第16話 薄幸令嬢、駄菓子屋に行く

「おかえりなさいませ、瑛人様」



 研究所に立ち寄った瑛人は、その足で小夜のいる離れに向かう。


 その日は、夜も更けていたが小夜と蛍は食事を取らずに瑛人を待っていたようだ。


 疲れている様子の瑛人に、二人が無言で膳を用意する。



「旭さんの行方だが」



 瑛人の言葉に、しゃもじを持った小夜が丸い瞳を向ける。



「わからないようなんだ。すまない」



 通夜の日以降、旭は姿を消していた。


 旭から不老不死の儀式についての事情を聞こうと華峰家を訪れた瑛人は、取り乱した菖蒲に縋りつかれた。


 華峰家に戻るだろうと思われていた旭は、いつまでたっても帰らない。


警察に赴いたが、家出人としてしか扱われず、捜索も、されているのかいないのか分からない状態だ。


 大和に加えて、重要な参考人でもあるため、特務陰陽部隊でも捜索しているが、旭の足取りは忽然と消えており、いまだに見つかっていないのだ。



「そうですか……。お忙しいのに、気にかけていただいてありがとうございます」



 小夜も旭を心配しているのだろう。いつもより暗い顔をしている。


 瑛人も、旭と夜光の捜索を続けているが、足取りがつかめず、捜査が遅々として進まないことに疲弊していた。



「……暗い」



 灯りのことか、と二人がつり下がっているランプを見ると、違う。と蛍に怒られた。



「あのね、旦那の仕事が忙しいのは仕方ないよ。小夜ちゃんも、家族が見つからなくて不安だとも思う。でもね、気欝にやられちゃいけないよ。明日も仕事を乗り越えるために、若旦那が帰ってきたときに明るく出迎えられるように、近いうちにお休みとって気晴らししておいで」



