第23話 クリスチャン ― 一番になれなくて
学院の新学期が開始して、初めての土曜日。
僕はどうしてもベッドから起き上がることが出来なかった。
新入生の学力テストの結果を見てあまりに受け入れがたく、昨日は学校を無断欠席してしまった。
俺は両親からずっと一番になるよう言われてきた。一番以外は意味がないと。
だから、毎日努力を重ねてきた。正直僕より努力している人間はいないのではないかと思う。
毎日一流の家庭教師について長時間勉強したが、それだけではない。
両親のモットーは文武両道なので、『武』に当たる剣術でも僕は常にトップでいられるよう体も鍛えてきた。
武術に優れていると評判のアランでさえ僕には全く敵わないほどだ。
魔法は持って生まれた才能があるから、両親も魔法ではトップに立てとは言わなかった。
しかし、それ以外では全てにおいてトップに立てと厳命を受けていたんだ。
王太子がいる学年なのに僕は新入生代表の挨拶にも選ばれた。両親は僕を自慢に思って胸を張っていた。
だから、この調子で僕は3年間常に全てにおいてトップを走り続けていくものだと思っていた。
ところが、最初の新入生学力テストで僕は三位だったんだ!三位!
アランが僕より上に行くのは悔しいが理解できる。
彼には超一流の家庭教師が子供の頃から英才教育を施している。僕には敵わない部分だ。
しかし、何故一位があの悪評高い我儘令嬢のオデット・モローなのか?
何か不正があったとしか思えない。・・・きっとそうだ。月曜日に教師に説明を求めよう。
そんなことを考えていた頃、アランが学院寮の僕の部屋にやって来た。
「クリスチャン。大丈夫か?」
アランが心配そうに尋ねる。
「・・・ああ、昨日はみっともないところを見せてしまってすまない。もう大丈夫だ。あれは不正があったからだと思うんだ。だから月曜日にでも訂正してもらって・・・」
僕の言葉にアランの目が厳しくなった。
「お前はあれが不正だと思うのか?」
「いや。アランは優秀だし疑ってないよ。疑わしいのは一位のオデットだ。頭の悪い甘やかされた令嬢が僕やアランより上のはずがない」
アランは僕を憐れむように見ながら溜息をついた。
「オデットは俺なんかよりよっぽど優秀だ。お前も絶対に敵わないよ」
「・・・まさかっ!自分の婚約者だからって買いかぶっていないか?・・・僕が・・・この僕が絶対に負けるはずないんだ!」
アランは俺の顔をじっと見つめた。
「・・・やっぱりオデットは正しかったな。俺のやり方は間違っていた」
「何が・・・?」
僕は声が震えるのを止めることが出来ない。アランは何が言いたいんだ?
アランは立ち上がって
「服を着ろよ。そろそろ昼飯時だぞ。オデットが昼飯を作ってくれるって約束したの忘れたか?」
と言う。
・・・よりにもよって今一番会いたくない人物に・・と顔を歪めると、アランは
「お前は自分の小さな世界しか知らない。井の中の蛙なんだ。オデットと話して見ろよ。世界が変わるぞ」
と言う。
何を大袈裟なとバカにされている気分になるが、アランは引き下がるつもりはないらしい。
半ば無理矢理服を着替えさせられて、女子寮に向かった。
女子寮の受付で書類に色々サインした後、寮監にオデットの部屋に案内される。
オデットはエプロンをして迎えてくれた。
・・・可愛いなんて思わないぞ。
でも、いい匂いが部屋に立ち込めている。
さすが公爵令嬢だけあって個室も広く、キッチンがついている。
鍋でコトコト煮ているのは何だろう?食欲をそそる美味しそうな匂いが漂ってくる・・・。
朝から何も食べていないお腹がぐぐぅ―――っと鳴った。
オデットは
「お腹空いているのね?良かった。沢山作り過ぎたかも、って心配だったの」
と笑顔を見せる。
彼女の笑顔は殺人的に可愛い・・・と見惚れた瞬間に、アランが脇腹に強烈な突きを入れてきた。
くぅっ、と痛みを堪える。
オデットは僕達の攻防に気が付かないようで、鼻歌を歌いながらテーブルセットを始めた。
アランはリラックスした様子で
「すっげーいい匂いだけど。今日は何を作ったの?」
と訊く。
「あのね、スープは鯛とサフランのスープなの。トマトと香味野菜を山ほど入れてサフランで味付けしたスープに、小麦粉とスパイスをまぶしてカリカリに焼いた鯛を入れるのよ。メインはローストチキン。フィリングはスパイスを混ぜたバターライスよ」
