第6話 レトロな街のサナトリウム

 大きなサナトリウムが博物館になっているのだが、先ほどから、観光客の姿はまばらだった。

「誰が好き好んで、こんな気持ちの悪いところを見に来るというのか?」

 ということを考えている。

「さすがに、薬品の臭いはしないだろうな」

 と感じていたが、途中から、臭いを感じるのだった。

 どうやら、この薬品は、他の強烈な臭いと違って、最初は臭いを感じさせないが、慣れてくると、逆にその臭いの違和感を感じるもののようだ。

 というのも、

「違和感というものを、感じることで臭いを感じさせるということを立証した臭いの元が開発されていた」

 ということであった。

「そんな発明が何の役に立つのか?」

 と普通は思われることだろう。

 しかし、その発想がいかに今後の未来を占っているかということを、誰も気づいていない。

 そこに気づけば、ひょっとすると、ロボット開発やタイムマシンの開発が、もっと早くできていたかも知れない。

 いや、実はまったく逆なのかも知れない。

 というのも、

「ロボットもタイムマシンも、結局は開発など不可能なんだ」

 ということに気づいたはずだからだ。

 それができないというのは、

「人間にも、肝心なところでの、フレーム問題を解決することができない」

 ということであろうか。

 つまりは、

「限界が見えない」

 ということだ。

「可能性というものは、無限だ」

 という考え方が、そもそも、その発想を先に進めないのだ。

「無限であれば、辿り着けないのは当たり前。ロボット開発だって、タイムマシンだって、無限への挑戦に他ならないのだ」

 と思ったとすれば、どこまで行っても、解決もできないし、無限である以上、

「解決の糸口は必ずある」

 と思って、決してあきらめることはないだろう。

 だから、

「無限というものはありえないことなのだ」

 という発想に行き着くか行き着かないかということで、未来は決まってくるのだが、最初から、

「無限などはない」

 と思えば、逆にロボット開発も、タイムマシンの開発もできないということは、

「この先、どこまで行っても完成しない」

 ということだ。

 なぜなら、

「辿り着いているはずの、限界が見えていないからだ」

 といえるであろう。

「自分にとっての限界」

 というものは決めることはできるが、

「人類という大きな塊の限界」

 というものは、自分一人では決められないという発想が、きっと邪魔していることになるのだろう。

「だが、その発想をすると、少し気が楽になってきた」

 というのも、

「上司が俺に対して言っていることは、無限ではないんだ」

 ということに行き着いたからだ。

 しかし、だからと言って、苦しみから救われたわけではない。

 ここにいて、夢心地だから、何とか発想が生まれてくるわけで、会社に戻って現実に引き戻されると、

「上司という跳ね返すことのできない事実を目の当たりにすることで、また鬱状態に叩きこまれるのか」

 と思うことで、容赦のない毎日に引き戻されるのだ。

 人によっては、気分転換をすれば、いい発想が生まれるという人もいるのだろうが、佐藤に、その発想はなかった。

 とにかく、

「ネガティブになってしまう」

 という自分の性格を思い知っているだけに、自分には逆らえないという発想から、

「逃げることはできない」

 と感じるのだった。

 このような、

「無駄に広い」

 というくらいの空間で、響いている声や物音を聞いていると、

「本当に無限などないのだろうか?」

 と、また同じ発想を、今度は逆から、

「いや、これが普通の発想ではないか?」

 と思いながら、考えるのであった。

「せっかく、気分転換がいい方向に行っていたと思ったのに」

 と感じたのだ。

 すると、今度は、

「いい方向って何なんだ?」

 と感じた。

 いい方向という言葉の、

「いい」

 というのは、

「都合がいい」

 ということなのか?

