第18話 リュカ ― 悪魔
父さんが犯した罪で逮捕されたあの日から俺の人生は180度変わってしまった。
あの日、床に這い蹲って泣き崩れていた俺の目に誰かの影が映った。
顔を上げると妖艶な美女が立っていた。好みじゃないが。
彼女は持っていた扇子で俺の顎をグイと持ち上げる。誰だ?
「・・・ふむ。見目麗しいの。天覧試合の時から気に入っておった。お前は妾(わらわ)が貰い受けよう。」
「・・・誰だ?」
「妾を知らぬか?まあ良い。妾は国王の姉じゃ」
・・・ああ、聞いたことがある。確かガルニエ伯爵夫人・・というか未亡人だったはず。
奔放な性格で、派手な遊び好きという評判だ。
俺は決して好きにはなれないタイプだが、こういう肉感的な女性が好きな男もいる。
学院の男子生徒で騒いでいた奴らもいたな・・と朧気に思い出した。
彼女から思いがけない条件を出されて俺は茫然とした。
彼女と結婚すれば、公爵家は無罪放免。俺と父さんの命も助けてくれるという。
ホントか?という疑問が顔に出ていたのだろう。彼女は苛立ったように
「国王は妾の言うなりじゃ。もしそうならなかったとしても、お前は処刑台に向かうだけの話であろう?」
と言う。
確かに・・・。俺にはもう失うものがない。この世で一番大切だったオデットを失った今、誰と結婚しようとどうでも良かった。
それで公爵家の安全が保証され、父さんの命が助かるのであれば俺の結婚なんて安いもんだ、と思った。
俺が頷くと彼女は満足そうに部屋を出ていった。
一体どうなるのか・・全く先が見えなかった。ただ、オデットと公爵家が無事であってくれと願うだけだった。
その時バルコニーに誰かが立っていることに気が付いた。
しかも、俺に向かって手を振っている。
見覚えのある瓶底眼鏡に顔が強張った。
サットン先生!?何故こんなところに?
俺はそっとバルコニーのドアを開けた。ここは地上から20mの高さはあるぞ・・・。
サットン先生は黒い変な装束で音もなく部屋に入って来る。
「・・先生、一体?」
と訊くと、シッと人差し指を唇に当てる。
先生は声をひそめて話し出した。
「リュカはオデットと結婚できなくても彼女の幸せを望みますか?」
「勿論だ!」
俺は力を込めて答える。
「良かった。オデットは3年後命の危険に晒されます。いや、それが早まる可能性もあります」
「何だって!?」
シーっと先生から再び言われて、慌てて口をつぐむ。
「リュカ、あなたはおそらく今回の事件でも死なないと思う。ゲームに必要な攻略対象だか・・・ごほっごほっ・・何でもないわ」
先生はわざとらしい咳払いをして話を続ける。
確かに俺はさっきの女と結婚すれば処刑を免れることが出来るかもしれない。でも、なんでそれを先生が知っているんだろう?
「今は時間がないので、必要なことだけ伝えるわ。私はオデットが殺されないように守りたいの。リュカ、協力してくれる?」
「勿論。何があってもオデットを守る」
「良かった。そしたら、ヤンが作ったドアの破片を集めて再現することは出来る?」
・・・・俺は言葉を失った。
「・・・・は!?俺が何のためにこんな目にあっていると!」
「分かってる!分かってる!でも、いずれあのドアがオデットを助けるのに役立つ日が来るかもしれない。・・・・勘だけど。でも、国家転覆に使うわけじゃない。オデットが無事に生き残ったら、あなたが責任をもって焼却処分にすればいいじゃない?」
「・・・そんなこと言ったって・・破片だって粉々に砕かれていると思うし・・」
「だから、誰も再現できると思わないよね。だから、お父さんの形見として引き取りたいって言っても大丈夫じゃない?リュカも魔道具士の心得はあるから、修復も可能かもしれないじゃない?」
「・・・それがオデットを助けることにつながるんだな?本当に?」
先生は真面目な顔で頷いた。
「いつ誰がどうやって彼女を殺すかが分からないの。残念ながら私の予想は悉く外れている。私は彼女の味方を増やして、彼女の役に立ちそうな選択肢を増やしておくくらいしか出来ないの」
「彼女が殺されることは確かなんですか?なんでそれを先生が知っているんですか?」
「ごめんなさい。今は説明する時間がないの。でも、彼女の敵はミシェルと言う女よ。髪がピンクだからすぐに分かるわ。魅了(チャーム)の魔法が得意なの。彼女の動き次第でオデットが誰に殺されるかが変わるわ」
俺は混乱した。先生の言っている意味が分からない。
先生は俺の狼狽ぶりを無視して懐から何かを取り出すと俺の手の中に入れた。イヤーカフが一つ・・・。しかも、どこかで見たことがある・・・。何年も前にサットン先生に頼まれて父さんが作った魔道具だ。
「ごめんなさい。もう行かないと。でも、私は常にオデットを守るために動く。それだけは信じて頂戴」
そういってサットン先生はまだバルコニーから出ていった。20mの高さはあるバルコニーから飛び降りたけど、その後ものすごい速さで走り去っていく黒い影が見えたので、きっと大丈夫なんだろう・・・。
それにしても・・
先生の話だと、オデットは誰かに命を狙われるらしい。それを防ぐために父さんが作ったあのドアが必要だと言うことか。
父さんは俺にも魔道具士としての知識は与えてくれた。
粉々に砕けた魔道具を修復することは出来るだろうか?
