■14
そうして迎えた週末。
私も鏑木先生も出身校は同じだったので、一般学部のキャンパス前で集合と決めていた。
国立東都総合大学。都内ながら広大な敷地を持つそのキャンパスには、休日だというのに大勢の学生が出入りしている。
そんな中で浮いてはいないだろうかと思いながら、待ち合わせの正門前でこそこそしていると――
「よう、お待たせ、天川先生」
陽気な声とともに、背広姿の鏑木先生が駅の方から駆け寄ってきた。
「あ、おはようございます……」
目立たないように小声で挨拶を返す私。すると鏑木先生は怪訝な顔をしてそんな私をじろじろ見つめ、首を傾げる。
「天川先生。……その格好は」
「え、いや、普段着ですけど……背広とかの方がよかったでしょうか」
今日の私の格好は、Tシャツとジーンズの上にクリーム色のダッフルコートというもの。
大学前で待ち合わせということもあったので、なんとなくだが大学生に怪しまれないようにと思ってのことだったのだが……
「…………いや、まあ別に堅苦しい相手でもないし、それでもいいんだが。うん、人の服のセンスをとやかく言うのもハラスメントだしな」
「どういう意味ですか」
「気にしないでくれ。……さ、時間も惜しいしとっとと歩くぞ」
私の追及を無視して、苦笑いを浮かべながら歩き始める鏑木先生。えらく納得がいかなかったが、とはいえ仕方なしに私も彼の後をついていく。
最初は心配していたが、よくよく考えると大学の構内なんてものは学生だけでなくいろんな人たちがうろついているもの。私たちは特段浮いているということもなく、奇異の目で見られるようなこともなかった。
歩きながら、鏑木先生に向かって小声で尋ねる。
「あの、先生の同級生の人って……いきなり押しかけちゃっても大丈夫なんですか?」
「ん、ああ。一応ざっくりと話だけは通してあるから。心配すんな。向こうもこの話に興味持ってたし、歓迎してくれるだろうさ」
「なら、いいんですが」
そう言いつつ頷く私に、鏑木先生は「それより」と続ける。
「気になってたんだけどよ、あれから君の方は……霊障とかはなさそうか」
「れいしょう?」
「肩が重いとか、原因不明の怪我をしたとか、いきなり運が悪くなったとか。そういうやつ」
「あぁ……別に、なんともないですけど」
そう答えた後で、私はその質問の意図を吟味する。なぜ急にそんなことを?
「……もしかして先生、何かあったんですか?」
ひょっとしたら彼の身に何かよくないことが起こったのかもしれない。そう思って慌てて問う私だったが、彼は苦笑混じりに首を横に振った。
「別に、俺も特に何もない。精々腕の傷がまだ痛むくらいだ」
「そう、ですか。なら良かった……いや、腕のことは良くないですけど」
ひとまず胸をなでおろした後、私は鏑木先生を見返す。
「でも、じゃあなんで急にそんなことを?」
「いや、どうなのかなって思ってさ。もしも本当に……何か呪いとか、幽霊とか、そういうもんの仕業でクトウさんがあんなことになったんだとしたら、犬山さんが入院してきたことも無関係とは思えない。彼女が入院してきたのと同時に出始めた、他の患者さんの妙な症状も――ひょっとしたらそれが原因なのかも」
「……そうなってくると、患者さんと深く関わっている医者にだって何かしらの影響があるのかも――っていうことですか」
「理解が早くて助かるね」
ドラマの探偵みたいな気取った表情を浮かべてそう言う鏑木先生。
いくらなんでも何もかもを繋げすぎではないか、と言いたくなったが、とはいえ否定できる材料はなかった。
微妙な表情を浮かべる私を横目で見つつ、鏑木先生は「けど」と肩をすくめる。
「俺らは少なくとも、なんともなさそうだな。だとしたら何で無事なのかってことだが」
「……その推論が外れているっていうだけでは」
「そこで考察を止めちまったら身も蓋もないだろうが」
――と、そんなことをあぁでもない、こうでもないと話しているうちに、鏑木先生が「お」と声を発して立ち止まる。
「ここだ、ここ」
キャンパス内にはいくつかの研究棟があり、その中に各学部や学科の部屋が入っている。
中には新設された学科などもあり、そういった建物は後になって増築された「新館」と呼ばれる棟に入っているが――一方で昔からある学科の場合は、改修や改築もロクにされていない古い建物をそのまま使っていることが多い。
