第7話 苛めの対象
今になって思うと、笑顔を見せてくれなかった方が幾分か気が楽な気がする。
いきなり、何を思ってなのか、佐藤に対して、
「判官びいき」
について聞いてくるというのは、
「この俺が判官びいきについて分かっていないということを見越して聞かれているかのようなあざとさを感じさせる」
のだった。
「おじさんは、私のお父さんと同じような表情をしているんですy」
というではないか?
それを聞いて、佐藤はビックリした。
「それはどういうことだい?」
と慌ててきいたのは、この少女からすでに、
「自分のことを見透かされている」
と思ったからなのか、それとも、
「彼女の父親がひょっとすると、同じような悩みを克服できたのだとすれば、少しでもあやかれるかな?」
と考えたからなのかも知れない。
それを思うと、
「早く話の核心に入りたい」
と感じたからだった。
「僕が、同じような顔をしているとは、どういうことなんだい?」
と切り出すと、
「お父さんが悩みを抱えているのは分かったんだけど、どこまでなのか、最初は分からなかったんだ」
というではないか?
「最初は?」
というところに引っかかったので、聞いてみた。
「うん、最初はね、まったく分からなかったんだけどね。でも、お父さんが何かに悩んでいるということは分かったんだよ」
という。
「お父さんは何に悩んでいたのかな? 仕事のことかな?」
と少し掘り下げて聞いてみると、
「うん、仕事のこともあるみたいなんだ。でもね、一番大きな悩みは、私のことじゃなかったのかな?」
というではないか?
少し、展開が変わってきた感じがして、ビックリして、
「それはどういうことなんだい?」
と聞いてみると、
「実は私、お父さんの本当の娘じゃないの。いわゆる義父なのよね。だから、お義父さん」
といって、砂の上に、
「義父」
と書いた。
「そんな難しい言葉、よく知ってるね?」
と聞くと、
「うん、お義父さんが、自分で紙の上に書いて、
「よく覚えておきなさい。これが、お義父さんという字だよ」
といって説明したという。
それを聞いて。佐藤は絶句してしまった。
いくら義理の父親だからといって、何をそんなにわざわざ教え込む必要があるというのか、
「この親は、娘を洗脳することで、母親や娘を自分の思い通りにでもしようとしているのではないか?」
と思えてならないのだった。
「お義父さんって、怖い人なの?」
と聞くと、キョトンとして、
「怖いって、どういう感覚?」
と聞くではないか。
それを聞いて、
「ああ、なるほど、そうやって思わせておくんだな。だから、後になって考えると、感覚がマヒしてしまったと思う程、最初のインパクトを強く持たせようとしたのかも知れない」
と感じたのだ。
「お義父さんのこと、好き?」
と聞くと、やはり少し考えてから、答えが定まらなかった。
しかし、少しだけ時間はかかったが、
「嫌い……かな?」
とやっとの思いで答えたようだ。
それは、考えあぐねたというよりも、
「本当のことを言ってもいいのか?」
ということを考えていたのかも知れない。
「父親なんて」
と、そんな風に思っていたのではないだろうか?
佐藤は自分の父親を思い出していた。
佐藤の父親は、何度も再婚を繰り返していた。
佐藤を生んだ母親とは、佐藤を生んですぐに離婚したのだという。
理由は、母親が懐妊した時、出産のために実家に帰っている時、会社の後輩の女の子と、できてしまったという、ベタな理由での、
「お定まり離婚」
だったようだ。
離婚したことで、佐藤は、母親に引き取られた。
しかし、その母親もロクな女ではなく、佐藤を実家に預けて、不倫を繰り返していたようだ。
しかも、その不倫相手も何人もいたという。
「私、一人じゃ満足できないのよ」
といっていたというが、何と驚いたことに、男たちは皆、
「不倫相手は自分だけではない」
ということを知っていたようだ。
だが、男の方としても、文句を言える立場ではない。
なぜなら、皆、奥さんがいる男性ばかりで、母親は独身なのだ。
下手にここで騒いで、奥さんにバレでもしたら、本末転倒である。
男たちは皆
「まさか、こんなに一人の女に嵌るなんて思ってもみなかった」
といっていたという。
そのおかげで、母親は、たくさんの男と不倫することができ、しかも、男たち公認ということで、悠々自適とでもいえる生活を送っていた。
ただ、それは自分個人にいえることで、佐藤の方としては、とんでもない話だった。
確かに最初に不倫をして、離婚ということになった父親だったが、今の母親に比べれば、どれほどマシかということである。
両親は、最後離婚調停での離婚だったので、
「親権は母親にあり、父親が養育費を払う。子供が逢いたいと言えば、母親の承諾は関係なく、父親に会うことはできる」
という内容だった。
父親が不倫したことでの離婚だったのに、母親の方の言い分よりもかなり父親側に歩み寄ったものに見えるのだ。
だから、佐藤は、時々、母親に内緒で、父親に遭っていた。
そしてその時、母親の所業を話して聞かせた。
「離婚したのは、父親の不倫が原因ではあるが、母親の所業も許せることではない」
と思っていた。
なぜなら、
「父親に離婚届を突き付けておきながら、母親のこの所業は何なんだ?」
ということであった。
しかし、母親は、不倫をすることで男たちから、お金を出してもらって、生活費に充てていたようだ。
まあ、不倫ということであれば、それくらいのことはあっても普通であろう。
母親は悪びれた様子はない。
「私は不倫はしているけど、生活のために、不倫しているのよ」
とでもいいたいのではないだろうか?