 では、

「誰にとって都合がいいというのか?」

 というように、段階を追って、徐々に核心に近づこうという発想は、

「いつもの俺ではないか?」

 と思い、それも、やはり、

「無意識のうちだった」

 ということを思い知らされる結果になっているということを、いまさらながらに感じるのであった。

 そんな都合のいい状態において、サナトリウムをずっと見ていれば、結局何度か、頭の中で同じことを考えている自分を見つけたのだった。

 大きなサナトリウムだったが、表に出て振り返ると、

「ん? こんなに小さい建物だったのか?」

 と考えてしまった。

 しかし、同時に、

「やはり、大きいな」

 と感じている自分がいて、その自分はいつも、同じことを考えている、

「堂々巡りを繰り返している自分」

 であり、そのくせ、

「すべてが無意識なんだ」

 と思える自分でもあった。

 それはきっと、

「無限ということを考える自分が、一番気楽に思えるからではないか?」

 と感じたからだった。

「フレーム問題」

 であっても、無意識に考えて、行動ができる人間。

 だから余計に、

「そのまわりに、もっと分からない何かが潜んでいるのではないか?」

 と感じさせられるのだろう。

「都合のいい考え」

 と、

「無意識に感じる考え」

 さらに、

「無限と思っていることが実は有限なのではないか?」

 と思う考えを、絶えず同時にしているのではないかと感じるのだった。

 そんな寂しさと不気味さを感じさせるサナトリウムの展示館を出ると、急に明るい光が目の前に飛び込んできて、思わずひるんでしまった。

「うわっ」

 と思わず光を避けるように手で顔を覆ったが、気が付けば、目をつぶっているようだった。

 瞑った目を開けられないでいると、すぐ近くに公園があるのが見えて、早くも休憩しようと思ったのだ。

 秋も深まったこの季節。汗が滲んでいるわけでもないのに、背中がじっとりしてきているのは、それだけ、身体に熱がこもってしまったかのようだった。

 身体の火照りと感じると、呼吸困難に陥ってくる感じで、息が、

「はぁはぁ」

 と吐き出すようにしていると、意識が朦朧としてくるのだった。

 公園を見つけた時、

「天の助けだ」

 と思ったくらいだ。

 サナトリウムの中にいる時にはまったく感じなかったことなので、光に反応した自分の身体が、異変を感じているのではないかと感じたのだ。

 公園に座ると、表では感じなかった風が吹いているのを感じた。

 その風は、頬を打つのに、心地よさがあるが、寒気も誘うようで、

「頭痛の元になるのではないか?」

 とさえ感じたほどだった。

 最近、頭痛の元というと、会社での、あの、

「最終電車までの、持て余す時間」

 に起こっていた。

 そういえば、急に身体に熱がこもってくるのだったということを、いまさらながらに思い出すのであった。

 公園のベンチに座っていると、脚を少し広げて、そこに肘を置くかタッチになるので、どうしても前屈みになってしまう。そのせいもあってか、顔を正面以上に向けることができず、ずっと下を向いている感覚になってしまうのは、今に始まったことではなかった。

「いつも下ばかり向いているんだな」

 と、普段は考えないようなことをその時、初めてといってもいいくらいに感じると、今度は、足元の地面の部分を凝視してしまっている自分に気づいた。

 元々、フラフラしているせいなのか、足元までの距離の遠近感が取れないような気がした。

「俺って、こんなにフラフラしていたっけ?」

 と、意識が朦朧としているくせに、そんなことを感じるのだった。

 目の前に見えているものの焦点が合わないということは、よくあることだが、一度きつく目をつぶって、再度に開くと、ハッキリしてくるものだが、この時は、本当に焦点が合わないのだった。

