第5話 フランソワ ― 姉の救出

今日は夢のような一日だった。


これまで俺の人生はクソのようなものだと思っていた。


幼い頃に両親を事故で失い、姉さんと二人支え合うようにして必死で生きてきた。


親戚中をたらい回しにされたが、どこにいっても罵倒され、侮辱され、虐待され続けた。


でも、どんな時でも姉さんは俺を庇ってくれた。姉さんが居てくれるだけで、俺にとって人生は生きている意味があった。


俺は大きくなったら一生懸命働いて姉さんを幸せにしようと、その思いに必死に縋りついて生きていたんだ。


ところが、ロリコンの変態男爵が大金を積んで姉さんを買っていった。


姉さんは蒼白な顔にこぼれそうな涙を必死でこらえながら


「フランソワ、私はいつもあなたの幸せを祈っているわ」


と無理な笑顔を張り付けて去っていった。


それを止めることが出来ない自分の無力さに腹が立って、そのまま舌を噛み切って死んでやろうかと思ったほどだ。


でも、そんなことが姉さんの耳に入ったら姉さんも生きていられないかもしれない。


生きてさえいればいつかまた会える、とそう自分に言い聞かせて、涙を堪えた。


強欲な親戚はニヤニヤ嗤いながら俺の服を着替えさせた。


「お前はいいなぁ。公爵家に入りこめば贅沢な生活が出来る。その可愛い顔を使って公爵令嬢を誑し込んでみたらどうだ?当然俺達の分け前も忘れるなよ」


親戚の下卑た嗤いを見ると吐き気がした。


公爵は遠縁と言っても、血がつながっているわけではないらしい。


ただ、昔姉さんが親戚の馬鹿息子に襲われそうになった時に、俺が姉さんを守ろうとして魔力を暴走させた事故があった。それを人伝に聞いた公爵が俺に興味を持ったのだと言う。


金持ちは変なことに興味を持つもんだ、と俺は全く好感を持てなかった。


俺としてはまた別の親戚にたらい回しにされた感覚だった。


いつものことだ。そして、いつものように蔑んだ目で貶められる。


そう思っていた。


しかし、いつもとは全く違っていた。


公爵の住む豪奢な屋敷は今までとは桁違いで別世界だったが、何より公爵も公爵夫人も笑顔で俺を迎えてくれた。


侮蔑など全く籠っていない温かい笑顔だった。


しかも、彼らの間に立っている少女を見て俺は言葉を失った。


一瞬姉さんが天使になってそこに立っているのかと思った。


我に返ると、それが公爵令嬢のオデットであると紹介され、


『そうだよな。まさか姉さんがここにいるはずないし。顔も全然違う』


と自分に言い聞かせた。まだ、心臓がドキドキしていた。


その後もオデットには良い意味で驚かされっぱなしだった。


オデットの顔の造形は完璧に近いくらい端整だ。


無表情な時は美しすぎる人形のようで冷たい印象を与えるかもしれない。


それが、ひとたび表情を持った瞬間に、瑞々しく魅力が溢れ出す。


公爵夫人に部屋から出された後、閉じたドアに向かってベーっと舌を突き出した時は、あまりの意外性と愛らしさに俺は固まってしまった。


そんな俺を見て恥ずかしそうにするオデットも可愛い。


そして、俺の大好物の牛肉の赤ワイン煮を作ったのもオデットだと言う。


なんだ、このお嬢様は!?


俺の親戚は皆一応貴族だった。下級貴族だけど。だから、貴族の令嬢なんて、全員ドレスのことしか興味がない見栄っ張りで、何も出来ない癖に高慢で鼻もちならない奴らだと思っていた。


高位貴族は違うのか?それともオデットが特別なのか?


何となくだけど、オデットが特別な気がする。


綿の簡素なドレスを身に纏い、俺の姉さんのことを心配してくれるオデットは初めて俺の世界で姉さん以外の特別な存在になった。


オデットはすぐに公爵に姉さんの話をしてくれて、公爵はすぐにでも姉さんを取り返せるように親戚と話をつけてくれると言った。


頼り甲斐のある大人が自分の味方をしてくれるという奇跡にどうしても涙が止まらなくなった。


姉さん、もうすぐ会えるよ!そして、俺達は一緒に幸せになれるかもしれない!