そういう意味で、不倫をしている母親であるが、
「子供のためかも知れない」
と思うと、むげに母親を責めることもできない。
しかも、離婚してからの方が、いろいろ影での羽振りはいいようだった。息子にもその恩恵がある分、文句を言えるわけもなく、
「ありがたい」
といっていいだろう。
本当に子供のためなのか分かったものではないが、実際に、生活はよくなっているのだから、
「ウソだ」
などとは言えないだろう。
だが、どこかで精神的な限界は来るもので、しかも、思春期になってから、母親が不倫相手と歩いているところも見たことで、よせばいいのに、その後をつけてしまったのだ。
その時、母親とその男が、ネオンサインの煌びやかな、まだ子供の佐藤には、そこがどういうところか、想像はできなかったが、
「いかがわしいところだ」
ということは分かったのだ。
そこが、ラブホテルだということが分かったのは、中学二年生の時だった。
まだ純粋だった佐藤は、その頃まで何も知らなかったのに、いわゆる、
「自習」
と言われている先生の授業中、騒がしい教室の中で、隣に来て、知りたくもないことを、いかにも楽しそうに話すのだった。
ちなみに、その先生の授業が、
「自習」
と言われるのは、他の先生の時と違って、生徒を怒るようなことはしない。
つまり、
「何をやっても怒らないことで、何をしてもいい」
だから、
「自習だ」
というわけである。
その授業中、クラスの不良と言われるような連中が、佐藤に絡んできた。もちろん、先生に助けを求めても、どうにもなるわけではない。
それでも、無視して授業を聴こうとしても、そもそも、先生の声は小さくて聞こえない。さらには、ある程度の年配なので、今にも倒れそうな腰の曲がった、まるで、用務員のような先生だった。
その不良は、それをいいことに隣に座って、
「今日は性教育をしてやろう」
といって、何冊か、雑誌や本を持ってきた。
最初は、真面目な本を見せて、
「いいか? ここが、女性器というものでな」
などといって、いかにも先生ぶっているのだが、その顔はにやけていて、その本や内容よりも、そのいやらしい顔に嫌気がさしていた。
そして、
「保健体育の授業は、これで終わりだ。いよいよここからが、実践の勉強だぞ」
といって、嫌らしい雑誌を机の上に並べた。
顔を真っ赤にして、横を向いてしまった佐藤を、その不良は、無理に見せつけようとしない。ただいやらしく笑っているだけだ。
この男は、時々佐藤に絡んでくるのだが、暴力的なところはない。佐藤の好奇心のようなものを誘うことで、そんな素振りを見せると、一気に食いついてくるという感じだった。
「ほら、見てみろよ」
と、不良にコバンザメのようにくっついているチンピラたちが、はやし立てる。
自分では決してそんなことはしない不良だったが、まわりがすることを止めたりなどはしないのだった。
「まあまあ、君たち、無理やりはいけないよ」
とばかりに、止めようとするが、そんな気持ちはこれっぽちもないことは分かっている。
ただ、やつは、佐藤の好奇心が募ってくるのを、じっと待っているのだ。
つまり、この男は、好奇心をくすぐることをするので、一種の省エネといってもいいだろう。
しかし、他の、
「いじめっ子」
と言われる連中は、そうではない。
自分が、苛めの対象を苛めているということを自分の中の快感にしようとしているのだ。どういうことかというと、
「いじめっ子というのは、自分が、誰かに迫害を受けていて、そこでストレスが溜まっている場合が多い。親であったり、先生であったりが、口では、お前のためだといっておきなから、その実、自分の保身しか考えていない」
ということを、子供ながらに理解している。
そういう意味では、
「子供の中でも、実にかしこい子供だ」
といってもいいだろう。
しかし、溜まったストレスを、そのまま解消しようとしても、精神的なストレスはそうもいかない。
時間が経ってしまうと、どうにもならないと言えばいいのか、余計にストレスが溜まるので、苛める相手が泣きわめいたりするのを見ないと我慢できないのだ。