「マジで美味そうじゃん!朝食抜いてきて正解だな!」
と笑顔を見せるアラン。こんな無防備に笑うアランは初めて見る。
「デザートはチーズケーキとチェリーパイよ」
と言うとアランが嬉しそうに破顔した。
僕も内心興奮してしまった。チェリーパイ・・・僕の大好物だ。
偶然だろうけど、嬉しい。
その後三人で昼食を楽しんだ。
どれも驚くほど美味で、全部オデットが作ったというのが信じられない。
スープは鯛の淡泊さにトマトの酸味が上手く調和して、サフランの香りが食欲を増進させる素晴らしい一品。ローストチキンは表面がカリっとしていて中身は噛むと肉汁が溢れだすほどジューシーだ。フィリングのバターライスは鳥の旨味を吸って最高の味付けになっている。
プロの料理人が作ったと言っても納得するレベルだ。夢中で食べてお代わりまでした。
本当に彼女が作ったのか?
確かにキッチンに立つ彼女の動きは滑らかで迷いがない。キッチンでの作業に慣れているようだ。
が、公爵令嬢がこんなに料理が上手い訳ないだろう?
・・・と言っても、初めは食事に夢中で疑問が湧いたのは食後のデザートを楽しんでいる最中だったが。
チェリーパイも絶品だ。これも買ってきたのではないかと疑ってレシピについて色々質問をしてみる。どれも完璧な答えが返って来るのが悔しい。
アランが僕を睨みつけた。
「オデット、クリスチャンは君が本当に料理を作ったのかどうか疑ってるんだ」
「私じゃなかったら誰が作るの?」
「公爵家から料理人を呼びつけたんじゃないのか?アランを騙すためなら何でもするんだろう?」
僕の言葉にオデットは少しだけ表情を変えたが、ニッコリと微笑んで僕に語り掛ける。
「学院寮は特別な許可を取らないと家族でも入れないことになっているわよね。記録を調べてもらったら公爵家から誰も来ていないって分かると思うけど・・・。じゃあ一緒に料理してみる?」
「それはいいな。俺も一緒にしたいな」
とアランが言い出す。
「寮の食堂も美味しいけど、たまには料理をしてみるといいわよ。二人の部屋にもキッチンはついているんでしょ?」
オデットの言葉に、アランは「おう、ちょっと自炊してみるかな」と言う。
オデットが手際良く食器や調理道具を洗い、アランが丁寧にそれを拭いて収納場所を聞きながら片付ける。
未来の国王が・・・?と思うが、二人ともそれが自然な様子で僕は呆気に取られたまま二人を眺めていた。
片付け終わった二人は夕食に何を作ろうか話し合っている。
なんか夫婦みたいで羨ましいな・・と考えて『いかんいかん。何を考えているんだ!』と首を振る。
二人は夕食のメニューをカレーに決めたらしい。
僕やアランでも作れるような初心者向けのメニューだそうだ。
最初に三人でジャガイモの皮をむくことにした。
オデットがナイフを持って剥き方を教えてくれる。びっくりするくらい薄く綺麗にスルスルと向けていくジャガイモの皮を見て、これくらいなら簡単そうだなと思った。
しかし実際に自分でやってみると、どうしてもうまくいかない。
アランも「もっと皮を薄く」と注意を受けている。
オデットはジャガイモを一つ剥くのに30秒もかからない。僕達は20分以上悪戦苦闘してようやく一個剥くことが出来た。しかも形がボコボコで実も大きく削れてしまった。
オデットはその後も僕が見ている前で手際よく材料を調理した。
コトコト音を立てる鍋を見ながら
「これであと1時間程煮込めば出来上がりよ。ご飯も炊くから二人とも持って帰って夕食に食べてね」
と言う。
僕はオデットを疑った自分が恥ずかしくなった。
それに料理している間にオデットの指は深窓の令嬢にしては多くのタコが出来ていることに気が付いた。
きっと努力して料理が出来るようになったんだろう。
僕は彼女に謝罪して、タコが出来るくらいまで料理の腕を磨いた努力を褒めた。
するとオデットは恥ずかしそうに
「・・あの、指のタコは料理じゃなくて剣術の訓練のせいなの」
と言う。
剣術!?と驚くと、アランが
「オデットは俺より強い。間違いなくクリスチャンより強いよ」
と言う。
「・・でも、僕はアランより強いから・・」
と言うとアランは気まずそうに俯いた。
オデットはアランに
「やっぱり本当のことを言うべきよ」
と言う。何の話だ?
