第8話 リュカ ― 焦心


俺が魔法学院に来てから約2年。


勉強だけでなく、魔法も剣術も全てにおいてトップを目指した。


いつかオデットを堂々と迎えに行くための努力だ。全く辛いとは思わなかった。


そして、朝から晩まで時間があるとオデットのことを考えていた。


会いたくて堪らない。


学院に来てから、オデットがいかに稀有な令嬢だったかを思い知らされた。


彼女のように真面目に努力し、料理や掃除などの家事に長け、勉強だけでなく剣術にも優れた令嬢など他にはいない。


オデットは性格も穏やかで慎ましく、思いやりがある。


幅広い内容の本を読んでいるので、話も面白くて尽きないし、何より無垢な笑顔が心を癒してくれる。


甲高い声で新作のドレスや宝石の話しかしない令嬢を見ていると、オデットの素晴らしさが余計に際立った。


俺は見た目が良いらしいので、近づいて来る令嬢が多い。時には厚かましく体を押し付けてくる女もいるが、全く心を動かされることはない。


逆にオデットへの愛情が増すばかりだった。


長期休暇に帰省しなかったのは、勉強に集中したいというのも一つの理由だが、それよりもオデットに会って自分の箍が外れてしまわないか不安だったからだ。


学院寮には素行の悪い学生もいる。中には禁止されているのに女を連れ込む輩もいる。


聞きたくないことまで聞こえてしまうことがあり、俺は自分の疚しい考えをオデットに知られてしまうのではないかと怖かったんだ。


本心はオデットに会いたくて毎晩のように彼女が夢に出てくるくらいだったけど・・・。




俺はその日の放課後、友人のヴァンサンに相手を頼んで、剣技の自主練習で汗を流していた。


俺が練習をしていると女たちが集まって来る。自惚れではなく女たちの目当てが俺なのは明らかだった。


媚びるような視線やキンキン声の声援が煩くて堪らない。


オデットとはえらい違いだ・・・と思った瞬間、俺の剣がヴァンサンの剣に弾かれた。


しまった。オデットのことを考えると集中力が切れてしまう。


「珍しいな。お前が剣を飛ばされるなんて」


と嬉しそうにヴァンサンが言う。


「油断しただけだ」


悔しいので一言だけ答えて飛ばされた剣を取りに行く。


・・・見学している女たちの近くだ。面倒だな・・と思っていたら、案の定


「リュカ様、素敵でした!」


「リュカ様、是非今度私と一緒に・・・」


「あ、あの、リュカ様!お話が・・・」


と纏わりついてくる。


気持ち悪い、と思いながら、そいつらを無視して剣を拾おうとした時、少し離れた場所で噂話をしている女たちに気が付いた。


大声で話しているので嫌でも耳に入って来る。


「・・ええ!じゃあモロー公爵家の令嬢が!?」


俺の耳がピクっとする。


「そうなのよ。王太子殿下の婚約者に決まったんですって!」


「うそ~!王太子殿下は女性にあまり興味を示さないって聞いてたのに」


俺は我慢できなくなって、その女たちにズンズン近づいていった。


「今モロー公爵家の令嬢と言ったか?」


と訊くと、女たちはビクッとして俺を見た。


俺が女に話しかけることはほとんどないので驚いたんだろう。


「あらぁ、リュカ様。リュカ様も興味がおありですか?もちろん、モロー公爵の甥御さんでいらっしゃいますものねぇ。ええ、公爵令嬢のオデット様が王太子殿下の婚約者に決まったという噂です」


その言葉を聞いて、俺は足元が崩れるような絶望感に打ちひしがれた。


膝が震える。


オデット・・・君は・・・?