「また被害者がでるかもしれないときに、休んでなどいられない」



 すげなく断る瑛人の鼻を、蛍がむぎゅっとつまんだ。



「こんなに青い顔して何言ってるの。最近、好きな駄菓子も食べてないでしょ」



 離せともがく瑛人に応じてすぐに手を離した蛍は、パッと小夜に向き直る。



「そうだ、小夜ちゃんを行きつけの駄菓子屋に連れてってあげなよ。少しは気晴らしになるかもよ」



「……短い時間になるけど、明日、出かけようか? 小夜」



「瑛人様の、ご迷惑にならないのなら……」



「そうそう、こういう時こそ息抜き大事だからね!」



 明るくふるまう蛍に押されるように誘うと、暗い顔をしていた小夜の顔が明るくなった。


 家族が行方知れずになって不安だろう小夜を、仕事を詰めることで労わっているつもりだった。


 だが、今回の反応で、近くで時間を共にすることも必要だったことに気づき、内心で蛍に礼を言う。


 蛍を見ると、わかってると言わんばかりにパチンと片目を閉じた。


 蛍には、いつまでたっても敵わないな、と小さく笑う。



 ***



 自動車で研究所を出て四半刻ほど進んだ町中に、駄菓子屋はあった。


 以前瑛人から貰った着物の中から、水仙柄のものを選び、髪を外巻きに編んだ小夜は、ひいき目に見ても美しい。



「ここが、瑛人様のお気に入りの場所なんですね」



 休暇中ということで、着流しに羽織を羽織った瑛人は、髪の色と瞳の色から、周囲の人々から遠巻きに見られている。


 小夜の目には美しく映る胡桃色の髪も、金茶の目も、黒髪黒目が主であるこの国では奇異の目で見られてしまうのか。と瑛人をかばうように前に出た時だった。



「あー、香月様だー‼ みんな、香月様が来たよー!」



 小さな女の子が瑛人を見つけて大声で仲間を呼ぶ。


 すると、わらわらと子どもたちが奥から出てきて瑛人を取り囲んだ。



「みんな、元気だったか?」



「香月様、最近来ないから心配してたんだよ」



「香月様、コマ回ししよ」



 子どもたちに囲まれている瑛人は楽しそうだ。


 ようし、と言って子どもの持ってきたコマを回して戦い合わせて遊び、おはじきで遊ぼうと言われたら着物が汚れるのも構わず、子どもと同じ目線になって遊んだ。



「香月様、この人誰?」



 後から出てきた子どもが、瑛人と子どもたちに笑顔を向けている小夜の裾を掴む。



「その人は、僕の婚約者だよ」



 瑛人があまりにも自然に紹介するので、子どもの前とはいえ恥ずかしくなり下を向く。



「婚約者ってなにー?」



「知らないのか? 将来結婚する相手ってことだぞ」



「将来の奥さんなの?」



「わぁー」



 子どもたちに取り囲まれた小夜は、扱い方が分からず、おたおたしている。


 そんな様子を見て、ふっと笑った瑛人は、子どもたちの中に入ってきた。



「そうだよ。僕の将来の奥さん。みんな、優しくしてあげてね」



 瑛人の言葉に、女の子たちがきゃあと叫び、男の子たちがわっとはやし立てる。



「うるさいね。人様の迷惑になるから、店先で騒ぐんじゃないよ」



 駄菓子屋の引き戸が開き、中から髪を島田に結った、恰幅の良い四十ほどのの女が出てきた。



「真式のおばちゃん、お菓子ちょうだい!」



 真式と呼ばれた女は、表に香月がいることを確認し、紅の引かれた大きな唇でニッと笑う。



「あんたら、また香月様にたかる気だろう。少しは遠慮しな」



「いや、いいんだ。この子たちの分は僕が払うから、選ばせてやってくれ」



「はいはい。あんたら、一人十銭ずつだよ! 欲張りにはおばちゃんが鉄拳落すからね」



 その歓声をあげ、子どもたちが駄菓子屋に入っていく。



「いつもありがとうございますね、香月様」



「子どもたちの喜ぶ顔は、嬉しいものだから」



「そうでございますか。香月様にも特別なものをご用意しておりますよ。おや、こちらの方は……噂のご婚約者様ですね。真式峰子と申します。どうぞよしなに」



「華峰小夜です。どうぞよろしくお願いします」



 峰子の迫力に気圧されながら礼を返す。


 峰子は、笑顔を浮かべているが笑っていない瞳で小夜を値踏みするように見ている。



「よいご婚約者様のようで、よろしゅうございました。つまらない駄菓子屋ですが、どうぞ中をご覧くださいな」



 厄介払いされたような気がしないでもないが、古い知り合い同士積もる話もあるのだろうと、引き戸の中に案内されると、そこは色とりどりの菓子やおもちゃが置かれた場所だった。


