」

「ぅきゅ……?」


 無垢な瞳で見つめられると、心が痛くなる。

 こんなに可愛い幻獣ちゃんをいじめる人がいるなんて。許せない。

 湧き上がってきた義憤と、なけなしの空元気を集めて、私は森の中を進んだ。


 ――その時。


 頭上で何かが弾ける音がした。


「きゃっ」


 私はとっさに《ライムどり》を抱えこんで、身をかがめる。肩と頭に何かの破片が降り注いできた。


「ちっ、外したな」


 背後から低い声が響く。

 悪意を煮詰めたような声音に、私の背筋は凍った。

 パラパラと振り落ちてきたのは、削れた樹皮だ。私の頭上で突然、爆破したのだ。

 私は《ライムどり》を上着の中に庇いながら、振り返った。

 薄闇の中、男が立っている。手には短い棒のような物を掲げていた。


 こいつが《ライムどり》を怪我させた……『こわいひと』!


「きゅぅう~……」


 男の背後から、弱々しい声が上がった。

 そちらに視線を向けて、私は絶句した。

 彼はもう片方の手で紐を握りしめている。その紐は網へとつながっていた。網の中には大量の幻獣が捕らえられていたのだ。


 どれも《ライムどり》に似ているけど、果物の種類が異なっている。

 リンゴみたいな姿の子も、バナナのような子も、梨のような子もいる。

 共通しているのは、その子たちには羽が生えていて――そして、血と泥にまみれていた。


「てめえら、うるせえぞ!」


 男は乱暴に網を引っ張る。地面にこすれて、幻獣たちが痛そうな声を上げる。


「やめて! 痛がってるじゃない!」


 私が叫ぶと、そいつはこちらを向いて、にやりと笑った。持っていた棒を振るう。すると、棒の先端から、光が現れて、鞭のようになった。


「きゅぅ!」


 《ライムどり》が私のお腹を押す。私はよろめいて、背中を木にぶつけた。

 刹那、私の頭上すれすれにその鞭が叩きつけられた。幹が切断されて、後ろ側へと倒れこむ。

 嘘……何これ。アイツが持っている武器は何?

 あんなの見たことがない。軽く振っただけで、木が折れた。

 光の鞭はうねりながら彼の手元へと戻る。そして、パッと消えて、持ち手の棒部分だけが残った。


「女、次は当てるぞ」


 男はこの状況を楽しんでいるのか、上機嫌な声で言う。

 私は情けないことに、声も出なかった。腰が抜けて、その場に座りこむ。

 どうしよう……。

 私はペタルーダ様の加護を受けていて、癒しの力を使える。でも、それだけだ。祈りで怪我や病気を治せる。あと、治療した時に“見える”だけ。

 結界を張ったり、聖なる力でバリバリ~っと悪党に鉄槌をくだしたりなんてことはできないのだ。

 つまり、戦闘能力は皆無。


「てめえが持っている【カルポロス】をこっちに寄こしな。ライムの形をしたやつだ」


 怖い……。

 でも、私の上着の中で、《ライムどり》が縮こまっているのがわかる。私は《ライムどり》を服の上から抱きしめ、男を見据えた。


「この子たちを……どうするの?」

「売り払うに決まってんだろ。愛玩にも使えねえような薄気味悪い見た目だし、能力も大したことねえ、雑魚幻獣だがな。幻獣ってだけで、高く売れるんだぜ」


 あんまりな言いように、私はぎゅっと唇を噛む。

 何言ってんの、こいつ。

 私は戦えないし、弱い。それでも、こんな風に薄笑いを浮かべながら、幻獣を傷付け、まるで彼らが商品であるかのように話す男に……この子を渡すことなんて、できるわけがない!


「嫌! あんたなんかには渡さない!」


 男はねっとりとした顔で笑った。嗜虐的な笑みだ。

 これ見よがしに、棒を振っている。


「へ、気丈な女は好きだぜ。ちょうどいい。てめえも捕まえて、売り飛ばしてやろうじゃねえか」


 内心では泣きたい気持ちだったけど、こんな奴の前で泣くのなんか嫌だったから、私は唇を引き結んで、男を睨みつけた。

 そいつがこちらに一歩を踏み出した――その時。

 ざ……。

 風の流れが、変わった。まるで辺りの温度が急激に下がったかのような、異様な空気。

 私だけじゃなくて、その男も、《ライムどり》も、色とりどりの《フルーツどり》ちゃんたちも。皆一斉に息を呑んだ。


「――幻獣ハンターか」


 第三者の声。

 耳にしただけで凍りつきそうなほどに、冷酷な声だった。

 上からだ。私はそちらに視線を向ける。

 重なり合った枝葉の隙間から、月が覗いている。不思議な光源が森全体を照らしているから、夜空はぼやけて、神秘的な雰囲気をかもし出していた。

 月を背に立つようにして人影が、浮かんでいた。


 え、空を飛んでる――!?


 心臓がきゅっと縮まったけど、悲鳴は上げなかった。

 いや、声が出なかったのだ。怖いという感情はすぐに、別の感情に呑みこまれていた。

 だって、その光景がすごく綺麗だったから。

 私はこんな状況にも関わらず、見とれてしまったのだ。

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