第4話 ウェブカメラ

 彼女の家の前にある公園のイチョウが黄色くなるころ、ぼくは花音のことをよく知っているといえた。

 いつも歩道から見上げる彼女の部屋のカーテンの色。よく行くスーパー、コンビニ、お気に入りの服屋。

 早起きの苦手な彼女はいつも夜のうちにごみを捨ててしまうので、朝になるとのら猫に荒らされたごみ袋から彼女の好きなお菓子のパッケージや、よく買う商品のパッケージなどを見ることができた。おかげで、いつも使っているシャンプーやリンス、柔軟剤もわかった。

 不思議なことに、そうしてぼくの中に彼女の情報が溜まっていくたびに、ぼくの中では彼女のことをもっともっと知りたいという欲望がふくれあがっていった。

 そして、ぼくは日曜日、電気街に出かけた。

 店員はとても親切だった。

 恋人が浮気しているかもしれないので、彼女に知られることなく監視をしたいというと、あれこれと商品を見繕ってくれた。小さくて高性能の商品が、驚くような安い値段で売られていた。電源はどうしたらいいのかという問題も、店員のおかげで簡単に解決した。ネット経由で、いつでもスマートフォンで画像は確認できる。

 まだ見たことのない彼女の寝顔を見られるかもしれないと思うと、どきどきしすぎて気が遠くなるようだった。

 それから数日して、あの合鍵を初めて使って入った彼女の部屋は、なんとなくよそよそしい感じがした。

 花音は落とせない授業を受けているので、しばらくは絶対に帰ってこないはずだ。

 ぼくの住んでいる部屋とよく似た間取りだった。部屋の中身は当然かなり違うが。

 玄関を入ると小さなキッチンとユニットバス、その奥のドアは、あわてて出かけたように開いていた。左手にベッドが見える。ドアの隙間からそっと入ると、右の壁にくっつけて勉強机と兼用のこたつがある。その冬支度はまだなのに、壁際にハンガーで吊るされたコートは真冬のような重装備で、そのアンバランスさが少しおかしかった。

 窓に向けられたベッドヘッド部分は小さな棚になっていて、文庫本やコミックスなどが無造作に積まれていた。その棚の上に高さ三十センチほどの不恰好な青銅色の像が置いてある。手にとるとずっしり重く、裏を見ると、「2-3松下花音」と掘り込んであった。きっと高校の美術の時間に制作したものなのだろう。

 こたつの上にはノートパソコン。パソコンの前にはカップが置かれていて、朝食のあとらしいパン屑も少し落ちていた。カップの中身はコーヒーではなくココアらしい。そういえば、寒くなってからは喫茶コーナーで飲んでいるのはいつもココアだ。

 窓際のカーテンは黄色い花模様で、部屋の内側から見ると、ところどころに小さなピンクの花も散っているのに気づいた。マンションの外から何度も見上げた窓なのに、近くで見ないとわからないこともあるものだ。

 壁際のカラーボックスの大半はテキストや辞書で埋められていた。ボックスの上には鏡と化粧品がきちんと並べられていた。その中のヘアームースを手にとって鼻を近づけると、小さなガラスのビンに入ったコロンのふたを開けると、確かに、彼女の匂いがした……。


 カメラの設置が滞りなく終わると、晩秋の陽はもう翳りはじめていた。

 ぼくは名残惜しさを振り切るように、彼女の部屋のドアを閉めてカギをかけた。

 自転車で十五分ほど離れた自分の部屋に帰り、カメラの動作確認をするためにスマートフォンを取り出す。

 アプリを立ち上げると、さっき見たばかりの彼女の部屋が、ぼくの手の中に浮かび上がった。ベッドと壁に寄せて置いてあったこたつが思ったよりクリアに見えた。上出来だ。

 まだ帰ってきていないらしく、彼女の姿は見えなかった。ぼくは少し残念な気持ちで静かにアプリを閉じた。

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