「・・・悪い。俺は剣術でも何でもわざとお前に負けるようにしてたんだ」
というアランの言葉に俺の頭は真っ白になった。
「俺は以前オデットと闘ってあっという間に負けたんだ。俺は本気だったし、オデットは動きにくいドレスを着ていた。それでも1分もかからずに俺は地面に押さえつけられた。俺はオデットに負けてから、それまでの倍以上の時間を剣術と勉強に費やすようになった。・・練習量を増やしてからはお前に勝てると思ったことが何度もあったんだ・・・でも、お前は絶対に負けちゃいけないって必死だったから・・勝つのが申し訳ないような気持ちになって・・・」
アランの言葉に僕は怒りで全身が震えるのを止められない。
「そんな!わざと勝たせてもらったって嬉しいわけないじゃないか?!」
と怒鳴りつける。
「分かってる。本当に悪かった。オデットにもそう言われて、今回の学力テストでは本気を出したんだ。それでもオデットには敵わなかったけど・・・」
僕は体中の力が抜けてへなへなと椅子に座りこんだ。
「僕はまるでピエロじゃないか・・」
情けないが目の表面に涙の膜が出来るのを止められない。手の甲で目を擦る。
オデットが私の前に跪く。
「あの・・・ご両親に逆らうようで気が引けるんですが、一番になる必要ってありますか?自分が昨日できなかったことが今日出来るようになったらそれで充分じゃないですか?」
僕はオデットを見た。
「私が料理を習い始めたのは3歳の時でした。最初は包丁も上手く握れなくて、一個のジャガイモの皮を剥くのに1時間以上かかったんですよ。何度も指を切ったし、皮を剥いたらジャガイモの大きさが半分以下になっていたことが何度もありました。その度に叱られて次はもっと上手に剥こうって思ったんです」
オデットは両手を僕に見せる。良く見るとどちらの手にも小さな傷痕が沢山ついている。
令嬢らしくない手だな、と思っていると、オデットが頷いた。
「白魚のような手ではないですけど、私は自分の手を気に入っています。今私がどれだけ早くジャガイモの皮が剥けるか見たでしょう?昔出来なかったことを努力して今は出来るようになった。それが大切だと思うんです」
「でも、一番じゃなかったら誰も僕なんて見てくれない。父上も母上も一番じゃなくなった僕に興味を持たないだろう。僕の人生はおしまいだ」
情けなくべそをかく僕にオデットは優しく言った。
「人生って勝ったり負けたりの繰り返しですよね。ずっと一番で勝ち続けの人生なんてあり得ない。それに一番になれる人って一人だけなんですよ。分かってます?圧倒的多数のそれ以外の人達には人生がないんですか?」
僕はオデットを見つめる。もう涙がこぼれるのを止めることは出来なかった。
「世の中のほとんどの人は一番じゃなくてもちゃんと見てくれる人はいるし、愛してくれる人がいます。大切なのは少しずつ前に進むために努力を続けることなんです。比べるのは他人とではないんです。昨日の自分と今日の自分を比べるんです!」
オデットは拳を握り締めて熱弁をふるう。
その姿が可愛らしくて、つい噴き出してしまった。アランが泣き笑いの僕の肩に手を置いた。
「一番じゃなくなるのが怖いなんて病気ですよ。止めた方がいいです」
オデットがきっぱりと言い切る。
そっか・・・病気か・・・。
今度父上と母上に同じことを言ってみようかな。何て言うだろう。勘当されるかもしれないな・・。
でも、オデットとアランが居てくれたら、僕は僕のままでいられるような気がした。
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