第11話

 数年前、世界遺産のヨーロッパの古城の煙突に、子猫が挟まってしまう事故が起きた。

 猫を助けよう!地元のレスキュー隊が立ち上がり、その救出劇は世界中に生中継された。

 すると、その猫を引き取りたい、保護したいという申し出が各国から殺到したという。

 その子猫が別に特別可愛かったわけでもない、毛にこびりついた黒い煤のせいもあるかもしれないが、やせっぽちのどっちかと言えばブサイクな猫だった。

 それなのに彼らはこぞってその子猫を欲しがった。

 飼い主を求めている保護猫はそこにもここにもいくらでも溢れるくらいいるっていうのに、あの人たちはそれに目もやらずあの猫子猫が欲しいんだ。その理由は簡単に想像がつく。ニュースで有名になったからだ。そのことに一番価値があるんだ。

 子猫そのものじゃない、もしあの子猫が無名のただその辺にいる薄汚れた野良猫だったら、彼らは引き取るどころか魚の骨すら恵んでやることはないのかもしれない。

 不幸だったはずのアクシデントによって一躍セレブ猫となった。そのことが痩せたブサイクな子猫の価値を一気に吊り上げたのだ。

 だったら、人間は?ニュースになった俺はどうなんだろう。

 あのトイレの赤ちゃんを引き取りたいとかいう希望は殺到したのかな、両親はニュースで見て俺のことを欲しがったのかな。それとも引き取りては他に誰一人たりとていなかったから、消去法で決まったのかな。

 まぁ両親の第一希望が自分ではなくてこっちが消去法で引き取られたという可能性もあるが。

 第一人間は育てるのに猫の比じゃないくらい多額の金がかかる、でも猫と違って成長してからリターンの可能性もある。逆にマイナスの可能性も。

 件の猫は結局ハリウッドのチャリティ女王で有名な女優のところへ貰われていって、彼女と一緒にファッション誌の表紙と巻頭グラビアを飾った。

 綺麗に毛並みを整えられて、上等そうな赤いリボンを結ばれて、けれど横にいる丸々太って悠然としたいかにも血統の良い猫たちと並ぶとどこかみすぼらしく居心地が悪そうで、やっぱりちょっとブサイクだった。

 人間だと、こんな風に一緒に雑誌に載ることは出来ない。

 そんなことをしていたら、両親は苛烈な批判を受けただろう。

 子供を売名の道具にしている、善行を施した気になって赤ん坊を見世物にしている性悪な偽善者などと罵詈雑言を浴びせられたかもしれない。

 だったらやはり、猫の方が断然お得なのだろうか。

 実際両親は便所に捨てられた子供を貰って我が子にするというこれぞ慈善家の鏡といった行動をしたというのに、いざことが明らかになったら世間に立派だと誉めそやされるどころか買い物にも行けないほどの好奇の目を向けられて、家の玄関の前で聞えよがしに嫌味を投げかけられている。彼らは何故かこんな目に合っているのだ。

 トイレに女性を無理やり連れ込もうとかいった悪いことをしたわけでもないのに。

 弟の希が暴れていたのも、自分のせいで学校でひどくからかわれたんだろう。

 別に、希が便所に産み捨てられたわけでもないのに。

 俺とは違って、本当に望まれて望まれて実の両親の希望を背負って生まれて来た子供なのに。

 あぁ、俺って意外と平凡じゃない生まれだったんだなぁ……

 うんこ扱いで便所に産み捨てられたのに流されもせずぴんぴんしてるとか、運がいいんだか悪いんだかわかりゃしねぇなぁ。

 こんなときに気持ちをわかって寄り添ってくれそうなゆずり葉は、もう側にはいない。

 電話番号は知っているが、携帯を持っていない洋平はこっそり子供部屋でかけられず仕事を休んでいる母の前で自宅の電話でというわけにもいかないだろう。ならば公衆電話にすればいいのだが、実際のところかけたところで何を言っていいやらちっとも分からない。

 明るい調子で軽く言い放てばよいのだろうか。しかし…

「久しぶり、ゆずり葉、俺実は便所で生まれたんだ。びっくりだよな、何かすげーだろ」

 唐突にそんなことを言われても、ゆずり葉だってどんな言葉を返していいのやらさっぱり分からないだろう。

 ならば、世間話を暫くしてからさり気なく切り出すか。

 それもまたふざけているようで、どうもいただけない気がする。

 では、どんな風に言えばいいのか。

 正解など分かるはずもない、便所生まれの人間なんて、自分以外誰一人として知りはしないのだし、便所で生まれた記憶も当の自分には全くないのだから。

 便所のことを話さずに声だけ聴いて、それとない問題ない範囲の世間話をするためにかけてみようかとも思うが、どんなに平静を装っても声の調子でゆずり葉には何かあったかバレてしまいそうな気もうする。自分は気持ちを隠す、そんな芝居が得意ではないと思う。何しろ、今の今までそんなことをする必要が全くなかったのだから。

 結局、電話は掛けることができないまま数日が過ぎた。

 あれから学校には一度も行っていない。

 保健室登校でもいいと担任から一度電話連絡は来たが、それは何か負けたような気がして嫌だった。

 洋平は学校へ行きたくないわけではないのだ。けれどクラスメイトが嫌がる。

 臭い臭いと鼻を摘まむ。

 しかし、暴力などを受けたわけではない。

 電話連絡の際に、いじめなどは一切ありませんと担任は母に説明した。

 だから、それを周知の事実として認めさせるために、学校は受け入れていますよ。こちらが拒否しているわけじゃありませんよということを世間に示すために、担任は保健室登校をさせてどうにかお茶を濁したいのだ。

 母はそんな事情を察してか、洋平に学校へ行けとは一度も言わず、代わりに別のことを提案してきた。

「洋ちゃん、しばらくの間、こっちが落ち着くまでのんたんと一緒に町田のおばあちゃんのところに行く?」

「いや、俺はいいよ。二人も行ったら世話が大変だし」

 町田には母の実家がある。祖父は既に他界しているが、祖母はまだまだ元気で矍鑠としている。とてもはきはきとしていて、この祖母と希はとても仲が良い。洋平とも関係が悪いわけではなく優しくしてもらっていたが、どこかよそよそしいお客さんのような態度をとられていて手伝いをしようとして茶碗を割ったり失敗しても一度も怒られたことが無く、そこに壁のような物を感じて少し苦手だったのだ。

 今となっては、本当に祖母にとって自分はお客さんだったのだなと理解できたが。


 疲れた声の母は、「何だか今年は夏休みがちょっと早く来ちゃったわね」とひきつった笑顔を作る。

 「あ、俺、ちょっと図書館行ってくるわ」

 母のそんな顔を見ていられず、洋平はふらりと外へと出た。

 あの顔は、自分が原因なのだ。自分を引き取らなければ、母はこんな目に合わずに済んだ。でも例え「自分のせいでごめんなさい」と謝ったところで、余計に辛い顔をさせるだけだろう。

 自分さえいなくなれば、この数日の間そんな思いが胸をよぎらなかったといえば嘘になる。

 けれど、急に煙のように消えていなくなる。そんなことができるはずはない。家出をしたところで、また新たな噂の的になるだけだ。何も悪くない両親が後ろ指さされることになってしまう。

 どうしようもない。非力な子供の自分には、この事態を収拾させる術などない。

 それが分かりきっているから、余計に母の顔を見ていられないのだ。

 洋平は、ふらふらと図書館への道を進んでいった。

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