第17話 オデット ― 思い出

サットン先生が公爵邸を去ってからも、私達の生活は普通に続いていた。


フランソワは何だかんだで先生が好きだったのだろう。ちゃんと別れも告げずに去った先生のことを冷たいとか文句ばかり言っているが、独りで寂しそうに考え込むことが多くなった。


二つ年下のフランソワは最近急激に背が伸びて私を得意気に見下ろすようになった。悔しい。


声も少しずつ低くなってきた。もう男の子とは言えないな、と寂しく感じる今日この頃。


ふと見ると左耳に小さな銀色のイヤーカフを付けている。アクセサリーなんて興味なさそうだったのに、と衝撃を受けた。もう年頃なのね・・。弟が離れていってしまうみたいで少し寂しい。


そう言ったら


「俺こそお前が来年から学院に行っちゃったら独りで寂しくなるよ」


と不貞腐れる。そんな姿はまだ少年でホッとする。


「お父さまは新しい家庭教師を探して下さったんでしょう?」


「ああ、俺はポーションに興味があるんで、来年からポーションマスターに弟子入りすることにしたんだ」


「え?そうなの?聞いてないよ!」


「まあ、通いの弟子だけどな」


とニカッと笑う。


ああ、本当にどんどん離れて行ってしまうんだな・・。


「そんな顔すんなよ。俺はここには居るんだから。休みには帰って来いよ!」


というフランソワの言葉に寂しさを押し隠して「うん」と頷いた。



その後、王宮と公爵家の間で様々なやり取りが行われ、私とアラン王太子の正式な婚約が調(ととの)った。


アランは事件の直後に公爵邸に来て、私に深々と頭を下げた。


「すまない。オデットに婚約を強要したくはなかったんだが・・」


「殿下、私たちは公爵家の窮状を救って下さった殿下のご厚情に感謝しております。どうか頭を上げて下さい」


アランは不満そうな面持ちで顔を上げた。


「その・・・他人行儀な話し方は止めてくれないか?堅苦しいのは嫌いだ。アランと呼んで欲しい」


唇をとんがらせて頬っぺたを膨らませるアランの様子が可愛くて、私は思わず吹き出してしまった。


「・・なんだよ!?笑うなよ」


と言うのも可愛い。


「・・・ご、ごめんなさい。分かったわ。じゃあ、普通に話していい?」


満面の笑顔で頷くアランはまだ少年っぽさが残っている。


リュカはもうすっかり大人の男の人って感じだったけど・・と思い出して『ダメだ、ダメだ』と首を振る。


もう忘れなきゃいけない人だから。他の人と結婚する人を想っていても何もいいことない。


そんな私の様子を見ていたアランは


「無理に忘れる必要ないと思うぞ。真剣に好きだったんだろ?」


と言う口調の優しさに、ふと気が緩んで涙がホロリと零れ落ちた。


私の涙に慌てた様子のアランはハンカチを差し出しながら


「余計なことだったらごめん。俺は無粋な男だから上手い慰めの言葉も知らないんだ」


とアタフタしている。


「ううん。ありがとう。アラン、優しいのね」


と言うとアランが完熟トマトのように真っ赤になった。


「・・いや、そんな・・別に・・」


と口籠った後、思い切ったように顔を上げて私を正面から見つめた。


「はっきり言うけど、俺はお前が好きだ。だから、これからお前に好きになって貰えるように頑張る。でも・・どうしても、何年経ってもオデットが俺のことを男として好きになれなかったら・・・その・・どうしても嫌だったら、婚約解消も吝かではないから・・ちゃんと言って欲しい」


最後の方の言葉はほとんど聞き取れないほど小さな声になって俯くアランの姿に、不思議な愛おしさが湧いてきた。


「私には勿体ない言葉です・・・でも、私もアランのことをもっと知りたい。先のことはどうなるか分からないけど、まず友達から始めない?私達良い友達になれると思うの」


と言ってみた。


「・・友達か。まあ最初はそれでいいよ」


とアランは向日葵みたいな笑顔を見せてくれた。



その後もアランはしょっちゅう遊びに来た。


フランソワはあまり良い顔をしなかったけど、アランと仲が悪い訳じゃないと思う。


良く分からないけどライバルがどうとか話しているのを聞いたことがあるから、お互い好敵手として認め合ってるんじゃないかな?