ヴァンサンが心配して寄って来た。


「おい、リュカ。大丈夫か。顔が真っ蒼だぞ。体も震えている。今日はもうこれでおしまいに・・・」


最後まで聞かない内に俺は駆けだしていた。


公爵邸に戻ってオデットに会わなければ。


魔法学院では外出する時は1週間前に外出許可を取らないといけない。


しかし、そんなヒマはない。


俺はそのままの足で学院を飛び出し、転移魔法が使えるところまで全速力で走った。




公爵邸に辿り着いたのはその日の夜だった。


門番が驚いた顔をしたが、俺の顔を確認すると中に入れてくれた。


正面のドアをノックすると執事が顔を覗かせる。


「リュカ様!?」


動転した様子の執事は慌てて「旦那様!」と公爵を呼びに行った。


足早に現れた公爵は俺の顔を見て、溜息をついた。


「オデットのことを聞いたのか?」


俺は黙って頷いた。


「オデットはもう就寝している。明日話をすればいい。今は私が君と話がしたい。いいね?」


いつも温和な公爵がこれほど問答無用な言い方をするのは初めてで、俺は動揺した。


公爵に俺とオデットのことがバレて、引き離すために王太子と婚約させたのかもしれないとまで俺は疑った。


公爵は俺のヨレヨレで埃だらけの制服を見て、


「まず体を浄めた方がいい。あと学院に外出許可は取ったのか?」


と訊かれた。


「はい・・・。あの・・許可は取っていません・・・」


と答えると公爵は


「分かった。私から連絡しておこう。家族に緊急事態が起こったのでやむを得ず、と説明しておく」


と言う。


俺は公爵に御礼を言って、浴室に向かった。


その後、公爵の執務室で机を挟んで男二人の睨み合いが続いた。


「オデットと王太子殿下の婚約が決まったと聞きました。本当ですか?」


沈黙に耐え切れなくなった俺が訊ねると、


「オデットの婚約が君に関係があるか?」


と冷たく返された。


俺は思わず立ち上がって


「あります!俺は・・・俺は・・・」


と口籠ると


「オデットと将来を誓い合った仲だから?」


と公爵が揶揄うように言う。


俺はポカンと口を開けたまま、公爵の顔を見つめた。


知ってたのか・・・?


公爵が、何を考えているか全く分からない。


公爵は淡々と何が起こったかを話してくれた。


オデットが王太子に見初められて婚約を求められたこと。


わざわざやって来た王太子に、オデットが好きな人がいるから応じられないとはっきり断ったこと。


「オデットは王太子殿下にこう言ったんだ。


『その方は私に堂々と求婚できる実力をつけるまで待っていて欲しいと言いました。それまでは誰にも言わないで欲しいと。今回王太子殿下の行啓まで頂いたご厚情に感謝して真実を申し上げました。ですから、どうか私のことはご放念下さいますよう、お願い申し上げます』


私はオデットにここまで言わせる男は誰だろうと考えた。


・・・オデットを待たせているのは君だね?」


俺は顔面が紅潮するのを感じながら、頷いた。


そんなことを言ってくれたのか。健気なオデットの言葉に、熱い感情が心から溢れた。


「本当に申し訳ありません!俺は魔法学院で結果を残し、あなたに認められるようになってから正式に求婚するつもりだったのです」


俺は公爵に向かって深くお辞儀をした。


「顔を上げ給え」


俺は公爵の言葉を受けて、恐る恐る顔を上げた。


公爵と目が合うと、驚くことに公爵はニッコリと微笑んだ。


「リュカ、君は私を信頼して相談すべきだったんだ。私は君を養子にしたいとすら考えていたんだよ。オデットが君を想う様子は真剣だったし、君もオデットを真面目に愛してくれているようだ」


「はい!」


俺は強く頷いて、公爵の目を真っ直ぐに見つめる。オデットを想う気持ちは誰にも負けない自信がある。


「王太子殿下とオデットの噂を聞いて、慌てて帰って来たんだね?」


「はい・・・」


公爵は深い溜息をつく。


「君と婚約していれば、王太子殿下の話を断ることも簡単だったんだよ」


「え・・・?ということは、オデットとの婚約を認めて下さるんですか?」


「男親としては辛いところだが、オデットの気持ちを一番に考えたい。それに、これまでの学院での君の活躍は素晴らしいものだ。学院長からもお褒めの言葉をいつも頂いている。君がオデットのために努力していることは認めよう」


俺は話がうますぎて、どう脳内で情報を処理して良いか分からなかった。


オデットとの婚約を認めて貰える!?・・・のか?本当に?


公爵は話し続ける。


「君の本気を見せて貰おう。卒業まで首席を貫き、魔法や剣技でもトップの成績を維持できたら、オデットとの結婚を認めよう。但し、オデットはまだ幼いから、彼女が18歳で魔法学院を卒業するまで実際の結婚は待って貰う。それまで彼女に指一本触れることは許さない。その条件を飲めるかね?」


「も、もちろんです。でも、婚約は今すぐに認めて頂けるんですよね?」


公爵は渋々と言う感じで頷いた。


「俺はオデットと結婚できるなら、いつまででも待ちます。どんな条件でも受け入れます。ありがとうございます!」


と俺は深々と頭を下げた。


公爵は一瞬顔を顰めた後、仕方ないなというように破顔した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る