目の前にあるのは通称「旧館」と呼ばれる、年季の入ったコンクリート製の研究棟。
表に設置されたプレートには中に入っている学部・学科の一覧が記載されており、「文化人類・民俗学科」という表記も確かにあった。
玄関を入ると、そこはいくつか古い革のソファが置かれた談話スペースを兼ねているようだった。
とはいえ人の気配は乏しく、外とは違って全然学生たちの喧騒も聞こえない。
そんな中――たった一人だけソファに腰掛けていた人物が、鏑木先生を見て立ち上がった。
「やぁ、鏑木。こっちだこっち」
丸い眼鏡にぼさぼさの頭をした、ひょろりと背の高い男。親しげに声をかけてきた彼に、鏑木先生もまた手を軽く挙げて返す。
「悪い、わざわざここで待っててくれたのか」
「ここ来るの久しぶりだろうし、忘れてると思ってね」
そう言う眼鏡の男に笑いかけた後、鏑木先生は彼を手で示して紹介してくれた。
「こちらが東総大の民俗学教室のエース、助教の
こちらも紹介を受けた後、私は頭を下げて手を差し出す。
「よろしくお願いします、戸草先生」
「こちらこそ、よろしくお願いします。天川先生」
軽く握手した後、戸草先生は挨拶もそこそこに切り出した。
「鏑木から話は聞いています。僕でどの程度お役に立てるかは分かりませんが……教室のほうでじっくりとお話を伺えれば」
――。
戸草先生に案内されて通されたのは、二階にある民俗学科の教室だった。
応接間のソファに対面で座っていると、学科の学生さんと思しき若い女の子がお茶を出してくれた。
それに軽く口をつけていると、早速とばかりに切り出してきたのは戸草先生の方からだった。
「ええと、知りたいのは『くとりぎさま』という民間伝承について――ということで、よろしかったですね」
単刀直入なその言葉に、私と鏑木先生は揃って頷く。すると戸草先生は手元に置かれた分厚いファイルを開いて、淡々とした口調で話を始めた。
「くとりぎさま、という言葉については僕も恥ずかしながら聞いたことはなかったので、至急東北の民話や伝承などをあたる形でしらみつぶしに調べてみたんですが――とりあえずいくつか、古いフィールドワークの記録に気になる話を見つけました」
まずそう前置いて彼がファイルから取り出したのは、昭和後期頃に書かれたらしい論文のコピーだった。
「東北の民間信仰についての論文でしてね。この中で、『お狗様紐』という組紐飾りに関する記載がありました」
「おくさまひも……これのこと、ですね」
そう言ってポケットにしまっていたそれを出して見せると、戸草先生は深く頷いた。
「それはY県の内陸部、山間のごく狭い地域で見られるもので――『くとりぎさま』という神様に連れていかれないよう、その紐を編んで門に吊るしておくんだそうです」
戸草先生の話した内容は、クトウさんの娘さんが告げた話とよく似ていた。だが一点、聞き覚えのない点がある。
「神様?」
くとりぎさま、というのが神様だというのは、初耳だった。
そんな私の疑問も織り込み済みなのだろう。戸草先生は頷くと、
「くとりぎさまについても、この論文では触れておりまして。室町時代の文献に、その名前が残っているそうです」
そう言って彼がファイルから取り出したのは、何やら古い文献のコピーだろうか。昔のものらしい筆致で描かれた、一枚の絵巻だった。
おどろおどろしい絵だ。大きな木の根本、手足がなく血まみれになった男――血のせいか顔は真っ赤で、天狗のような長い鼻をした奇怪な顔立ちだ――が苦悶の表情を浮かべて転がっている様子。さらにはその周りを、恐ろしい顔をした犬が取り囲んでいる。
そしてその絵に添えるようにして、筆で書き込まれた文字。
そこには確かにこう書かれていた。
――「くとりぎ」と。
「くとりぎ……」
思わず呟いた私に、戸草先生が頷く。
「『義兼記』――当時の奥州探題、つまりは東北の統治を任されていた一門である大崎家の当主、大崎義兼によって書かれた文献であると言われております。内容としては、奥州の統治状況を幕府に報告するための定期報告書をまとめて編纂したようなものですね」
「室町時代か。そりゃあずいぶんと由緒正しいものだな」
「探すのには苦労しましたよ、つくづく」
苦笑を浮かべながらそう言うと、戸草先生はさらに話を続けた。