 かつて旭に連れられて行った駄菓子屋は、大人たちにばれないように見張る役回りだったため中を見たことがない。


 旭たちが出てくるときに、持っていたものを見て、お菓子やおもちゃがあるのだな。とぼんやり思っていたことを思い出す。


 中はこんな風になっていたのかと関心して見ていると、つんつんと裾を引かれた。



「一人十銭までだよ」



 と小さな女の子が、これまた小さな籠を手渡してくれた。


 ありがとう。と礼を言い、おそるおそる菓子に手を伸ばした。


 花串カステラ、南京豆、酢こんぶ、あんこ玉、きびだんご。どれも、瑛人が食後の甘味にと手渡してくれたものばかりだ。


 ふと目にしたキャラメルが気になり、一つ籠に入れる。


 瑛人は一向に中に入ってこないが、どうしたのだろう。と思いながら、ちらちら外を気にしていると、ようやく瑛人(あきと)が入ってきた。



「香月様ー! これがいい」



「私はこれ!」



「今日はこれ買うから、遊んでよ」



 入ってきたとたん、子どもに囲まれもみくちゃにされている。



「はいはい、ちゃんと並びなさいな」



 瑛人にむらがる子どもたちをいなした峰子が奥に行く。


 すると、子どもたちはきちんと並んで籠の中を見せていった。



「小夜は何か気に入るものはあった?」



「ええと……」



 子どもに交じって並ぶことが気恥ずかしく、そっと籠の中を見せる。



「以前、瑛人様にいただいてとても美味しかったものですから……」



 そっと瑛人を伺いみると、小夜から顔を背けていた。


不快に思ったのかと心配になったが、峰子のお熱いですねえという言葉が気になりよくよく見ると、瑛人の耳が真っ赤になっている。



「そんなもので良ければ、いくらでも。真式、店にあるキャラメル全部くれ」



 唐突にキャラメルを買い占めようとした瑛人に、峰子と小夜が目を丸くする。



「いいえ、一つでいいんです」



「いいや、この町中にあるキャラメル全部買おう」



「瑛人様。それでは、他の子どもたちが買えなくなってしまいます」



「それも……そうだね」



 なだめられて、しゅんとした瑛人が愛らしく、小夜がふふっと笑うと、きょとんとしていた子どもたちもわっと笑いだす。


 子どもたちにはやし立てられて赤くなった瑛人は、素早く支払いを終わらせ、恥ずかしさを誤魔化すように外で遊ぶよ。と出て行ってしまった。



「仲がよろしいようで、ようございます」



 背後から急に峰子の声がして驚いて悲鳴を飲み込む。


 気配が全くしなかったのだ。



「あ……ありがとうございます」



 振り返って峰子を見ると、じっと小夜の瞳を覗き込んできた。



「香月様は、あの髪と目の色でしょう。ご結婚されることを忌避されていらしたんですよ。ご自分の色が子どもに移ることを厭うていらして」



 峰子の言葉に、駄菓子屋の周辺で瑛人に向けられていた視線を思い出す。


 瑛人には異国の血が入っている。


 文明が開花され、異国との貿易が盛んになり、異人も出入りするようになってきたものの、帝国人と異人の子は珍しい。


 あんなに子どもが好きなのに、子どもを作ることを厭うていたということは、瑛人の過去は楽しいばかりのものではなかったのだろう。


 髪と目の色の話をしても、小夜の瞳に陰りがないことを確認した峰子はフッと笑う。



「それなのに、ご婚約者をここに連れて来られるまでになられて。うれしゅうございます。どうか香月様をよろしくお願いいたします」



 深々と礼をされ、慌てて小夜も礼を返す。



「私の方こそ、瑛人様にふさわしくあれるよう努めます」



 その言葉に、峰子は本当に嬉しそうに笑った。



「これからも、いらしてくださいね」



「はい」



 瑛人と峰子の仲は、小夜が思っていたよりも深いものなのかもしれない。

 



 峰子に送り出された駄菓子屋の外で、瑛人と子どもたちが遊んでいる。


 外に据えられた木製のベンチに、駄菓子を食べる女の子たちと並んで腰かけ、瑛人を眺める。


 楽しそうな瑛人を見ているだけたころでも、ここに来たかいがあった。

 日が傾きはじめ、子どもたちがわらわらと帰ってゆく。


 まだ帰りたがらない子どもが瑛人に抱きついて遊ぼうとせがんでいる姿を微笑ましく眺めていた。


 ふと、刺すような視線を感じた。


 視線をたどってみると、遠くのほうに旭のような女性がこちらを睨んでいるのが見えた。



「旭……?」



 季節はずれの日傘をさし、着物姿も華やかで、髪も綺麗に整えられている姿に酷い目にはあっていないことを知りほっと息をつく。


 瑛人に知らせようとベンチを立った時、耳元に囁くような声が聞こえた。



(お姉様一人でこちらにいらして)



 かなり離れた場所にもかかわらずはっきり聞こえた声に驚いて旭の方を見ると、遠目から見てもわかるほど美しく笑っている。


 旭は、あんなに美しい娘だっただろうか。



(香月様に知らせたら、この辺り一帯の人を殺すわ)