安らかな気持ちと生まれて初めて感じた神への感謝を胸にベッドに入ろうとしたその時、ドアをそっとノックする音が聞こえた。


ドアを開けると黒い不可思議な装束を身に纏ったオデットと小柄な黒髪の女性が立っていた。


ドレスではない。


小柄な女性は分厚い瓶底眼鏡に指を掛けながら


「私はサットン。オデットの家庭教師よ。これは忍者スタイルというの」


と得意気に言う。


「はあ・・・」


以外に返答の言葉を持たない俺はその場で立ち尽くした。


二人は俺を無視して勝手に部屋に入ると、そっとドアを閉めた。


「オデット、一体何が・・・・?」


というとオデットも肩をすくめて


「私も分からないの。でも、先生が今夜お姉さんを助け出した方がいいって言うのよ」


と言う。


「姉さんを?」


俺は自分の顔色が変わったのを感じた。


サットン先生は


「明日だと手遅れになるかもしれない。今夜お姉さんが襲われたらどうするの?」


と訊ねる。


確かに・・・でも・・


「公爵にお願いしたらいいんじゃないか?」


と訊くと、それは難しいとサットン先生は答える。


「公爵が拙速に強引なやり方で手を出してしまうと、大事になるわ。法的に公爵が罪に問われる可能性も出てくるの。私達がこっそり忍び込んでお姉さんを連れ帰るのが一番穏便なのよ」


というサットン先生に俺は唖然とするが、オデットは平然としている。


「大丈夫。サットン先生は魔力も身体能力も信じられないレベルだから」


というオデット自身も戦う気満々なようで、隠し持ったナイフの刃を確認している。


気のせいじゃなければ、あれは兵士が使うコンバットナイフじゃないか・・・?


今日公爵が話のついでに


『サットン先生のおかげでオデットは逞しく成長したんだよ』


と言っていたが、いや、逞しすぎだろうと突っ込みたくなる。


それ、必要か?公爵令嬢に?!




公爵は既に変態男爵のことを調べていたらしく、サットン先生は「ヴィクトル様からの情報よ」とウインクしながら、奴の屋敷の場所を俺に示した。


俺は雑用と一緒に御者の仕事も親戚の家でやらされていたので、馬車を操るのは得意だ。


その後、俺が馬車で待っている間に二人は変態男爵の屋敷に忍び込み、ものの10分もしない内に意識のない姉さんを抱えて戻って来た。


なんなんだ?!この二人は?


「急いで!」という声に応じて、


俺は慌てて馬車を出す。


俺達の背後で屋敷の照明が点灯し、中から騒がしい物音が聞こえてきたが必死に逃げた結果、無事に公爵邸に辿りつくことが出来た。


恐ろしいのは、門番が


「ああ、先生、またですか?」


と平然としていたことだ。


さすがにオデットは身を隠している。


俺達が姉さんを抱えて公爵邸の中に入ると


公爵が仁王立ちで待っていた。


サットン先生は気が咎めるような面持ちで目を伏せた。


「先生!何をしても構いませんが、オデットは危険なことに巻き込まないという約束でしたよね?」


「・・・はい、でも、そろそろオデットにも実践訓練が必要なので・・」


とオドオドと言い訳する。


公爵は溜息をついて肩を落とした。


「それで・・フランソワの姉君は救出できたんですね?」


と『諦観』を体現したような表情で訊ねる。


俺達は大きく頷いた。


公爵は事態を知って準備をしてくれていたらしい。


屈強な使用人たちが姉さんを部屋に運んでくれる。


公爵家お抱えの医師が診察してくれるそうだ。


俺は姉さんに付いていった。


医師は気さくなおっちゃんだった。


彼によると、命に別状はなく明日には目を覚ますだろうとのことだ。


俺は許可を貰って、姉さんの傍に付いていることに決めた。


姉さんの顔を見ながら、早く目を覚まさないかな、と思った。


俺達すげーところに来たみたいだぜって言いたい。


今までの常識では考えられないようなすげー女の子がいるんだって、オデットのことを姉さんに話したくて堪らなかった。

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