「この書物によれば、当時東北の山奥にはとある呪術集団が住んでいたそうでして。彼らは応仁の乱でも室町幕府に直々に雇われるほどの実力者たちだったのですが――いつしかその力を悪用するようになっていった。呪術を使うことで周辺の集落を襲う、山賊のような集団へと変化していったのだそうです」
言いながら、彼は束ねられた資料の別のページをめくる。そこに現れた図版を見て、私は思わず呻いていた。
描かれていたのは……恐らくは死体。だが、ただの死体ではない。
それは針のように尖った木の枝に腹を貫かれ……地面に真っ赤な血の池を作りながら苦悶の表情を浮かべているというグロテスクな絵面だったのだ。
その木の周りでは、白装束に加えて頭に――鹿の角だろうか。奇妙な装飾をつけた人々が踊っている。彼らは皆、絵でも分かるくらいに満面の笑顔を浮かべていた。
「何だ、こりゃあ」
若干顔をしかめながらそう訊ねる鏑木先生に、戸草先生は頷いて続ける。
「その呪術集団によって襲われた村の様子だそうだ。彼らはこんな風にして人々を殺して回り、富を得ていたらしい」
絵巻に書き込まれた文字の部分を指差してそう語る戸草先生に、鏑木先生は左腕をかきながら首をひねる。
「……なるほどね。それでそんな残虐非道な呪術集団が今回の話にどう関係するんだ」
「まあ、落ち着けって。すぐに本題に入るから。……そんなふうに増長し、山賊化した呪術集団を当然室町幕府としても放置するわけにはいかなかった。なにせ一度は自分たちで雇ったこともある者たち。その実力はよく理解していたからこそ――彼らを放置しておくことの恐ろしさを理解していたのかもしれません。
ともあれそんな思惑のもと、奥州探題であった大崎家は彼らを討伐するために兵を送り込みました。いくら強力な呪術集団といえど、いきなり山ほどの武士に攻め込まれては打つ手もなかったのでしょう。この呪術集団は女子供も問わず全員が処刑され、そして彼らの長であった
書かれている文章によれば、『手足を犬に喰わせ、動けなくなった後で生きたまま山奥に埋めた』と……そうあります」
戸草先生の語った内容に、私は思わず顔をしかめながら絵巻に視線を落とす。
手足を喰われ、断面からおびただしい鮮血を撒き散らし。その苦痛ゆえかくわっと目を剥いて天を睨みつけている男。この人物がその話に伝えられる「軽能子」という呪術師なのだろう。
目を背けたくなるような絵であるが、同時にどうしてか、視線をそらすことができない。そんな私を一瞥しながら、戸草先生はさらに続けた。
「で、ここからがいよいよ本題なのですが――結論から言うと、この呪術師は処刑された程度では終わらなかった。彼は死の間際にこう言い残したそうです。『くとりぎとなってまた舞い戻り、お前たちをねぎりにする』と」
「ねぎり……」
その言葉も、聞き覚えがある。確かクトウさんが言っていたのと、犬山さんも最初の診察でそんなことを言っていたような。
「ねぎりというのは、恐らく『根切り』でしょう。色々な意味はありますが、この文脈で考えるならば『根絶やし』とか『皆殺し』がニュアンスとして近いかもしれません」
「物騒な話だな、そりゃあ」
苦い顔で呟く鏑木先生に、戸草先生も頷く。
「その上、生前の彼は悪名高い呪術師だった。だからこそ、人々は軽能子の再来を畏れた――彼を『くとりぎさま』と呼び、その怨霊を鎮めるために社を建てて祀ることにしたのだと、この文献にはそう書かれていました」
説明をひととおり終えると、戸草先生はすっかり冷めていたお茶をすする。
そんな彼の発言を反芻しながら、私はある点にひっかかっていた。
「祟り神として、お社を建てて祀った? でも、それなら……くとりぎさまは封印されているってことですよね?」
それならば、その祟り神とやらがクトウさんや犬山さんに害を及ぼすというのは理屈が通らないのではないか。
そんな私の疑問に、答えたのは隣の鏑木先生だった。
「ああ、そうだな。もしもちゃんとその封印とやらが、残ってれば」
「……どういうことですか?」
要領を得ない私に、鏑木先生は深刻げな顔をしてこう続ける。
「例の無差別殺人事件の犯人のことを思い出してくれ。あいつは、例の『供借山』で起こった不審火に巻き込まれて火傷を負って入院した――ニュースなんかではそう報道されてる。それでな、気になってその山火事についても、何かニュースなり記事なりがないか調べてみたんだ。
