第27話 ダミアン ― 不思議な生徒

あー、めんどくせーな。


今年は例年よりも授業数が増えた。希少属性魔法を使う新入生が二人も居て、個人レッスンの時間が増えたからだ。


しかも、一人は全属性という何百年かに一人の逸材。


学院長からのプレッシャーも凄まじく、俺は益々うんざりした気分になった。


生徒の一人はミシェルと言って光属性だが、学院に男漁りにでも来ているのかと怒鳴りつけたくなるほどの男好きだ。


せっかく可愛い容姿をしているのだから、黙っていればそれなりの男が近づいてくると思うが、如何せん行動が奇矯過ぎて誰も近づきたがらない。


俺の個人レッスンの時も隙あらば身体を擦り付けてこようとするので、最近俺は教壇の後ろから動かないようにしている。ミシェルには絶対に机から動かないように命令する。


「・・んもぅ、先生ったら照れちゃって」


ウィンクしながら言われた時は全身が脱力した。


この生徒は俺に魅了(チャーム)の魔法まで掛けようとした。


残念ながら俺には効かないが、一体学院に何をしに来ているんだ?


すると今度は手作りのクルミのケーキを持って来て、是非食べて欲しいと言う。


「俺は潔癖症の気があって、手作りのものは気持ち悪くて食べられないんだ」


「えーっ!?せっかく先生のために特別に作ったのにぃ。こんなことするの先生にだけなんだよ」


同じセリフをアラン王太子やクリスチャンに言っているのを聞いたことがあるが・・・。


とにかくミシェルに対しては残念な気持ちしかない。


せっかく希少属性の魔力を豊富に持っているのだから、真面目に取り組めば大きな成果が得られると思う。


才能の無駄遣いとはこういうことを言うんだな。もったいねー。


そして、全属性の魔法を使うオデットはその真逆だ。


ストイック過ぎるくらいの努力家で授業の時も熱心にノートを取りながら講義を聞き、寮でもきちんと復習や魔法の練習を欠かしていないのが分かる。


剣術や体術の教師は、彼女の脅威の身体能力について興奮して熱く語っていた。


更に早朝ものすごいスピードで走っている姿を目撃したという教師が何人もいる。


公爵令嬢が何故そこまで自分を鍛える必要があるのか理解に苦しむが、生徒としては申し分ない。聖女になりたいという言葉も酔狂ではないと信じられる。


徐々に魔法陣だけでなく他の属性の魔法も教えるようになった。複数の属性を組み合わせて使う応用を教えると、砂が水を吸い込むように知識を吸収する。


教えていてこんなに手ごたえがある生徒は初めてだ。もっと彼女との授業時間が欲しいとすら思うようになった。


元々魔法の専門的な訓練を受けていたようなので当然かもしれないが、正直既に俺を越えている気がする。


それほどの能力がありながら、彼女は貴族の令嬢とは思えない程謙虚で腰が低い。


ドレスや化粧などにうつつを抜かすより、本を読んでいる方が楽しいという変わり者だ。


俺は闇以外の全属性の魔法を持ち、天才的な魔術師と称賛を浴びたこともある。


だから、強い力を持つものが自分を律することの難しさは良く分かっている。


オデットの驕らない態度と克己心の強さに俺は感動を覚えた。


俺は他の属性は全て有しているが、闇属性の魔法だけは使い方が分からない。それを正直に告白して教えられないことを謝ると、オデットは笑顔で答える。


「そんなこと気にしないでください。他の属性全てを教えて頂けるなんて素晴らしいです」


俺は闇属性の魔法を彼女に教えられないのが悔しくて、学院の図書館で闇属性魔法の勉強を始めた。


ここで働き始めてから、生徒に教えるために図書館で勉強したのなんて初めてだ。


新しく勉強したことを翌日オデットに教えられると思ったら、楽しみで夜眠れなくなった。


生徒に教えるためにこんなに張り切った気持ちになるのも初めてだ。


オデットは俺が闇属性の魔法を多少は教えられると言うと、花が開くように顔を綻ばせた。


まずいな。なんだこの笑顔は。可愛すぎるだろう。けしからん。


内心の気持ちを出さないように冷静さを装って講義を始める。


「闇属性の魔法は人の精神や感情に直接影響するものだ。危険だから、禁忌とする考え方もある」


オデットは「そうですね。少し怖いイメージがあります」と頷きながらノートを取る。


「だが、危険なのは他の魔法も同じだ。使い手によって良くも悪くもなる。闇魔法は人の悪意を増幅することも出来るし、悪意を軽減することも出来る。苦しい思い出を緩和することも出来るんだ」


「悪意の増幅と軽減・・・」


オデットが思案気に呟いた。


「ああ、特に悪意を増幅させる魔法は闇魔法の中でも禁じられている。しかし、それ以外の悪意の軽減や苦しい感情の緩和については鬱病や心的外傷などの治療に使用することも認められている。まあ、使い手がほとんどいないのが問題だが・・」


俺が苦笑いすると、オデットが真剣な顔で考え込んでいる。


「自分の苦しい思いや醜い感情を緩和することも出来るんですか?」


真面目に聞かれて俺は驚いた。


彼女にも苦しい思いをした経験があるのだろうか?醜い感情を持ったことがあるのだろうか?