 再び聞こえた旭の声に、ぎょっと目を見張ると、より一層美しい笑顔をこちらに向けてくる。


 そして、ふいに踵を返し、ついてこいと言わんばかりにその場からゆっくり歩き出した。


 このまま旭を見失ってしまえば、二度と会えなくなるかもしれない。


 旭の変化に胸騒ぎを覚え、心の中で香月に謝り後を追う。


 見慣れない町で、帰路を急ぐ人の間を縫うように歩く旭の後を、人込みをかき分け懸命に追う。


 追っている内に日は沈み、あたりはすっかり暗くなり、人通りが少なくなっていく。


 すっと通りを曲がった旭を追い、駆け足で道を曲がる。


 そこは袋小路で、奥に日傘をさした旭が立ち止まり微笑んでいた。



「旭‼」



 ようやく見つけた妹の姿に安堵し駆け寄ろうとした瞬間、背後から誰かに殴られその場に倒れ伏す。



「……っ」



「おや、これで気絶しないとは。不思議な血を持つ人間は体も頑丈ですね」



 くらくらする頭を押さえ、上体を起こすと、そこにはニヤニヤ笑う夜光の姿が。



「夜光様、これでわたくしはあの醜い灰色の化け物ではなく、不老不死の美しい存在になれるんですよね」



 小夜を肩に担いだ夜光に、旭が嬉しそうに駆け寄った。



「よくやりました。この女の血は利用価値がありますからね」



「お姉様の血が?」



 額から血を流す小夜の姿を汚いものをみるように眺める旭に、夜光が軽薄そうに笑って答える。



「そうです。我々の力を封じる力を持つ血を持っていますからね」



「それならば、危険ではなくて?」



 遠回しに、今この場で片づけてしまっては。と問いかける旭を夜光がなだめる。



「うまく利用すれば、我々も太陽の下でも出歩けるようになるかもしれなせん。まだ殺してはいけませんよ」



 夜光の言葉に、はぁいと気の抜けた返事をした旭は、日傘を一回くるりとまわし、得意気に畳んだ。



「陽の光が刺すように痛かったですわ。わたくしの体も変化してきているということですわよね」



 陽の光が痛いという言葉に、小夜がピクリと反応する。


 旭の体が変化してきている。


 これから屍食鬼になるのか、それとも吸血鬼に変わるのかまだわからないというだ。



「まだ変化途中だというのに、太陽の下に出られない我々のためによく頑張りましたね。帰ったら褒美をあげましょう」



 くふっと笑った夜光に笑いかける旭は、とても美しかった。



「旭、香月研究所に行きなさい。そこで血清を打つの! そうすれば、体の変化はおさまるから」



 夜光の肩の上でもがき叫んだ小夜は、二人から冷ややかな視線を送られる。



「うるさいですわ、お姉様」



 ふわりと小夜の前に顔を寄せた旭は、愛らしく笑う。



「わたくしはね、選ばれた人間なんですの。今までも、そしてこれからも」



 大和の通夜の席から逃げ出した旭は、夜の街をさまよい歩いているうちに夜光に保護された。


 夜光は、不老不死の儀式を終えた後の大和の様子を秘密裡に見に来ていたのだ。


 夜光に保護された旭は、必ずしも旭がなりそこないになるわけではないという説明を受け、夜光の元で体の変化がおさまるまで経過を観察されることになった。


 万が一なりそこないになるようなら、助けると言われ、夜光を信じたのだ。



「選ばれたわたくしが、霧城子爵のような化け物になると思って? わたくしはね、不知火侯爵のような美しい不老不死の存在になり、この国の夜闇に君臨するんですわ」



「そんな……」



「行儀見習いから返された時は、どうしてわたくしが。と思いましたが、夜光様から不知火侯爵が不老不死の存在だと聞いてわかったんですの」



 夜光と行動を共にするようになった旭は、不知火侯爵の秘密を知った。


 そこで、行儀見習いから返されたのは、その秘密を知られたくなかったためだ。と脳内で好意的に解釈したのだ。



「返されたときのわたくしには、侯爵の隣に並び立つだけの資格がなかったと。不老不死の存在になってこそ、本当の意味で選ばれるのですわ」



 そして今、自身が吸血鬼になると疑っていない旭の心境は無敵だ。



「今なら、わたくしにその資格がありますわ」



「あなたは……霧城子爵を愛しているのではなかったの?」



「誰があんな醜い嘘つき老人」



 吐き捨てるように言う旭に、夜光が楽しそうに笑う。



「わたくしを夜光様の下に導いてくれたことは認めますが、嘘つきも醜いものも嫌いです」



 大和が一時的に若さを手にしたように、旭は魅了を開花させていた。


 夜光の元にいる間、血こそ吸わなかったが虜にした人間は数知れない。



「今のわたくしなら、誰もが恋に落ちると思わなくて?」



 自身の魅力に酔いしれている旭は、夜光に担がれている小夜の顎をとり、瞳に映った自分の姿をうっとり眺める。



