■12

「失礼します」

 面談室のドアをノックして中に入ると、そこにいたのは還暦ほどの温厚そうな夫婦。

 クトウさんの入院時に付き添ってくれた、彼女の娘夫婦だった。

 入ってきた私を見ると、立ち上がって深々と頭を下げる二人。私もまた礼を返して、机を挟んだ向かいに着席する。

 そんな私を見て、娘さんの方が開口一番こう切り出した。

「院長先生や警察の方から、お電話で伺いました。お母さんが、とんだことを……本当にご迷惑をおかけしました」

 そう言ってまた頭を下げる娘さんに、私は「そんな」と首を横に振る。

「我々にも、ご本人の管理を徹底できなかった部分はあります。お顔を上げて下さい」

「はい……でも、見つけて頂けて本当に良かったです。そのまま道路にでも出て車にでも轢かれてたら……もう」

 不安げに呟く娘さん。隣の旦那さんはそんな彼女の肩をさすりながら、彼女に代わって私に尋ねる。

「それで、先生。どのような様子だったのか、教えて頂いてもよろしいでしょうか」

「はい。それをお話しするために、本日はご足労頂きましたから」

 頷くと、私は昨晩のことを包み隠さず話す。

 夜になってクトウさんがいないことに気付いたこと。そこから探しに出て、彼女が病院周囲の林の中にいたこと。

 そして――クトウさんが為した凶行についても。

 監視カメラの件については混乱させてしまうと考え伏せつつも、ひととおりのことを話し終えると、さすがに二人とも言葉を喪っている様子だった。

 ……無理もないことだろう。事前に警察などから伝えられていたとはいえ、あくまでかいつまんだ説明だったはず。

 詳細に聞かされれば、このような反応になるのも無理からぬことだろう。そう思いながら、私はクトウさんの病状についても言葉を添える。

「……入院してからの経過は、良好でした。昨日の夜までは、いつも機嫌も良さそうで――ですので、どうして急に症状が悪化したのかはまだはっきりとお答えできないというのが正直なところです」

 白状する私に、娘さんはしばらく沈黙を挟んだ後でこう切り出してきた。

「あの、先生……ひとつ伺っても、よろしいでしょうか」

「ええ、何でも」

「母は――その、こうなる前に何か、変なことを言ってはいませんでしたか?」

 それは、家族がこの状況において第一にする質問としては、はいささか奇妙なもののようにも思えた。

「変なこと、ですか? それは……何か思い当たることが?」

 探るように尋ね返す私に、娘さんもまたやや困惑げな表情を浮かべながら「ええと」と続ける。

「実は、数日ほど前に母と面会したんですけど。その時に――これをいきなり渡してきて」

 そう言って彼女がごそごそと鞄から取り出したものを見て、私は目をみはる。

 それはクトウさんが作っていたあの組紐、「おくさまひも」だったからだ。

「それは……」

「『お狗様紐』っていって、母の地元で伝統的に作られているものだそうです。私もあんまり詳しくは知らないんですけど――なんでも魔除けとして家の戸に吊るしたりしておくんだそうで」

 そう語ったあと、ためらいがちに娘さんはさらにこう続けた。

「昔はよく作っていたらしいんですが、地元を離れてからはこんなの全然作っていなかったんです。それが急に、私に手渡してきて……『くとりぎさまが、おむかえにきた。あたしはもうだめだ』って、怖い顔して言ってたから」

「くとりぎ、さま……」

 その言葉を聞いて、私の中で繋がるものがあった。

 そうだ、昨日犬山さんが発していた言葉。そして過去の番組映像でも彼女が呟いていた――それはクトウさんから聞いた言葉だった。

 だが、クトウさんと犬山さんの間に関わりは一切ないはず。犬山さんの出生地は埼玉で、クトウさんは確か東北のどこかだったと記憶している。

 その不一致に疑問を懐きながらも、私は娘さんに打ち明けることにした。

「くとりぎさま、っていうのは、私もクトウさんがおっしゃっているのを聞きました。それに……その組紐も。同じものを、私もクトウさんに頂いていて」

 そう言って私がポケットから組紐を取り出すと、娘さんはやや驚いた後――どうしてか妙に納得したような表情を浮かべていた。

「そうですか、先生にも、それを……。じゃあやっぱり、お母さんは宿られちゃったんだ」

 後半の方は、私に言うというよりは独白に近い。彼女が何を納得しているのかも分からないまま、私が唖然としていると――その時のことだった。

 病棟内から、面談室まで響き渡るほどの大絶叫が聞こえてきたのは。

「何……!?」

 思わず声を上げながら、私はとっさに虫の知らせのようなものを感じて席を立つ。

「すみません、ちょっと失礼します!」

 ご家族を面談室に置いて、駆けつけた先は保護室のある一角。今の声は――この方角から聞こえていた。

 だとしたら。言いしれぬ悪い予感が胃の奥からこみ上げてくるのを感じながら、私は同じく集まっていた他の看護師とともにクトウさんの部屋へと飛び込む。

 すると――

「……え?」

 そこにあったものに。

 そこにあった光景に、私は……いや、私だけでなく、その場にいたすべての人間が絶句していた。

 状況を、理解できなかったのだ。

 なぜなら。

 床にはさっきまでこの部屋でクトウさんを診てくれていた鏑木先生と夜勤リーダーの看護師とが苦悶の表情を浮かべながら倒れていて。


 そして、部屋の中央のベッドの上。


ベルトで拘束された両手両足を置き去りにして、四肢が引きちぎられた状態で天を仰ぐクトウさんの姿が――そこには、あった。


 手足の断面からは、不思議なことに出血は一切ない。まるで……それこそ老木の枝を折ったかのような土色の断面と、木くずのような茶色い鱗片がベッド上に散らばっているだけで。

 けれど確認などせずとも、誰の目にも明らかだった。


 クトウさんは――すでに死んでいると。


「嘘、でしょう。何、これは……」

 目の前のそれを受け入れられず、呆然と呟く私。

 クトウさんの顔は、見たこともないくらいに目を剥いていて、口元には鮮血が付着している。

 最初はクトウさん自身のものかと思ったが――違うとすぐに分かった。

 倒れている鏑木先生の左の二の腕あたりが、歯型状に真っ赤な血で染まっていたからだ。

 看護師たちの悲鳴が聞こえる中、私は何も考えられないまま立ち尽くしていて。

 その時、足音とともに誰かが保護室へとやってきた。

 クトウさんの、娘夫婦だった。

 彼女はこの状況を見るなり、目を見開いて――それからあの組紐を数珠のように手にひっかけてより合わせながら、その場で膝をつく。


「ああ、やっぱり……! くとりぎさまだ、くとりぎさまが、連れていってしまったんだ! うあぁ、あぁぁぁぁ……っ!」


 そんな彼女の叫びは、もはや決定的にこの状況を意味づけてしまった。

 こんなことは……こんな死に方は普通では、ありえないことだと。


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