 今度は、

「一度前も見て、目線を変えてみようか?」

 と感じたのだが、頭が重たくて、頭を上げることができなかったのだ。

「目だけでも前を向こう」

 と思ったが、余計に頭痛がしてくる。

「普段だったら、これくらいのことに気づかないはずがないのに、どうしてこの日は、いばらの道を進もうとするのだろう?」

 と、

「やることなすことが、裏目に出ている」

 という感覚になっているのだった。

 たまに、すべての歯車が狂う時というのはあるものなのだが、この日は、歯車が逆の意味で狂ってるのだ。

 なぜかというと、

「すべての歯車が狂うというのは、元々のリズムが合っているだけで、一つが狂うと、全部が狂うわけなので、どこで狂ったのかを究明し、そこを治すだけでいいのだった」

 それが分かっているくせに、すべてにおいて変えようとするのは、明らかにおかしな発想だといってもいいだろう。

 頭を上げると、そこに、一人の女の子がいた。

 さっきまではいなかったはずなのに、ブランコに乗っていて、遊んでいるのだ。

「一人で珍しいな」

 と思っていると、その女の子は、小学生であろうが、大人っぽさも感じられ、ブランコが窮屈に見えるくらいだった。

 女の子は、こちらを見てはいるが、意識しているというわけでもない。まったくの無表情で、ただ、同じ力で、ブランコを漕いでいるだけだった。

 ブランコを漠然と漕いでいるという雰囲気ではなかった。手には明らかに力が入って絵いて、脚も空中を掻いているかのようだった。

 まるで、そのまま飛び出そうとしている時の助走のようで、そのタイミングを計っているかのように見えたのだった。

 その女の子は、やっと佐藤の視線に気づいたようだった。

 その視線を見た時、一瞬、ニコリと笑ったように見えたので、思わず佐藤も微笑み返した。

 しかし、また彼女が、無表情に変わったので

「気のせいだったのか?」

 と思うと、笑みを返してしまったことを、恥ずかしく感じてしまったのだ。

 それとも、

「女の子に遊ばれているのか?」

 と思うと、少し癪だったが、なぜか悪い気がしなかった。

「今までであれば、こんな気分になったことなどないのにな。それだけ、会社の上司に対して感じている心境が苦しみしか生み出さないということか?」

 と感じたのだ。

 楽しいわけではないが、恋愛対象とは関係のない女の子を見て、恋愛感情ではない気持ちであっても、

「自分の中で、何かを求めている」

 と感じたのは、久しぶりの気がした。

 ということは、この感情は今に始まったことではなく、

「前にもあったことなのではないだろうか?」

 と感じたことであった。

 その女の子ばかり見詰めていたので、改めて公園のまわりに注意を向けてみると、

「あれ? こんなに小さな公園だったのかな?」

 と感じた。

 公園の全体を見渡せるようになったということは、少なくとも、最初に感じた頭痛は少し弱まってきたということであろう。

 そして、最初との比較ができるということを思うと、

「最初も、ハッキリと見えていた証拠だろうから、頭痛はしてきたのは、このベンチに座ってからのことなんだ」

 ということを証明しているということになるのだ。

 女の子との距離も、近づいた気がした。それだけ。全体的にこじんまりしているように感じるのだ。

 今度は、さっきほどの頭痛がしてこない。

「痛みに慣れてきたということであろうか?」

 それとも、

「じっと見ていることで、感覚がマヒしてきたということであろうか?」

 と、どちらも言えるのではないかと考えられたのだ。

 女の子が笑わないのを見ると、どこかホッとした気分になった佐藤だった。

 もし、そこで笑われると、安心感が一気に湧き出してきて、意識が変な安心感に包まれてしまうような気がした。

 しかし、安心感が変に強くならないということは、緊張感が含まれた空間ということなので、我に返った時、会社での憂鬱がよみがえってこなくてよかったのだろう。

 もし、ここで会社のことを思い出すと、頭痛だけでは済まない。きっと吐き気も催してきて、それこそ、

「鬱状態」

 というものが、激しく自分に迫ってくることであろう。

 それを思うと、病気をずっと患ってる人が、急変した時、変に安心するような言葉をかけると、

「変なことをすると、安心してぽっくりいってしまうぞ」

 と言われたことがあった。

 まさにその通りのことだったのだ。

「人間、気が張っている時、楽になろうとする意識が働くので、安心させると、緊張感が解けてしまい、そのまま意識を失うことがあるという。もし、これが、不治の病とかであれば、ぽっくりと行くことだって無きにしも非ずだ」

 といえるのではないだろうか?

 最近になって、自分が、会社の上司から受ける行為も、ずっと気を張り詰めておかなければならない環境である。

 自分の中で、

「フッと気を抜くと、本当にぽっくりいってしまうかも知れない」

 と考えたことがあったような気がした。

 すぐには思い出せないだけで、自分でも、よくわかっていないのだった。

 目の前の女の子が、ブランコから降りて、こっちに向かってやってきた。ゆっくりゆっくりと歩いているのが分かるのに、次第にその姿が大きくなってくるように思えたのだ。

 それは、近づいてきたからというわけではない。

 近づいてきての大きさであれば、感覚としては、変わらないという意味での錯覚があるはずなのに、その錯覚をひっくるめた上で、大きく感じるのだから、本当に大きくなっているのだろう。

 逆に、冷静に考えると、最初に感じた女の子は小さかったからだということであれば理屈に合っている。そう思えるかとうかは、その時の精神状態なのではないかと感じるのだった。

 思わず、女の子が近づいてきた時、一度顔を下げてから、もう一度顔を上げるような素振りをしたのは、

「顔を上げた時に、その女の子がいれば、錯覚ではない」

 と思える気がしたのだ。

 だが、そんなに慌てなくても、女の子が近づいてくれば分かることではないか。それを何を焦って、すぐに確かめたいという衝動に駆られるというものなのか?