オデットを失った今、俺には生きる目的が無かった。
正直、オデットが他の男と結婚するのを見るくらいなら死んでしまった方がいいとさえ思った。
だが、オデットの命が危険に晒されているなら話は別だ。
俺は影から彼女を守る。例え彼女と結ばれることがなくても。
そのためなら何でもしよう。あの嫌な女に媚び諂うことも厭うまい。
どれほど辛くとも。俺の心は何があっても君のものだ。オデット。
その後、イザベルは本当に国王や閣僚たちを説得して約束を叶えた。
父さんは療養所で適切な監視の下、余生を送ることになると言う。
王太子とオデットが婚約することが公爵家存続の条件になったと聞いた時は動揺したが、それをイザベルには見せないように気をつけた。
この女は嫉妬深い。俺のオデットに対する気持ちを知ったらオデットに何をするか分からない。
イザベルに感謝の気持ちを伝えると同時に、オデットはまだ子供でイザベルのような成熟した女性の魅力に惹きつけられると煽てた。
イザベルは俺の世辞を大層気に入ったようで、俺の望むことは何でも叶えようと言ってくる。
俺は言葉を選びつつ、父さんが作ったドアの破片の話をした。形見として引き取ることは出来ないかと。
最初はさすがに無理だと拒絶したが、俺は諦めなかった。オデットにはとても言えないようなことまでした結果、イザベルは最終的に何とかしてみると言ってくれた。
すぐに結婚式を行ったのはイザベルの希望だ。
国中の女たちに、イザベルが最高の若い男を手に入れるだけの魅力があるのだと見せつけるための儀式だ。
俺は全く興味がなかったが、イザベルの機嫌を損ねないように『美しい』だの『愛している』だの空しいだけの言葉を連発した。
自分がこんなことが出来る人間だったとは驚きだ。
俺が考えるのはオデットのことだけで、オデットのためだと思えば、どんなに惨めなことでも我慢できた。
結婚式の日には遠くからでもすぐにオデットの姿が目に入った。
随分痩せたな。でも、相変わらず清廉な百合のような美しさだ。彼女の緑の瞳に映りたい、と思った瞬間、隣に座っているアランに気が付いて心臓が嫌な音を立てる。
オデットの表情はリラックスしていて楽しそうだ。
良く見ると・・・アランと手をつないでいるのか・・・?
オデット、もう他の男に心惹かれているのか?
俺が君をどうしようもなく想い、君の面影を忘れられなくて苦しんでいる間に・・・。
理不尽で身勝手な嫉妬なのは分かっているが、心の底にある暗い闇が妖しく蠢くのを止めることが出来ない。
オデットの幸せを誰よりも願っていたはずなのに、自分以外の男の隣で幸せそうにしているオデットを見るのは耐えられない。
「どうした?リュカ?お前の元婚約者はあそこにいるぞ」
というイザベルの声にハッと我に返る。
「そうですか?もう興味はありませんので」
冷たい声で答えた。
「さようか?王太子と似合いじゃのう。ままごとのようじゃ」
俺はその日頑なにオデットを視界に入れないようにして過ごした。
結婚式の夜。
俺は浴室で体を浄めた後、緊張と恐怖で全身が強張っていた。
好きでもない女と同衾しなくてはいけない事実は俺にとって恐怖でしかなかった。
イザベルは楽しそうに俺を見る。
「初めてであろ?妾(わらわ)に任せておけば良い。初めてを喰らうのは存外楽しくての」
厭らしい下卑た嗤いを浮かべたイザベルは悪魔のように見えた
翌朝、俺は絶望の中で目を覚ました。
一人で浴室に入り何度も冷たい水を全身に浴びた。水音で嗚咽を隠す。
ああ、オデット。俺は汚れてしまった。
俺は二度と君の瞳に姿を映すことはないだろう。
その慟哭は誰にも知られることはなかった。
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