第9話 リュカ ― 至福


翌朝、俺は早く起きて食堂に急いだ。オデットに早く会いたかったし、夕べの公爵との話を共有したかった。


しかし、そこに居たのは一人の少年だけだった。


公爵がフランソワとエレーヌという子供達の里親になったことは手紙でも知らされたし、エレーヌが学院に転入した時に、律儀に挨拶に来た。


エレーヌは真面目で媚びるような態度を取らないので好感が持てた。彼女は恩人の公爵家のために頑張って勉強すると張り切っていた。


彼がエレーヌの弟のフランソワに違いない。


俺は手を差し出して


「初めまして。君はフランソワだね?俺は・・・」


と言いかけると、


「知ってるよ。リュカでしょ?オデットがいつも嬉しそうに話してる」


と敵意のこもった返事が来た。


・・・ああ、彼はオデットが好きなんだな。


それを察した俺は差し出した手のやり場に困り、そっと元に戻した。


フランソワはまだ少年だが、顔立ちは整っていて、将来は結構な美青年になるだろう。


オデットに年も近い。


妙な焦りが湧いてくる。


オデットの近くにこんな恋敵がいると思うと落ち着かない、と考えていると、後ろからずっと聞きたかった声が聞こえた。


「おはよう!あら・・・・?」


オデットが口を両手で押さえて立っていた。


「・・・リュカ?」


エメラルドのように輝く瞳から涙が溢れる。


背が伸びたな。記憶の中のオデットよりもずっと大人びて、益々綺麗になった。


ずっと会いたかった愛しい少女の姿に胸が一杯になる。


オデットが胸に飛び込んできた。


彼女を思いっきり抱きしめると芳しい甘い香りに酔いそうになる。


ああ、こんなにオデットに会いたかった。


フランソワは昏い眼差しで俺達を見つめていたが、パッと背を向けてどこかに走り去った。


悪いな。オデットは渡せないんだ。


オデットは俺の腕の中でまだ泣いていた。


「・・寂しかった・・」


という言葉を聞くと、長期休暇には帰ってくれば良かったな、と後悔する。


俺は自分の気持ちばかりで彼女の気持ちを考えていなかったことを反省した。


公爵夫人も俺に会えたことを喜んでくれた。


「まあまあまあ、こんなにカッコよくなっちゃって。学院でもモテるでしょう?オデットは心配ねぇ?」


と言いながら、ちらっとオデットを見る。


そうかな?オデットもそう思ってくれるだろうか?少しはやきもちとか焼いてくれるのかな?


と思いつつ、オデットを見ると真っ赤な顔をして俯いていた。


可愛い・・・。俺はただもうオデットに見惚れることしか出来なかった。


公爵が現れて、公爵夫人の隣に立つ。


「オデット、リュカ、私達はお前達の婚約を認めようと思う。いとこ同士の結婚は問題ないし、リュカは優秀でオデットを大切にしてくれると信じている」


俺は大きく頷いた。


「公爵家の後継者問題も片がつきそうで私も安心だが、実際に結婚するのはオデットが18歳になった時だ。それで構わないな?」


俺とオデットは互いの目を見つめ合ってから、公爵夫妻に向かって


「「はい!」」


と声を揃えて言った。


「婚約成立だな。国王陛下にも王太子との婚約を辞退する理由を説明できるし、私の胃の痛みも少しは軽くなるだろう。今日はお祝いの午餐を用意する予定だ。学院に戻る前に楽しんでいってくれ。・・実はヤンも招待したんだが・・・忙しいみたいでな・・・」


父さんの話になると公爵は口籠った。


父さんの状態は相変わらず良くないのだろう・・・。


「後で父さんにも顔を見せに行きます」


と言うと公爵夫妻は安心したように微笑んだ。


午餐にはフランソワは参加しなかった。体調不良とのことだが、俺は彼の気持ちが分かるような気がした。罪悪感がちくりと胸を刺す。


でも、だからと言ってオデットは譲らないが。


使用人たちも俺達の婚約を祝ってくれて、皆からお祝いの言葉を貰った。


いつも厳めしい顔をしているサットン先生すら喜んでいるように見える。


俺にとって何より嬉しいのはオデットが幸せそうに見えることだ。心がじんわり暖かくなる。


絶対にこの笑顔を失うことがないよう、これからも努力を続けると固く心に誓った。


幸せ過ぎて、終始足元がフワフワしているようだった。


だから、父さんに会いに離れを訪れた時、現実を直視して冷静に判断することができなかったんだと思う。


離れは綺麗なままだった。オデットや使用人が父さんの世話をしてくれているらしい。


食事も本邸から運ばせていると聞いて、心から御礼を伝えた。


父さんは母さんが亡くなってから、以前のように話をすることも笑うことも無くなった。


口を開けば新しい魔道具の構想を語る。


今度は新たに空間をつなぐ魔道具を作ると豪語する。


正直父さんの話は、俺には良く理解できなかった。


転移魔法というのは、物質の性質を変えて瞬時に移動させることだと言う。


例えば、人を風に変えて風を別な場所に送り込むイメージらしいが、それも正確な表現ではないという。


ただ、説明のために風を例として使う。


結界があると転移魔法が使えなくなるのは、結界が障害となり風を通さなくなるからだ。


部屋の窓を閉めれば風が入って来なくなるのと同じだ。


転移できる場所が制限できるのも、その性質のおかげだそうだ。


転移魔法が使える魔道具も希少だが存在する。しかし、それも従来の転移魔法の考え方の範疇だと言う。


父さんが目指している魔道具は全く違う構想らしい。


例えば、ここにある空間と行きたい場所の空間を直接くっつけてしまう。


そうすると結界があろうが、転移制限があろうが止めることが出来ない。


どこでも好きなところに行くことが出来るらしい。


魔道具としてはドアのようなものをイメージしていると言う。


ドアを開けたら行きたい場所とつながっているというような・・・。そんな莫迦な。


どこにでも行きたい場所の空間とつなぐことが出来ると、顔を紅潮させて語る父さんに不安を感じなかったと言えば嘘になる。


誇大妄想というか・・・だって、そんな魔道具は不可能としか思えない。


狂気じみた仕草で夢の魔道具を語る父さんは、母さんの死で既に壊れてしまったのかもしれない・・・。


このまま夢の中で生きた方が父さんにとっては幸せなのかも・・と俺はその時思ってしまったんだ。


この時、もっと父さんの話をちゃんと聞くべきだったと、後に死ぬほど悔やむことになるとは俺は全く知らなかった。


俺はオデットと婚約できたことで有頂天になっていて、何も気が付くことが出来なかったんだ。

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