 と考えたのだが、一度下を向いたのは、

「ひょっとすると、この日すべてのことが、最初からなかったことではないのだろうか?」

 と感じたからだった。

 最初からなかったと思うのは、

「これほど辛いことはない」

 と自分に言い聞かせることになると思うからで、大体から、

「何がつらいというのか?」

 ということが自分の中で理解できているのか分かっていないのだった。

 だから、目の前の女の子が、ここで消えてなくなってしまうことに恐怖を感じた。すべてがなかったことになったとしても、会社での憂鬱がなくなるわけではない。

 頭の中、そして、覚えている身体の中に残っている恐怖感は、決して消えるものではない。

 逆にこれが消えてしまうと、自分という存在自体がなくなってしまうと思うからだった。

 女の子がいよいよ迫ってきた。

「おじさん、判官びいきって言葉知ってる?」

 と、あまりにも意外な言葉が彼女の口から出てきた。

「判官びいき?」

 と、佐藤は聞き返した。

「ええ、そう。私、お友達から判官びいきだから、私とは、もう一緒にいられないって言われたんだけど、どういうことなのかしらね?」

 というではないか。

 それを聞いて、佐藤は、

「ハッ」

 とした。

 判官びいきというのは、源義経のことを言っているのであって、

「兄の頼朝が、平家を倒すという手柄を立てた弟を、追い詰めて滅ぼす」

 という話から来ていることだが、その理由として、

「弟に対して、兄が嫉妬した」

 という単純な意見もあれば、

「東国武士を取りまとめるという立場の兄が、朝廷から、勝手に官位を貰ってはいけないと言明していたのに、法皇から勝手に頼朝の許し燃えずに、検非違使という職を賜ったことに怒り心頭となったことで、争った結果」

 というのが、

「兄が、弟を滅ぼす」

 ということから来ているという話でもあった。

 要するに、

「弱い立場や、貧相な装備しかなかったり、小人数が、大人数の敵を撃退したりした」

 という時に、使う言葉である。

 ただ、目の前にいる、まだ小学生と思える女の子が、よくそんな難しい言葉を知っているものだと思ったが、それを、

「どういうことなの?」

 と聞くということ自体は、ごく自然である。

 誰かから、

「判官びいき」

 という言葉を聞かされ、それがどういうことなのかということを考えさせられ、それでも分からないから、人に聞いたということになるのだろう。

 だが、

「どのように説明すればいいというのか?」

 頼朝と義経の話をしても、きっと分からないだろう。ただ。

「弱い者いじめがあって、苛められている子を贔屓する」

 と言えば、一番納得するのだろうが、果たして、そのことを口にしてもいいのだろうか?

 もし、その子が誰かに苛められていて、それがトラウマになっているとすれば、正直なことを言えるわけはない。

 それが一番理解できるのは、今の佐藤だけではないだろうか?

「俺だって、会社で苛められているではないか。こんな俺を贔屓にしてくれる人がいるというのだろうか?」

 ということであった。

「もし、自分が他人事として、俺のような立場の人が会社にいたらどうするだろう?」

 と考えてみたが、

「苛めの理論」

 として考えると、

「苛められている相手を擁護したりすると、今度はその苛めのターゲットが自分に向いてきて、結局巻き込まれることになるだろうな」

 と感じた。

 それだけは避けたかった。

 何も自分から、火中の栗を拾うなどという危険を冒す必要もないというものだ。

「判官びいき」

 をされたとしても、自分がそれで助かるわけではない。

 きっと贔屓はするが、見て見ぬふりをされるのがオチではないだろうか。

「ねえ、どうして、判官びいきが気になるの? 君が判官びいきだと誰かに言われたか何かしたの?」

 と聞いてみたが、

「いいえ、私が判官びいきではないのよ。私がその判官だっていうのよ」

 というではないか?

「君は学校とかで苛められていたりするのかい?」

 と聞くと、

「いいえ、そんな意識はないのよ」

 という、

「でも、いつも、何か損をしているような気がするの。何をそんな損をしているのかということは分からないんだけど、どうやら私のこの損だと思っていることを、皆が判官あって言っているように思えて仕方がないのよね」

 と彼女は言った。

「確かにそうだろう」

 と佐藤は思ったが、その言葉が口から出そうになり、グッと堪えた。

 このことは、親しい友達にも言えないことであった。

 確かに、

「親しき仲にも礼儀あり」

 と言われるが、

「本当に言っていいことなのか、悪いことなのか?」

 ということは、

「その相手にもよる」

 ということであり、その判断は、自分でするしかないのだ。

 人に相談するにしても、言おうとしている相手に気づかれないようにしないといけないということになるだろう。

 公園のブランコに一人で載っていて、その表情がまったくの無表情。

 しかし、本当にまったくの無表情なのかどうか、分からなかったが、少なくとも他の表情が思い浮かぶわけではない。

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