第7話 薄幸令嬢の血の力
「吸血鬼。と彼らは名乗り、我々もそう呼んでいる」
一息に説明されたものは、到底信じがたいものだった。
「まるで……おとぎ話のようですね……」
「おとぎ話ね。それならよかったんだけど。不知火家は長い年月をかけて力を持つようになっていてね、屍食鬼を不死の兵として扱う研究なんていうものにも手を出しているという噂なのよ」
なんでも、屍食鬼の口内には数多くの菌が潜んでおり、少しでも噛まれると同じように理性を欠いた生き物になってしまう。
そのことを聞かされ、自分も噛まれてしまったことを思い出しぞっとした。
「最近、不知火家がもともといた以上の屍食鬼を作っているのではないかという話も出てきていてね、私たちは警戒を強めていたの」
女学校で噂されていた事件も、屍食鬼(ししよくき)が起こしたものが多いという。
しかし、責任を追及された不知火家は、もともとの規定数の屍食鬼しか存在していないと主張し、不知火家が管理していない野良の屍食鬼に関しては無関係を貫いている。
「私たちは、吸血鬼や屍食鬼の生体を研究している政府機関の一員なの。この子は、ここの所長の息子で、あれらが起こす事件を処理する軍の部隊の隊長ね」
「そうなんですか……」
突然、非日常的な話を聞かされた小夜は目を白黒させている。
瑛人が所属するのは、特務陰陽機関の中にある特務陰陽部隊という軍の組織だ。そこで、民間人には知られないように吸血鬼たちの研究と討伐を行っていると言う。
民間人には秘密だと言いつつも、小夜には語られていることに戸惑う。
そんな小夜に、隼は真剣なまなざしを向ける。
「私たちの研究はね、不知火家に頼らず屍食鬼を殺す方法を探すことなの。そこで、あなたの力を借りたいのよ」
「私の……力?」
今では、香月家の研究の成果から銀の剣で首を切り離し、火葬することで屍食鬼の復活を防ぐことができるようになったことが分かったそうだ。
火で焼き、灰にまでしないと、銀の剣で切り離した程度では首と胴体それぞれが活動してしまうほど生命力が強い、と困ったように隼が語る。
昨今町を騒がせている野良の屍食鬼たちは、瑛人が率いる特務陰陽部隊が対処にまわっている。
「ここからは僕が言うよ、隼」
自分に話が向けられ、驚いている小夜と視線を合わせるように瑛人がベッド脇に膝まづく。
「君の血液を飲んだ屍食鬼が、首を切り離しただけで絶命したんだ。それも、屍食鬼である灰色の肌色も牙も無くした状態で。まるで普通の人間のようだった」
瑛人の言葉に小夜は体を強張らせた。
言っている内容の意味はよくわからなかったが、それが特別な意味を持つことは言外に語られていて。
「君が寝込んでいる間に、血液を調べさせてもらった。その結果、君の血液は、屍食鬼を人間化する作用があるかもしれないことがわかったんだ」
「それは……つまり……」
「君の血を分析して、薬を作ることができれば、屍食鬼にされた人々が人間に戻るかもしれないということだ」
それと、不死の吸血鬼を人間化することもできるかもしれないね。と呟いた瑛人の声は、小さすぎて小夜の耳には入らなかった。
しかし、隼の耳には入ったようで気をつけろというように瑛人を睨んでいる。
「君の血は、我々にとって特別なものなんだ」
緊迫した雰囲気に、小夜はごくりと唾をのむ。
これまで、自分に流れる血を忌むべきものだと思ってきた。
卑しい女の血を引く娘と蔑まれ、事あるごとに華峰家の正当な跡継ぎである旭と比べられてきた。
血を流した日は、黒い影に群がられ怖い思いをしてきた。
こんな血が人様の役に立てるとは到底思えない。
「突然……そんなことを言われても困ります……」
「そ……うだよね。吸血鬼のことも屍食鬼(ししよくき)のことも、本来なら君は知らなくてもいいことだったんだ。このままここで体を癒したら、家に帰ってもらって平穏に暮らしてもらうつもりだったしね……」
「家」と言われ、小夜の体が強張る。
脳裏によぎった怒れる菖蒲の顔に、知らず知らずのうちに震える自分の体を抱きしめた。
その様子を見ていた瑛人は、複雑そうな顔をして、それからキッと表情を整える。
「君さえよければ、家には帰らず、この研究所で働いてもらえないだろうか。住居として、研究所の離れを提供しよう。仕事の内容は、定期的に君の血液を研究のために提供してもらうことだ」
はっと顔を上げた小夜の瞳が、瑛人の瞳とぶつかった。
家の蔵で寝込んでいて、気が付いたらどこだかわからない場所に運ばれていた。
周囲は見知らぬ人ばかりで、唯一瑛人とだけ会ったことがある。それも一度だけだが。
怪しい誘いに乗ってしまっていいのだろうか、と小夜の心が揺れ動く。
だが、このまま帰ったところで、小夜に待っているのは今までよりも酷い扱いだろう。
「でも……帰らなければ……」
「叩かれてしまう?」
飲み込んだはずの言葉を瑛人が続けたことに驚いてびくりと肩を震わせた。
菖蒲は、外部では良き妻、良き母、血のつながらない子を許容し育てる良き義母としての顔を見せている。
にもかかわらず、外部の人間に小夜への折檻が露見してしまったのだ。外聞の悪さに、女学校にも通わせてもらえなくなるかもしれない。
家を出て働くという選択をすることで、二度と華峰家の敷居はまたげなくなるだろう。
この研究所で働けたとしても一時的なことかもしれない。小夜の血が必要無くなり、追い出されたらと考えると、折檻を受けたとしても華峰家に帰ったほうがいいのかもしれない。
家に帰らなければ、という強迫観念に似た考えに支配されてしまった小夜は、それでも家に帰るという言葉が口に出せずに荒く呼吸する。
「協力してくれるのなら、住居に加えて三食と給金も保証しよう。君の血が必要無くなったときには、落ち着き先を紹介する。大丈夫。ここには君をぶつ者はいない」
呼吸が苦しい中、背中を撫でられた。
優しい手の温もりに、少し落ち着き視線を上げると、困ったように眉根をよせた瑛人の瞳とぶつかった。
ああ、月の瞳だ。
本来は金茶の色をしている瑛人の瞳は、窓からの月の光を帯び白金色に見える。
優し気な瞳の色と眼差しを見ているうちに、思わず小夜は頷いていた。
「そうか、よかった!」
小夜が頷いたとたん、太陽のようにぱあっと笑った瑛人の顔に釘付けになる。
自分の行動でこんな風に笑顔を見せてくれる人間はいままでいなかった。
向けられるのは、侮蔑を込めた笑みか、迷惑そうに顰められた顔か、困ったような顔か、憤怒の顔だ。
瑛人の笑顔を見ているうちに、呼吸が落ち着いた。
小夜の呼吸に合わせるように共に呼吸し、背中を撫でてくれる存在になぜだか胸の奥が温かくなってくる。
「私……もう、帰らなくていいんですね……」
凍てついていた心の氷が溶けてゆくかのように、目から涙が涙が零れ落ちていく。
「ここの職員である以上、僕が君を守るよ」
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