……『狗見神社』。山火事で全焼したっていう神社が、ひょっとしたらくとりぎさまを鎮めるためのお社だったんじゃあないのか」
鏑木先生の指摘に……戸草先生は静かに頷く。
「可能性は、ありうるとは思います。実地で直接調査したわけでもないので、断言はできませんが――地理上は周囲にそれらしい神社は存在しませんから」
そんな二人の会話を受けて、私は眉間にしわを寄せる。
「でも、だったら……封印していた神社がなくなってしまって、『くとりぎさま』が出てきてしまったっていうことなら。どうやってそれを鎮めればいいんですか?」
もともと神社まで建てて出て来ないようにしていたものを、そんなことには門外漢の精神科医が二人集まったところでどうすることができようか。
そんな私の問いかけに、戸草先生は難しい表情を浮かべる。
「それは、ごもっともです。今の段階で率直に言うならば、封じるのは難しいと言わざるを得ないでしょう。……ですが、手がないわけではないと思います」
「どういうことですか?」
にじり寄る私に、彼が指さしたのは私が握ったままだったお狗様紐だった。
「先ほども言った通り、そのお狗様紐にはくとりぎさまを遠ざける力があると信じられていたようです。実際、貴方は今のところ――くとりぎさまによる何らかの影響を受けてはいないということですよね」
「ええ……まあ」
立て続けにいろいろなことが起こったことで精神的に参ってきてはいるものの、とはいえ直接的な被害は今のところ出てはいない。
それに――私は彼の言葉で思い出したことがあった。
「……私の患者さんでも一人、このお狗様紐をもらっていた人がいて。その人も、確かに無事でした」
ムロノヤマさん。彼は保護室近くの病室に最初からいたにも関わらず、ヤナカさんとは違い奇妙な幻聴や幻視に襲われることなく過ごせていた。
ムロノヤマさんがこのお守りの力で守られていたのだとすれば、納得のいく話だった。
「だとしたらきっと、そのお守りはくとりぎさまに対して一定の効果を持っているはずです。決して手放さないようにしていて下さい」
「俺の方は、どうしたらいいんだ?」
「そうだな……本当は同じものを持っていれば一番だと思うけど、作り方も分からないからな。ちょっと待っててくれ」
そう言って戸草先生は立ち上がって、何やら別室でごそごそと探した後――一枚の木札のようなものを手に持って戻ってきた。
びっしりと朱の墨で模様や文字が描かれた、御札のようなものだった。
「悪いものを寄せ付けないためのお守り、だそうだ。実はうちの教授が、こういったことには僕より詳しくてな――その教授が置いていったんだ」
「教授? ……そういや見たことないな、ここの教授先生」
ぽつりと呟いた鏑木先生に、戸草先生は苦笑を浮かべる。
「いつも色んなところを旅して回っててね。教室に戻ってくるのなんて年に数回ってとこだよ」
「そりゃあまた、奔放なこって」
肩をすくめる鏑木先生に、戸草先生は改めてその木札を差し出した。
「でも、間違いなくプロフェッショナルだから――こいつを持っていれば少しは何かの役に立つかもしれない」
「分かった。ありがたくもらっておくよ」
鏑木先生が受け取って背広のポケットにしまったのを確認すると、戸草先生はさらに続けてこう話す。
「僕の方は、その間にくとりぎさまについてもう少し詳しいことを調べてみます。それと――一応うちの教授にも連絡をとっておこうかと」
「ぜひ、お願いします」
餅は餅屋というやつだ。医者だって自分の専門外の病気に関しては専門家の指示を仰ぐのだ。任せられるなら任せるに越したことはない。
「もっとも、うちの院長先生次第ではあるけどな――いや、考えても仕方ねえか。頼むぜ、戸草先生」
「ああ、分かった」
頭を下げる鏑木先生に、しっかりと戸草先生は頷き返して。
それから私たちを順に見て、神妙な顔で続ける。
「とはいえくれぐれ、お気をつけて下さい。本当に人を呪い殺せてしまうほどの『何か』であるとすれば、お守りだけでどこまで防げるかは分かりませんから」
……その言葉を受けて、私は無意識にお狗様紐を握りしめていた。
クトウさんが遺してくれた、現状ただひとつの希望となりうるそれを。
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