天壌無窮
三鹿ショート
天壌無窮
路地裏から声が聞こえてきたために視線を向けると、其処では一人の老人が複数の若者に虐げられていた。
若者たちが笑顔を浮かべていることから、おそらく憂さ晴らしなのだろう。
多勢に無勢であるために、若者たちを刺激するわけにはいかなかったが、老人を見捨てることもできなかった。
其処で私は、若者たちに聞こえるような声量で、制服姿の人間たちに現場を知らせるような言葉を発した。
その言葉を聞いた瞬間、若者たちは蜘蛛の子を散らすかのようにその場から離れていった。
私が近付き、声をかけると、老人は涙を流しながら感謝の言葉を吐いた。
皺の多い相手を見ながら、このような状態と化すことを避けられたことを、私は嬉しく思った。
***
本来ならば、今の私は老人と言うべき年齢なのだが、私の肉体は若い頃のままだった。
そのような身体と化したのは、金銭に困っていた際に投与された薬によるものである。
このままでは老人ばかりの世界と化してしまうことに危機感を抱いた人間が開発したその薬は、何時までも若い肉体のままでいられるようになるというものだった。
その立派な志に感動したわけではなく、治験の報酬に目がくらんだために、私は協力することにした。
結果として、その薬は本物だった。
数十年が経過しようとも、私の肉体は薬を飲んだときのままだったのである。
開発者は喜び、然るべき機関に自身の薬の有用性を伝えたのだが、認められることはなかった。
聞いたところによると、自然の摂理に反しているということが理由らしい。
その言葉に、開発者は怒りを抱いたようだった。
「これまで自分たちの都合によって自然を破壊してきた人間たちが、何を言っているのか。一人の若者が十人の老人の世話をすることになってしまったときに泣きついたとしても、協力するつもりはない」
その言葉を最後に、開発者は薬の情報と共に、姿を消した。
今でも生きているのかどうかは、私にも分からない。
***
何時までも若いままでは他者から化物扱いされてしまうと考えたために、私は数年ごとに土地を移動するようにしていた。
ゆえに、特定の女性と親しくなることは避けていたのだが、私は彼女と出会ってしまった。
私は、彼女と並んで歩み続けたいと考えるようになってしまったのである。
だが、薬の効果によって、私は彼女と共に老いることができない。
それならば、彼女にも同じ薬を投与すれば良いのではないだろうか。
幸いにも、私はくだんの開発者から薬を貰っていた。
いわく、共に生き続けたい人間が現われた際に、その相手に使うべきだということだった。
しかし、彼女の意思を無視するわけにはいかない。
私は、彼女に問うた。
「今の肉体のまま、永遠に生き続けたいと思うかい」
私の言葉を冗談だと思ったのか、彼女は笑みを浮かべると、
「皺だらけの人間と化すくらいならば、この肉体を維持し続けることの方が良いでしょうね」
その言葉を、私は了承と考えた。
ゆえに、眠っている彼女に、私はくだんの薬を投与した。
気が付くまで時間がかかるだろうが、これで我々は、これからも愛し続けることができるのだ。
嬉しさのあまり、私は彼女の頬に接吻した。
***
薬の効果を知った彼女は、喜ぶかと思っていたが、そうではなかった。
彼女は自身の胸に手を当てながら、
「あなたは健康な身体ゆえに気にすることがなかったのでしょうが、私がこの病気と永遠に付き合わなければならないということを、あなたは考えることがなかったのですか」
その言葉を耳にしたところで、私は己の浅慮さに気が付いた。
確かに、彼女は定期的に病院へ行っては、何時間も拘束されている。
生命の終焉を望んでいるわけではないが、やがてその生活が終わるということに対して、彼女は喜びのようなものを持っていたのだろう。
それを、私が阻んだのである。
怒りを抱くのは、当然のことだろう。
私は何度も謝罪の言葉を吐き、頭を下げたが、彼女が私のことを許すことはなく、結局、彼女との生活は終焉を迎えることとなってしまった。
だが、嘆いている場合ではない。
彼女に対する罪滅ぼしのためにも、私は薬の開発者に会い、薬の効果を消すにはどうすれば良いのかを訊ねる必要があったのである。
開発者が今も生きているかどうかは不明だが、私としては、生きていると考えている。
何故なら、未来を危ぶんでこのような薬を開発した人間が簡単に諦めるとは考えられず、今後も様々な薬を生み出すことに時間をかけることを思えば、くだんの薬を自身に投与するはずだからだ。
つまり、この瞬間から、私の旅は始まったのである。
***
数十年後、ようやく開発者を発見することが出来たが、既に地面に埋まっていた。
事情を知る人間に話を聞いたところ、くだんの開発者は、私に対して、最後まで謝罪の言葉を吐いていたらしい。
いわく、私が投与された薬の副作用には、子どもを作ることができないということが含まれているとのことだった。
若い肉体を維持することができるにも関わらず、新たな生命を誕生させることが出来ないとは、致命的ではないだろうか。
しかし、落ち込んでいる場合ではない。
このことは、彼女にも伝える必要があるのだ。
だが、彼女もまた、既にこの世を去っていた。
どうやら、背の高い建物から飛び降りたらしい。
それほどまでに、永遠の生命というものを嫌っていたのだろう。
私は彼女が飛び降りた現場へと向かい、謝罪の言葉を吐くと、手にしていた刃物を首に当てた。
天壌無窮 三鹿ショート @mijikashort
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます