第12話 薄幸令嬢と通夜の席

冬も深まり、朝、外に出ると日陰に霜柱が立つようになっていた。


 屋根にはつららが垂れさがり、顔を洗うのも億劫な気持ちになる。


 朝の身支度を終え、台所の水瓶に水を汲んだ小夜は、手際よく朝餉作りを始めた。


 瑛人と蛍の献身の結果、すっかり健康を取り戻した小夜は、隼からもお墨付きを貰い、家の家事を蛍と分担するようになっていた。



「うー寒い。今朝も早いね、小夜ちゃん」



「おはようございます、蛍さん」



小夜と蛍が朝餉を用意し終わったころ、瑛人が離れに到着した。


 笑顔で瑛人を迎え入れた小夜は、暗い表情をした瑛人の様子に声をかけるのをためらう。



「霧城子爵が亡くなったそうだ」



 今朝、瑛人の屋敷に華峰家から知らせが来て分かったことのようだ。


 小夜が研究所で世話になることが決まってから、瑛人は小夜の父である華峰蒼と定期的に連絡を取っていた。


 始めは、小夜のことは菖蒲に任せている。


と、小夜を返すよう言い募っていた菖蒲に同調を見せていた蒼だったが、話が小夜の血の特異性になると、家の者に知られないようにしてくれたらあの子をどう扱っても構わないと言い出し、菖蒲を止める姿勢を見せた。


 雇っているとはいえ、仮にも嫁入り前の娘を預かっているので、定期的に連絡を入れていたのだ。


 今回の連絡は、瑛人が定期連絡を行っている使いの者の帰る便に便乗してのことだった。



「そんな……どうして……」



「前回、屍食鬼が出た夜から失踪していたが、先日遺体になって帰ってきたそうだ。同時に、霧城子爵の息子だという人物も一緒に帰ってきたようで、霧城家は今大騒ぎしていると」



「息子……」



「そうだ。霧城家の権利と、婚約者を譲ると書かれた遺書を持っていたそうだ」



「譲るなんて、小夜ちゃんは物じゃないよ」



 小夜の身柄は、華峰家の家長である蒼と、婚約者である霧城大和の元にある。


 蒼が研究所で仕事をすることを黙認したのは、大和の行方が知れなかったからだ。


 大和の遺書に書かれているように、霧城家は華峰家との縁を手放すつもりはないようだ。 


新たに婚約者になる者がどのような人か分からないが、これまでのように研究所に住まわせてくれるかどうかわからない。



「それでは……お通夜とお葬式に行かなければなりませんね」



 気づかわしげな瑛人と蛍を前に、小夜は背筋をただす。


 本心で言えば、泣き言を言って隠れてしまいたかった。


 けれど、それをしてしまえばこれまで自分をかばい、かくまってくれていた瑛人たちに迷惑がかかる。


 小夜にできることは、自分に与えられた責任から逃げないことだけだ。



「でも、今ここから出ていったら……」



 蛍の言わんとしていることは全て言わなくとも伝わった。


 室内に重い沈黙が流れる。



「霧城子爵にはお世話になりましたから。改めて、新しい婚約者から研究所で働く許可も得てこようと思います」



 居住まいをただし、瑛人と蛍に礼をする。



「護衛をつける。婚約者が代わるとはいえ、君が不知火家から狙われていることには変わりないからね」



「ありがとうございます……」



「これを。手紙と共に華峰家から届けられた」



 瑛人から渡された包みを開くと、華峰家の紋の入った喪服と数珠が入っていた。


 喪服を見て初めて、大和が亡くなってしまったということに実感が湧く。


 大和が小夜に会いに訪れる都度、恐怖に包まれていたことが嘘のようだ。


 叩かれることを恨みに思ったことはない。


それが小夜の役割だと自覚していたから。


けれど、血を流す小夜を見ながら密かに笑う大和に対し、嫌悪感のようなものを抱いていたことは否定できない。


 霧城家に嫁せば、腕だけでない部分も折檻の対象になるだろうと恐怖に怯えた日もあった。


 研究所で働いていた日々の間、蒼からは見逃されていたものの、行方不明の大和が見つかれば体裁が悪いと華峰家に連れ戻されるかもしれないと不安に眠れない日もあった。


 行方知れずの大和が見つからなければいいと内心願っていた。


 けれど、死んでほしいとまでは思ってはいない。


 複雑な心境だ。


 喪服を手に、じっと動かない小夜を前に、瑛人と蛍は静かに席を外す。




 夕刻、霧城邸まで自動車で送ってもらった小夜は真っ白な布団に横たえられた大和の傍に控えていた。


 処置を施された大和の顔は、どこか別人のように見えて。


通夜に集まった大和の親族たちも、これが霧城子爵だとは思えない、と声を荒げている。


 声を荒げた親族たちの言葉を一身に浴びているのは、大和の死と同時に現れた大和の息子である霧城大河だ。


 大和には、長年連れ添い先立たれた妻がいたが、子どもはいなかった。


 突如として大和の遺言書と大河が大和の息子であることを示した戸籍を持ち現れた大河は、親族たち共通の敵だ。


 通夜ぶるまいの席でも、大河は親族たちに引っ張りまわされ本当に息子なのかと遠回しに問い詰められている。


 離れた席に、蒼と菖蒲と旭が陣取り遠巻きに小夜を見ては何事かを話していた。


 菖蒲に会ったら、嫌味の一つでも言われるかと思っていたのだが、通夜の間から今まで近寄ってすらこず、少々拍子抜けた。


 大和の婚約者であり、今回爵位も財産も相続する大河の婚約者にもなる存在として、小夜への周囲からの視線は厳しいものだった。


 怪しい場所で働いているらしいとか、男の多い場所らしい。


など、小夜の粗を探しては引きずり落そうとしている親族たちの聞えよがしの陰口が途切れない。


 なんともぎすぎすした通夜の席だ。


 並べられた豪華な食事に手をつけることなく、黙って控えている小夜の元に、通夜にはふさわしくない笑顔を浮かべた旭が近づいてきた。



「ごめんなさい、お姉様。わたくしはダメだと申し上げたんですが」



 謝っていながら、得意気な顔でふふふと笑う旭の元に、大河がやってきて肩を抱く。



「謝る必要なんてないさ。父の婚約者でありながら、父が行方知れずなのをいいことに勝手に仕事になどついていたふしだらな娘だ。僕の婚約者にはふさわしくない」



「でも、子爵の遺言にはお姉様を大河様の婚約者にとあったのでしょう」



「父も小夜さんがこんな娘だとは存じていなかったのでしょう。父が見つかり、華峰邸に小夜さんを迎えに出向いたとき、事実を知って僕がどれほど悲しい思いをしたことか」



「ああ、元気をお出しになって。大河様」



 目の前で繰り広げられているのはなんの茶番だろう。



「傷ついた僕を慰めてくれたのが、旭さん。あなただった」



「まあ」



 両手で染まった頬を両手で隠す旭を、大河が抱き寄せ、通夜ぶるまいの席に向き直る。



「お集りのみなさん、本来であれば、父の遺言通り華峰小夜さんは、私こと霧城大河の婚約者になるのでしょう。しかし、彼女は私のみならず、父である霧城大和の婚約者にもあるまじき行いをしていました。よって、ここに婚約を破棄し、妹の華峰旭さんとの婚約を宣言します」


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