私とアランはサットン先生が言い残した言葉についても話し合った。


先生がアランの元にも現れていたと聞いて私は驚いた。


私が殺される運命にあることも先生から聞いたと言う。


私も先生から聞いたことをアランに打ち明けた。


正直、ずっと心に重い石が載っかっているように感じていたから、話を打ち明けることでその重しが少し減った気がした。


アランは顎を擦りながら考え込む。


「預言書・・・ね。それに『神龍の聖女』か。確かに大昔にそういった例はあった。神龍に選ばれた聖女と異世界から召喚された神子姫が力を合わせて魔王の復活を止めるんだ。まあ、もう伝説の話だけどな・・・」


「サットン先生は私達が魔法学院の3年生の時にそれが起こると言っていたわ」


「オデットとミシェルという女も聖女の座を巡って、試練に立ち向かうと・・・」


「私はね。正直聖女になんてならなくてもいいと思っているんだけど、先生は聖女になることで私が生き残る可能性が出てくるかもしれないって言ったのよ」


「・・・その、お前が殺されるって何なの?一体?」


それを突かれると痛い・・・。


「私も良く分からないの・・。誰にどうやって殺されるかも可能性が多すぎて分からないって言ってたわ。でも、運命の鍵を握る人物が学院に二人いるって。ダミアンという教師とクリスチャンという生徒でクリスチャンは3年生になったら生徒会長になるんですって。その二人を味方につけると良いって言ってたわ」


アランは目を見開いた。


「クリスチャンは俺の側近候補でベルナール公爵の子息だ。あいつのことは良く知っている。ダミアンという教師についても調べてみる。その二人を味方につける、か。大丈夫だ。俺から話をつけるから・・」


と言いかけたアランを止める。


「ダメ!アランの力を借りちゃいけないんだと思う。自分の力で自分が正しいと思う道を進めって先生は言ってたもの。アランの協力は有難いけど、アランに言われたから私の味方になって貰っても意味がないと思うんだ」