一瞬考えたが、そんなことあるはずない、と思い返す。


高位貴族に生まれ、何不自由なくヌクヌクと育ってきた恵まれた令嬢が何を言っているんだと腹が立ってきた。


しかも容姿に優れ、学力も身体能力もずば抜けている。全属性の魔法を持つ上に、王太子の婚約者だ。


一体何の悩みや苦しみがあるというのか?


貴族は皆同じだ。俺の心の奥底で囁く声がある。


俺は平民出身だ。


若い頃、俺は妹を襲った貴族のバカ息子を魔法で撃退したことがある。そのせいでバカ息子は腕に軽い怪我をした。


そのため俺は逮捕され、服役しなくてはいけなかった。神子召喚の時に俺を『当代一の魔術師』と煽ててチヤホヤしていた貴族どもは誰一人俺を庇ってはくれなかった。


俺は納得がいかなかった。俺が罪に問われるなら、バカ息子が妹を襲ったことも罪に問われるべきではないか?


しかし、奴が妹を襲ったことは不問にされたのだ。逆に俺の罪のせいで家族は肩身の狭い思いをし、多くの嫌がらせを受けた。


貴族の犯罪は罪には問われず、それに反撃した平民だけが罪に問われる不条理を経験し、俺は憤懣やるかたなかった。


俺は元々貴族嫌いだったが、この事件以来それに拍車がかかった。


しかし、魔法以外何の特技もない俺は、この学院での教師の職しか得ることが出来なかった。


皮肉なものだ。貴族嫌いの俺が貴族の子女を教育しているんだからな。


高慢で怠惰な生徒たちに対する憎悪と、こんなところでしか働けない自分に対する自己嫌悪で、俺の不満は深いところでぐつぐつと煮えたぎっていたんだと思う。


オデットは他の貴族とは違うと思ったが、結局同じ穴の貉だ!


心の奥底に沈む澱のような黒い自分がそう叫ぶ。


俺は貴族への憎しみが甦って来たのを感じて、オデットを睨みつけた。


オデットは俺の態度が突然変わったので戸惑った様子だ。


「お前のような恵まれた境遇の貴族に苦しみなんて分かるはずないだろう!」


怒鳴りつけるとオデットが傷ついた顔をした。


その姿にすら俺は苛立ちを感じた。


頭ではこれが八つ当たりだということは分かっていた。


しかし、心に潜んでいた黒い感情がどんどん膨れ上がり、コントロールできなくなっていく。憎しみと悪意が止まらない。


このままではまずい。オデットに酷い言葉を投げかけてしまうと俺は口を押さえて蹲った。


その瞬間、オデットが立ち上がって俺の背中を擦り始めた。


「余計なことをするな!」


そう怒鳴りつけたがオデットは怯まない。


「先生が辛そうなので・・」


一心に俺の背中を擦り続けるオデットの横顔を見ていたら、俺は何も言えなくなった。


彼女の表情は真剣そのもので口の中で何かを唱えているように見える。


俺は彼女の清廉な横顔に一瞬で心奪われた。


そして、気が付くと彼女の手の動きに合わせて俺の心の中にあった苛立ちや憎悪の感情が少しずつ浄化されているように感じた。


心にへばりついていたタールのような黒いベトベトの油が少しずつ取り除かれて軽くなっていくようだった。


何十年かぶりに心が晴れると言っても良い心境になり、俺は驚きを隠せなかった。


「君は・・・今何をしたんだ?」


呆然として尋ねるとオデットは考え込んだ。


「・・・分かりません。ただ・・・先生はきっと過去に辛い思いをなさったんじゃないかなと思ったんです。だから、辛い思いが少しでも軽くなりますようにってお祈りしていました」


なるほど・・・・。これが闇属性の魔法ということか・・・?


「・・・君は今、闇の魔法を使ったんだと思う。闇の魔法は精神から精神に伝わるものだと文献に書いてあった。俺の気持ちを慮って祈ることで、自然と俺の精神に魔法が届いたのだろう」


「・・そうなんですか?」


オデットの猫のような大きな瞳がまん丸になって、緑色の輝きが濃くなった気がした。


可愛いな、と言いかけて、教師としてあるまじき感情を抑え込む。


「ああ、俺は闇の魔法を使ったことがないから分からないが、俺の中にあった負の感情は確実に減った。君のおかげだ。ありがとう」


素直に礼を言った。


オデットは照れたように


「いえ、全然私なんてお役に立てていないと思いますが・・・。でも、もし本当に闇属性の魔法が使えていたなら嬉しいです」


「ただ、自分自身に使える魔法かどうかは分からない。試してみてもいいが、あまり効かない気がするな」


「そうですよね・・・」


彼女の横顔が痛々しいくらい切ない表情になった。


それを見て俺は自分が間違っていたことに気がついた。


この少女が辛い思いを抱いているのは本当なんだろう。


その苦しみを俺に話してみないか、と言いかけて、それも教師としては適切ではないと思い直す。


そして、この少女の苦しみを和らげる闇の魔法をどうして俺は使うことが出来ないのだろうかと、もどかしい気持ちになった。


この少女を支えてやりたいという、らしくない想いを自分の中に見つけて、俺は戸惑った。


知らない内に、俺の心はすっかり彼女に捕えられてしまったと自嘲する。


でも、悪い気持ちはしないな、と思った。

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