「香月様も、わたくしのとりこにしてさしあげようかしら」



 頬を掴む旭の瞳を睨む。



「なんですの? その目は」



「あなたには、渡さない」



「はあ?」



 姉が自分に逆らったのだと理解した旭は、瞬時に怒り、夜光の肩から小夜を叩き落とす。



「華峰の家を出たからといって調子に乗りすぎですわよ!」



 地面に転がった小夜の両肩を掴みがくがく振る旭に、夜光は呆れたような視線を送るが、止めには入らなかった。



「殺してはいけませんよ。気が済んだらこちらによこしなさい」



 振り上げられた旭の手で頬を幾度もぶたれ、唇が切れて血が流れる。



「おやおや、かぐわしい香りにつられてきてみれば、何をしているんだい?」



 闇に浮かぶ月を、蝙蝠の形の影が遮ったと思うと、影は人の形になり、その場に降り立った。



「十夜様」



「やあ、夜光。君は何をしているのかな?」



 十夜の出現に夜光がうやうやしく礼をする。しかし、表情は苦々し気だ。



「我々吸血鬼の未来を切り開く可能性のある女の確保ですよ。我が王よ」



「この子は僕のお気に入りなんだ。手を出さないでくれるかな?」



 ちらりと小夜に視線をやると、旭が小夜を掴んでいた手を離す。解放された小夜は、地面に投げ出された。



「十夜様が、我々の未来を輝かしいものにしてくださるというのなら……」



「それなら何十年か前に言ったじゃないか。この国には吸血鬼も屍食鬼も必要ない。我々は、人々に知られないよう生き、そして忘れ去られていくんだと」



 苦々し気な夜光の言葉に、呆れ果てたように十夜が肩をすくめた。


 自身が目指す未来に興味のなさそうな十夜の姿に、夜光は牙をむき出し激昂する。



「いいえ、いいえ。我々は、人間よりも優れた生き物です。なぜ、そんな我々が忘れ去らなければならないのです‼ この娘の血を調べれば、昼も出歩けるようになるかもしれないのですよ」



 小夜の血を飲んだ夜光は、一時的に吸血鬼の能力を失い人間化した。


 その際、吸血鬼でいた頃には銀の刃で全身を刺され続けるような痛みを伴っていた太陽の下での行動が、何の痛みも感じなくなっていたのだ。


 一定時間たった後に、能力が戻った夜光は、あの血を研究すれば、昼でも容易に活動できるのではないかと考え、小夜を手に入れる機会を狙っていたのだ。



「さっきもいっただろう。夜光、お前は手を出すな」



 しかし、夜光を吸血鬼にした主でもある十夜は、夜光の考えに賛同してくれない。数十年前、吸血鬼を増やしこの国で勢力を拡大しようと主張した夜光と、反対した十夜は袂を分かった。


 その関係は、今もなお変わらないようだ。



「くっ……。後悔なさらないよう……」



 十夜と夜光では力量に大きな差がある。


 力では敵わないと悟った夜光は、悔しそうな顔で旭に撤退を命じ、夜の街の中に消えていった。



「さてと、自ら危険に身を投じた身の程知らずな子はどこの子だい?」



「助けてくださって、ありがとうございます」



 差し出された十夜の手を避け、立ち上がり深々と礼をする。


 残念そうな顔をした十夜は、すぐに手をひっこめ、白いハンカチを差し出した。



「あなたの血の匂いに気づかなかったら、あのまま攫われていたんだよ。少し、警戒心を持ったほうがいい」



 無謀な婚約者を持った香月の坊やは大変だね。と笑う十夜に警戒の目をむけながら、袂からハンカチを取り出し額と口の端の血をぬぐう。


 ハンカチまで断られた十夜は唇を尖らせ、拗ねたような表情をしている。



「旭は、吸血鬼になってしまったんでしょうか……」



 問いかけられた小夜の言葉に、嬉しそうな顔をした。



「あれの研究で、一時的に吸血鬼の能力を開花させるなりそこないが作られるようになっているんだよ。あなたの妹もその類じゃないかな」



 本当は秘密なんだけどね。とおどけて言う姿に、旭のことを思いうつむく。



「吸血鬼も屍食鬼も増やしてはいけないのではないのですか。どうして、そんなことを……」



「ああ、僕はね。あとは、秘密」



 自らの唇に人差し指を当てた十夜に、これ以上質問することは出来なかった。



「さ、あたりは夜だ。女性が一人で歩くには危ない。香月の坊やの元までエスコートしよう」



「結構です」



「おやおや」



 差し伸べられた手を無視して、ふらふらしながらも元来た道を歩き出す。


 その後ろを十夜がてくてくとついてくる。一定の距離をあけているのは、彼なりの気遣いなのだろう。



「これから、あなたの血を求める者は増えていくよ。香月の坊やがあなたを守るには、力が足りない部分も出てくるかもしれない。香月の坊やを守るためにも、僕の元にこないかい?」



