その言葉に意味を足したい

泡沫 希生

その表情から感情を見出したい

 街灯が薄く照らす裏道を歩いていく。表通りならばこの時間帯でも明るいけれど、この道を通った方が家に早く帰れる。十二月に入り、空気がめっきり冷えてきた気がする。もう冬だ。

 僕が図書館の自習室で勉強していたら、いつの間にか日が暮れ閉館時間になっていた。でも、それほど集中できたということだと思うので、ここは素直に自分を褒めたい。

 高校が終わった後、家の最寄りのバス停ではなく二つ前の市立図書館前で降り、そこで勉強してから歩いて帰る。それが試験前のお決まりのパターンだった。

 学校の教室でも勉強はできるものの、なんというか、クラスメイトがいるところで勉強するのは嫌だった。


 ふと、背後で何かが落ちたような鈍い音がした。振り返れば、そこには靴が片方落ちている。

 学校の下駄箱で見かけるような黒いローファー。落ちた衝撃のせいか一部がへこんだその靴は、さっきまではなかったはずだ。

 すぐ後ろに落ちたということは、もし、僕の歩みが一歩遅かったら、僕の頭に当たっていたに違いない。無事ではすまなかっただろう。

 そう考えるとひやっとする。たまたま危機を回避できた幸運に感謝する。勉強を頑張ったご褒美かもしれない。

 それにしても、この靴はどこから落ちてきたのか。位置的に考えられるのは、近くにある四階建ての古びたビルだった。しかし、ビルはどの階も明かりがついておらず、誰もいないようだ。

 そこで僕は気がついた。ビルの屋上のフェンス、その近くに誰かいる。と思った瞬間、屋上がピカッと強い光で包まれ、光が止むと人影は消えていた。

 しばらく眺めてみても、もう一度光るような気配はない。さっき見た人影も光も見間違いだったのだろうか。でも、試しに目を閉じるとまぶたには先ほどの閃光が焼き付いている。やはり確かに見たのだ。

 古びたビルの外階段は屋上までつながっているように見える。入口は鎖で閉じられているだけで、くぐれば簡単に侵入できそうだった。

 迷った末、リュックを背負いなおしてから、僕は落ちていた靴を拾った。そのまま、ビルに近づいて鎖をくぐり階段を上りはじめる。怖い目に合ったばかりだというのに、先ほど見たものが何だったのか気になる思いがどんな考えよりも勝ってしまった。

 階段を上りきって屋上に着くと、そこには、

 

「えっ?」


 血まみれの男の人が倒れていた。腹から流れ出た血が、男の人のスーツを染め上げている。その体は動かない、死んでいるのか。鼻につく鉄の匂いがこれは現実だと告げているかのようだった。

 コツンと靴音がして、僕は顔をあげた。思わず息を呑む。死体を挟んだ向こう側に見知った顔がいたからだ。

 彼女が着ているセーラ服のリボンがさらりと揺れる。長い黒髪は相変わらず艷やかで、黒目がちの瞳は真っ直ぐ射抜くようにこちらを見つめている。白い肌をした顔はなかなか整っていて、改めて美人だと思った。

 彼女は靴を片方しか履いていない。僕の手の中にある靴と同じ、なんてことない普通のローファー。

 彼女は首をほんの少し傾げてから、いつもどおりの無表情かつ平坦な声でこう言った。


「こんばんは、松下くん」


 それは、凄惨なこの場に似つかわしくない普通の挨拶だった。






 彼女、空井かなたは転校生だった。夏休み明けに僕のクラスに加わった。

 空井さんは美人なこともあり、最初は興味を持って話しかけるクラスメイトが多かった。でも、それも最初の一週間だけだった。

 無機質な人。その言葉が彼女には一番似合うと思う。

 質問をすれば答えてくれるし、あちらから質問をしてくれることもある。クラスメイトと顔を合わせれば挨拶もしてくれるし、近くで物を落とせば拾ってもくれる。

 でも、そこに感情は一つも込められていないようだった。顔も声も感情をぴくりとも示さない。休み時間、窓から外を眺める彼女の姿は、まさしく彫像のように見える。

 クラスメイトたちは、そんな彼女を避けるようになっていった。何を考えているかわからない、つまらない、そんな評価がくだされたようだ。

 一方で、そんな彼女のことが僕は段々気になっていった。

 自分と似ていると思ったのだ。

 僕はそんなに面白い人間じゃない。流行りの音楽にもアニメにも興味がなくて、人と話すのが苦手で。勉強くらいしか取り柄がない。

 友達と話すために、流行りのものを調べるのが普通なんだと思う。でもしない。興味のない話でもそれに合わせて作り笑いを浮かべる。それさえもできない。それが僕だった。

 そのせいで、僕もクラスメイトから距離を取られている。僕は感情がないわけではないけれど、他人からすれば僕もまた、ある意味でつまらない人間なのだ。

 そんな僕と彼女はどこか似ているのではないか。だから、互いに周りから避けられているのではないか。いつからか僕はそう思うようになっていた。

 けれど、彼女に声を掛ける勇気も僕にはなかった。学校で彼女と視線が合うたびに、逃げるように目をそらしている。


 そのため、これが空井さんと初めて言葉を交わす機会になる。でも、まさかこんな状況で話すことになるなんて。

 空井さんは、挨拶をしてから僕を数秒眺めた。それから死体を見下ろす。彼女の表情はやはり動かない。もしかして、僕にしか死体が見えていないのではないかと思うほど、彼女は眉一つ動かさない。