アランは溜息をついて


「・・お前らしいな。分かったよ。俺は口出ししないから」


と言ってくれる。


「ありがとう。アラン」


「そのミシェルってピンク頭の女は敵なんだろう?先生から聞いて俺も調べて見た。多分、ミシェル・ルロワ子爵令嬢のことだと思う」


「・・・本当に実在するのね?」


「ああ。髪の毛の色が変わっているので目立つが、それだけじゃなく言動も変わっているらしい。理解できない言葉を使うんだって噂だよ」


「先生はミシェルも預言書を読んでいて、私を陥れようとするかもって・・・」


「ああ、俺にもそう言っていた。出来るだけ近づかないようにしよう。俺もサポートするから」


アランの言葉は私を安心させてくれる。


悲しいことがありすぎて、心に沢山ささくれが出来て痛かったけど、アランの存在はそれを少しだけ癒してくれた。



アランは自分が公爵邸に来られない日は花とカードを贈ってくれる。マメだ。


「まあ、こんなに美しいお花。アラン殿下は本当にお嬢様を大切に思っていらっしゃるのですね」


侍女が感動したように花束を私に渡してくれる。


花の甘い香を胸いっぱいに吸い込む。大きな花束を抱えて嬉しくないはずがない。


アランとの婚約も前向きに考えて良いのかもしれない。冷静に考えたら私には勿体ないくらいの良縁だ。


私はいつかリュカの事を忘れなくちゃいけないんだろう。


もう他の人のものになってしまった人を思い続けて良いことなんてないと自分に言い聞かせた。




先日行われたイザベル様とリュカの結婚式を思い出す。


豪華なウェディングドレスに包まれたイザベル様は大輪の薔薇のように美しかった。


隣に並ぶリュカの美丈夫ぶりに女性の参列者が全員うっとりと見惚れていた。


そうして、美男美女の結婚式は盛大に執り行われたのだった。


私は行きたくなかったけど、イザベル様は私が出席することを主張したらしい。


王太子の婚約者なのだから、王族の一員として重要な催しに参加すべきだと言われたら否(いな)とは言えない。


アランは無視して良いと言ってくれたけど、私はこれからリュカを忘れて前向きに生きていかなくちゃいけないんだ。


「結婚式を見られないとか軟弱なことを言ってらんないよ」と言うと、アランが辛そうな顔をして私を強く抱きしめた。


「悲しい時は悲しい顔をしていいんだ。少なくとも俺の前では悲しい時は悲しいって言ってくれ」


と言われて、私は思いがけない言葉に涙腺が決壊してしまった。


そのままアランの胸の中で号泣したら、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。アランの服がちょっと濡れちゃったけど、彼は気にするなと屈託なく笑う。


アランのおかげで私はリュカの結婚式に参列しても泣かずにすんだ。


アランが隣でずっと手を握っていてくれたから。


その日、私をどこにいても見つけられると言ったリュカの目が私を映すことはなかった。




公爵邸では王宮からの指示で離れは取り壊し、中にあったものは全て焼却することになった。


「他に離れから持ってきた魔道具はない?リュカから貰ったものも全て焼却しなくちゃいけないの」


とお母さまに聞かれたけど、私は何もないと嘘をついた。


本当はリュカから貰った指輪と翻訳眼鏡があったけど、それらはどうしても手放すことが出来なかった。指輪はネックレスにつけていつでも首から下げている。


我ながら未練がましいと思う。でも、いつかちゃんと手放すから。今だけは許して欲しいと心の中でお母さまに謝罪する。


離れには多くの貴重な本があって、本は残しておけないか聞いたけど、やっぱり却下された。


初めてリュカに会った時に読んでいた『神龍の贈り物』の続編も全て灰になった。


リュカとの思い出の場所も何もかもが消えて、私の胸にはポッカリ穴が開いたようだった。


『神龍の贈り物』の本編は私も持っている。サットン先生が幼い頃にくれて大好きになった本だ。


自分の部屋の本棚から『神龍の贈り物』を取り出して久しぶりに読み返した。



神龍は何百年かに一度卵を産む。その卵は金で出来ているため欲深い人間たちに盗まれる。卵が孵ったとしても、産まれた時に神龍の与える甘露を得られない赤子は死ぬしかない。


ある時神龍が卵を産んだが、やはり悪者に盗まれてしまった。神龍が嘆いていると通りかかった二人の少女が神龍を気の毒がって、卵を取り戻すと約束した。


神龍は二人に感謝し加護を与える。神龍は二人に類まれなる智慧と魔法を与えた。二人は卵を探す旅に出る。二人はやがて悪者と闘い卵を取り返したが、大勢の悪者たちに追われることになった。


追い詰められた二人を助けてくれたのは古い修道院の修道女だった。彼女は二人を地下の聖櫃の中に隠し、卵は箱の中に入れて修道女がその上に座り素知らぬ振りをする。


悪者たちは卵も二人の少女も見つけることが出来ず立ち去った。二人は無事に卵を神龍に捧げ、神龍の赤子は甘露を得ることが出来た。


その後、卵から孵った神龍の赤子は二人の少女と共に旅を続けたという。



悪者と闘うだけじゃなくて、卵を探しながら色んな人との出会いや冒険があったんだよね。子供の頃、私は神龍の卵を探しに行きたいって真剣に願っていたっけ・・・。


懐かしいな。私はまだ15歳になったばかりなのに、もう何十年も前のことみたい。


来週は魔法学院の入学式だ。サットン先生。私は生き残れるように頑張ります。

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