 人気のなくなった町の道、十夜の声が大きく響く。



「……私が、瑛人様のご迷惑になることは承知しています。でも、瑛人様からいらないと言われない限り、離れることはありません」



 できるだけ十夜と距離をとろうと足早に歩くが、一向に距離は離れない。



「どうして? 香月の坊やだって、あなたの血が目当てで婚約しただろうに」



 痛い部分を突かれ、しばらく無言で歩く。


 小夜の血に有用性がなければ、瑛人と関係を築くことも出来なかっただろうし、婚約も結べなかっただろう、という思いはいまだに持っている。


 それでも瑛人は、小夜と真摯に向き合ってくれていた。



「たとえ、血が目当てだとしても……私を好きだと言ってくださいました」



 呟くように落された小夜の答えに、十夜が呆れた声を上げる。



「……まるで鳥の雛だね。生まれて初めて見た相手を親だと思い込む」



 地面を蹴り、宙で回転した十夜が小夜の前に音もなく降り立った。



「はじめにあなたを救ったのが僕だったら、僕を選んでくれた?」



 問いかける口調は軽かったが、目は真剣だ。


 断りの言葉を口にしようとした時、道の先から瑛人(あきと)が走って来るのが見えた。



「私の婚約者に何の御用でしょう、不知火(しらぬい)侯爵」



 かなりの時間小夜を探していたのだろう。冬だというのに汗だくで、着物も着崩れた状態の瑛人は、かばうように小夜の前に立ち十夜を睨む。



「やあ、香月の坊や。君の目が届かないところで、危険な目に遭っていた婚約者殿をお送り差し上げただけだよ」



 必死の形相で小夜を守っている瑛人(あきと)を十夜がおちょくる。



「申し訳ございません、瑛人様。人込みの中で旭を見かけて、思わず追いかけてしまいました」



 瑛人に何も言わずに旭の誘いに乗ってしまったことに、今更ながら後悔の念が沸いてきて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。



「怪我を……」



「申し訳ございません……」



 小夜の額の傷を見とがめた瑛人に、謝ることしかできなかった。


 このまま責めてしまえば、小夜が自分自身を責めてしまうと思った瑛人はぐっと拳を握る。



「次から、必ず僕を呼んでほしい。そうでなければ、外出には連れていけないよ」



 怒りをかみ殺したような声に、はいと小さく返事を返していると、からかうような十夜の声が響く。



「おやおや、目を離した自分のことは棚上げかい? 小夜ちゃん、やっぱり僕の元に来ない?」



「お断りします」



 目に見えて苛立ち始めた瑛人を刺激しないよう、すぐさま断る。


 一瞬悲しそうな顔をした十夜だったが、すぐに楽しそうに笑う。



「これで断られるのは何度目だろうね。香月(かげつ)の坊やも来たことだし、僕はこれで退散させてもらうよ」



 くるりとその場で回転した十夜は、蝙蝠に姿を変え、そのまま飛び去って行った。


 苛立った雰囲気の瑛人と残され、どれだけ怒られるだろう。と、瑛人の視線に怯えていると、両肩に手を置かれ大きく息をつかれた。



「どれだけ心配したと思ってる。もう二度とこんなことはやめてくれ」



「怒らないん……ですか……?」



「怒る人間は苦手だろう」



 瑛人は、華峰家でいつも怒られ暴力を振るわれてきた小夜が、怒ってい人間を見ると体をこわばせることに早くから気づいていた。


 突然行方が知れなくなり、懸命に探した挙句十夜に口説かれているところを見た瞬間、頭に血が上った。


 旭を見つけたと、瑛人に何も言わずに出ていった短慮もしっかり注意したいところだが、小夜の過去を考えると、言い方や雰囲気には気を配らなければならない。


 怯えさせたいわけではないのだ。



「あ……ありがとう、ございます……」



 戸惑うように瞳を伏せた小夜を見て、この対応で正解だったのかどうか不安になった。



「さあ、帰ろう」



 だが、差し出した手におずおずとだが手を重ねてくれたことで、その不安は消え去った。



 