 彼女がおもむろに片手を上げたかと思うと、その手に突然何かが現れた。銃口らしきものがあるけれど、銃とは違う気もする、よくわからない機械だった。死体に、彼女はその機械を向ける。

 すると、男の人も血も跡形もなく消えた。薄汚れた屋上の床だけが、何事もなかったように広がっている。

 頭が追いつかない。いったい、さっきから何が起こっているのか。

 不意に、彼女は僕に近づいてきた。どんどん近づいてくる。

 彼女の手の中にある機械が目に入る。さっき見た光景が頭の中に浮かぶ。まさか、僕もあんな風に消されるのか。痛いのだろうか。僕は目を固く閉じた。そして、




「……?」


 何も起きない。僕はちゃんと存在できているみたいだった。恐る恐る目を開けると、空井さんは僕の目の前で立ち止まっている。

 彼女は僕が拾ったローファーを見ているようだった。僕が差し出してみると、彼女はそれを受け取る。


「拾ってくれてありがとう。攻撃を避けたときに落としてしまったの」


 彼女はローファーを履いた。感触を確かめてから、もう一度僕を見てくる。


「大丈夫、あなたを殺したりはしないわ」


 それはつまり、彼女があの男の人を殺したということだけれど、彼女の声からは緊張の欠片もうかがえない。


「見てしまったあなたには、私の秘密を知る権利がある。私はね、あなたたちの言葉で言う、宇宙人なの」


 彼女は何でもないように「宇宙人」という言葉を口にした。


「この星には祖星の命令で来たの。は、人間の男に擬態していたけれど敵対している星の者で、同じように命令があって殺した。それを、あなたに見られてしまった」


 彼女はすらすら話を進めていく。相変わらず何の感情も読み取れない。まるで彼女自身ではない誰かの話をしているみたいだった。

 僕は反応を返すことができない。逃げることもできない。どうやら、人間は信じがたいことばかり起きると、頭が追いつかず何もできなくなるらしい。ただただ、彼女の話を聞き続ける。


「学校に通っているのも命令よ。祖星からの命令の中には、人間の友達を作れというものもある。私にはまだ友達はいないけれど。でも、あなたは、他のクラスメイトと違って、私に興味があるように思っていた。あなたなら、私と友達になれるのかもしれないと」


 空井さんは、銃のような機械を示してみせる。


「私と友達になってほしい。なかなか話す機会がなかったけれど、あなたが私の秘密を知った今が好機。あなたが断るなら、あなたから秘密に関する記憶を消して、この話はおしまいにする。大丈夫、あなた自身のことを消したりしない。この機械は消したい対象を選べるから」


 彼女は僕の答えを待つためだろう、そこまで話すと押し黙った。

 元々勉強で疲れていた僕の脳が、彼女の言葉を処理するのにかなりの時間がかかった。

 彼女が宇宙人だというのは本当だろう。僕は目の前で信じられないことが起きるのを見たし、何より彼女の人間離れした感情のなさは、彼女が宇宙人というならばむしろ納得できる。

 それに、無機質な彼女が冗談を言うとも思えない。きっと、全部本当のことなのだ。


 同時に僕は思った。僕ならば友達になれると考えたということは、僕が空井さんを気になったように、彼女も僕のことが気になったからではないのか。人間らしい感情がない宇宙人の彼女は、そのことに気づけていないだけじゃないのか。

 命令とは関係なく君は僕と友達になりたいのだと、彼女の言葉に意味をつけ足した。僕たちは互いに互いのことが気になっていたのだと、そう思いたかったから。

 脳をどうにか動かして、気の良い答え方を考える。しかし、疲れた脳が出せたのはありきたりの言葉だった。


「僕で良ければ友達になるよ」


 彼女は二回まばたきをしてから、


「ありがとう」


 淡々と答えた。



 こうして、僕と彼女の不思議な関係が始まった。学校で一緒にいるようにしたら、それこそ、周りから何か噂されそうだったので、人気がないこのビルで待ち合わせ、そこで話したり、どこか近場に行ったりするようになった。これを友達というのか、本音を言えば僕にもよくわからないのが悲しいところだ。


 相変わらず、一つも感情を動かさない君が僕のことをどう思っているのかは全くわからない。

 だから、いつの間にか、彼女の感情をどうにかして引き出せないか、そんなことを僕は試みるようになっていた。こんな話をしたら驚かないか、穴場のカフェにあるあのスイーツを食べさせたら笑わないか。

 結局、空井さんから彼女の星の話を聞かされて驚くのは僕だったし、カフェで久々に好物を食べて喜ぶのも僕なんだけれど。

 それでも、いつか、いつかはと思っている。

 今日も、トントンと僕は屋上に続く階段を上がっていく。いつも、彼女は古びたビルの屋上で先に待っている。そして、僕が来ると、平坦な声でまずこう言うのだ。


「来てくれてありがとう。松下くん」






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