 ***



 採血の日が来たので研究所に行くと、さっそく頭に巻いた包帯を隼に見とがめられ説明を求められる。



「女の子がこんなに傷を作っちゃだめよ」



 先日、小夜が危険な目にあったことで蛍が泣いて手当してくれたのだ。


 外出を進めてしまった自分が悪いとぼろぼろ涙をこぼす蛍に、勝手に瑛人の元を離れた自分が悪いからと言っても通じなかった。


 自分のしでかしたことの結果で怒られることよりも、泣かれることのほうが辛かった。



「すみません……。血に影響がないといいんですが」



「そうじゃなくって、もう。自分を大切にしてっていつも言っているでしょう」



 隼は、蛍の巻いた包帯を取り、改めて傷を確認し手当してくれた。


 黙って手当されることは気まずかったが、皆に心配をかけてしまったことが今更ながら悔やまれる。


 これまでは小夜を心配するものなどいなかった。


 だが、これからは違うのだ。


 自分を大切にしなかったことで、泣いてしまう人がいる。


 巻かれていく包帯の感触を感じながら、そっと自分の胸に手を当てる。



「離れの生活に不自由はない?」



「不自由なんて……。ありがたいことばかりです」



 研究所に運ばれた時に比べると、小夜は健康的で美しくなった。


 定期的に血を提供するだけで、日々の食べ物に困らず、湯のたっぷりはられた風呂に入れ、夜もふっくらした布団で寝られる。


 気がかりなのは、旭のことだ。


 吸血鬼の仲間入りをしたと思っている様子だったが、十夜が言うにはまだわからない状態にあるらしい。


 このまま血清を打たずにいたら、遅かれ早かれ手遅れになるかもしれない。



「なーに考えてるの?」



「あ……なんでもないです」



 旭のことは、瑛人が捜索してくれている。


 これ以上、自分の悩みを外に出すわけにはいかない。と口をぎゅっと引き結ぶ。

 そんな様子の小夜を、隼は苦笑いして見ていた。


 腕をゴム管に繋ぎ血液を採っている間、隼がカルテを書いている。


 ぼうっと管を流れる赤い血を眺めていると、ぽろりと口から言葉が漏れた。



「私の血、役にたってますか?」



「もちろんよ。小夜ちゃんのおかげで研究が進んでいるわ」



 具体的なことは言えないけどね。といたずらっぽく笑う隼に、固い愛想笑いを返す。



「小夜ちゃん」



 小夜の変調に気づいた隼は眼鏡を外し、小夜の傍に座った。



「もしかしてだけど、自分には血を提供することしかとりえがないとか思ってない?」



「いいえ、そんなこと……」



「私はね、あなたの健康的な血が欲しいの。悩み事は血の質を曇らせるわ。私の仕事はね、あなたを心身ともに健康にすることなの。だから、よかったら話してちょうだい」



 微笑み、手に手を乗せる隼に、ずっと心に引っかかっていた想いを話す。



「私の血が必要でなくなったら……瑛人(あきと)様の関心は離れてしまうでしょうか……」



 重々しく放たれた言葉に、隼がぷうっと噴き出した。


 思わず隼を見ると、腹を抱えてくっくと笑っている。



「酷いです……そんなに笑わなくても」



「ごめん、ごめん。そんなに可愛い悩みだとは思わなくって」



 笑い過ぎて出てきた涙をぬぐった隼は、満面の笑顔を向けた。



「あのね、私から見たら、坊ちゃんのあなたへの好意はだだもれよ。こんなこと珍しいのよ」



「それは……」



 瑛人が小夜のことを憎からず思っていることは、周囲からも言われ続けてきた。告白されたときも涙が出るほど嬉しくて、一生ついていこうと思った。


 それなのに、先日の十夜の言葉で簡単に揺すぶられる自分が情けない。



「確かに、婚姻関係を続けているうちに不仲になる男女は多いわ。でも、それは実際に生活してみないとわからないことだしね」



「そうですよね……」



 小夜は、産まれてこのかた、冷え切った自分の家庭しか知らない。


 家族から愛情をかけられたという思いも薄い。


 こんな自分が、瑛人の満足するような家庭を築けるのだろうか。


 考え込んでいる小夜の前で、隼がぼそりと自信が持てないのは育ってきた環境のせいかしら。と聞こえないように呟いた。


 そして、ひたと小夜の目を見て、語り掛けるように言葉を紡ぐ。



「あのね、確かに小夜ちゃんと坊ちゃんの婚約は、あなたの血という特殊なものが結んだという事実はあるわ」



 突かれたくない言葉に、小夜の肩がびくりと揺れる。



「その一方で、小夜ちゃんは家の借金を返してもらったという負い目もある」



 自身の負い目が気まずくて視線を手元に落す。



「でもね、私は打算のある結婚でもいいと思うのよ。だって、どんなきっかけでもそこから打算のない愛は築けるもの」



 この国で恋愛結婚は珍しい。


 結婚は家同士の結びつきといった意味合いが強く、自分の意思で結婚相手を選ぶことは一部の例外を除いてできない。


 結婚相手は家長が選び、異議を唱えることは許されない。


 形だけの結婚。形だけの夫婦は多い。


 隼の家もそんな家庭の一つだった。


 隼が語っているのは、自身の理想だ。



「坊ちゃんと小夜ちゃんは、それができる人だと思うの」



「宇佐美先生……」



 隼の願いを託すようにぎゅっと握られた手を見つめ、そっと視線を合わせると、真剣な表情はすぐいたずらっぽい笑顔に変わる。



「それに、坊ちゃんの気持ちを信じてあげないなんて可哀そうよ‼ あんなにアプローチしてるのに」 



「それは……そうですよね。ごめんなさい」



 ぱっと顔を赤くした小夜に、ニヤリと笑う。


 小夜と婚約してからの瑛人は、小夜を前にすると、隼の目からみてもデレッとしている。


 今が一番楽しいはずの時期なのに、鬱々しているなんてもったいない。



「小夜ちゃんに足りないのは自信ね。簡単には持てないかもしれないけれど、まずはあなたを好きな人を信じてあげて」



 隼の言葉にはっとした顔をした小夜が、はいと小さく頷いた。



「よーし、今日は小夜ちゃんのために、お茶しましょ。息抜きも大切だからね。楽しいことをしないと鬱々するものよー」



 話しているうちに採血は終わり、小夜の腕から手際よく針を抜き脱脂綿を渡した隼は、とっておきの紅茶があるの。と戸棚から紅茶缶を取り出した。


 戸棚には、紅茶のほかにビスケットが隠されており、仕事中の息抜きに食べている。


 内緒ね。とふるまわれたものはどれも初めての味わいで美味しかった。


紅茶は香り高く、ビスケットはサクサクとして程よい甘さだ。


 隼は恋愛話が好きらしく、瑛人(あきと)の話を沢山聞いてきた。


 小夜が離れでの瑛人の話をするたびに、きゃーとかわぁーとか歓声をあげ、楽しそうに話を聞いてくれる。


 他にも、隼は瑛人の幼少期の話や最近の研究所での話も聞かせてくれた。



「すっかり遅くなっちゃったわね。送っていくわ」



「いいえ、一人で帰れますから」



 眼鏡チェーンで肩に下げた眼鏡をかけなおした隼に一礼すると、額を軽く小突かれる。



「そんなこと言って不知火の連中に襲われたじゃない。ここは守りがあるけど、侯爵は突破していたしね。用心するに越したことはないわ」



 外はすっかり暗くなっている。


 ここは隼の言葉に甘えようと、小さく謝り、よろしくお願いします。と頭を下げた。


 その瞬間、研究所全体がドンと揺らぐ。



「なに? 地震⁉」



 とっさに小夜をかばった隼が、揺れが収まったことを確認して廊下に出る。



「襲撃です! 守りが破られ屍食鬼たちが押し寄せてきています‼ 宇佐美先生と華峰さんはそこで待機していてください」



 建物が揺らいだのは守りが破られた衝撃からだった。


 小夜の護衛として診察室の前にいた三条が、状況を把握し隼に伝え、飛び出していった。


 隼の顔色がさっと青くなり、診察室に戻るとドクターバッグに治療道具を詰め込んだ。



「小夜ちゃんはここにいて! 私が出たら鍵をかけて隠れているのよ!」



「宇佐美先生は」



「十中八九怪我人が出るわ。私は救護に回るわ。屍食鬼たちの狙いは、おそらくあなたよ。決してそこから出ないで! 私か坊ちゃんが迎えに来るまで待ってて」



 小夜の返事を待たずに隼は飛び出す。


 隼に言われた通り震える手で戸の鍵を閉めた。

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