だから、苛められる方はたまったものではない。何といっても、大人から受けた迫害と、自分のストレスのすべてをぶつけてくるのだから、苛められる方はたまったものではない。
しかも、
「大人はあてにならない」
ということも分かっているのだ。
それを思うと、大人も信用できないし、まわりも信用できない。そうなると、完全に、
「四面楚歌」
になってしまい、何をどう対応していいか分からず、引きこもりになるのだ。
ただ、この時の佐藤は、
「苛められている」
というわけではなかった。
本当の苛めの対象は他にいる。
佐藤が受けていたのは、ただ、
「楽しめる相手」
ということで、いわゆる、
「からかわれていただけ」
だったのだ。
しかし、これは苛めの範疇ではないと思った佐藤は、誰にも相談できなかった。
相談した相手から、
「別に苛めではないじゃないか」
と言われたとして、相談したことを、不良たちに気づかれれば、
「今はまだからかわれる対象だからいいが、これが本当の苛めになってしまうと。どうにもならない」
と思ったのだ。
だが、
「これで、大人たちに苛めを受けているといって助けておらえばいいじゃないか」
といわれるかも知れないが、一度相談した時に、逃げられたと思うと、もう、二度と相談する気にはならない。
そうなると、
「決して、いじめられっ子になってはいけない」
と感じるのだった。
予防接種の打てない状態で、伝染病が流行っている学校に行くようなもので、完全に、自分には味方がおらず、苛めの対象になってしまえば、取る手は一つしかなく、
「不登校になって、家では引きこもりになるしかない」
ということになるだろう。
佐藤は、そんな状態で、
「今日もからかわれるんだ」
と思っていた。
前だったら、
「性教育くらいは別にいい」
と思っていたが、母親のあんなシーンを見てしまうと、それがトラウマになって、今性教育を受けるというのは。とんでもないことだったのだ。
だから、反射的に、顔が真っ赤になってしまうのだ。
「俺って、どうしてこんなに反応しやすいんだ」
とばかりに、顔が真っ赤になってしまったことを後悔していた。
「ほら、これを見ろよ」
とチンピラ連中がけしかけるが、それを不良はにやにやしなから見ていた。
しかし、少ししてから、
「まあまあ、そんなにせかすんじゃないよ」
といって、止めたのだ。
すると、さらに不良の顔がニンマリと歪んでくる。それは、
「今後の佐藤の反応を想像してにやけていた」
のだった。
佐藤は分かっていたが、どうしても気になる。母親の顔が浮かんできては消えたのだが、
「どうすればいいんだ」
と思うとさらに顔が真っ赤になって、耳たぶが脈打っているように感じる。
やつらはそれを見て、完全に佐藤の様子を把握しているようだった。
その時のことを思い出すと、今の会社での自分の立場が分かって気がした。目の前の女の子も、
「ひょっとすると、俺と同じような思いを感じているのかも知れない」
と思うと、理由は分からないが、父親のことを聞いてきたことから、自分が昔から感じていたことと重なってきているように思えて、気の毒に思えたのだ。
中学時代の思い出がフラッシュバックされる中で、あの時は本当に、
「誰でもいいから助けてほしい」
と思ったものだった。
しかし、ある瞬間から、そんなことを思わなくなってきて、
「もう、どうでもいいや」
と思うようになったのだ。
何に対しての、
「もういいや」」
と感じたのか分からない。
確かに、苛められているわけではないが、しつこく付きまとわれる感覚は、苛めに匹敵するものだと思っていたが、下手に絡むと、
「今度は、自分が苛めの対象になる」
と考えたのだ。
クラスの中で苛めの対象となっているのは、自分ではない。別のやつが、苛められていた。
「いじめっ子がいて、いじめられっ子がいる」
という基本的な構図に変わりはないのだが、実際には、そのいじめられっ子に対して、苛めているのは、本当に皆だったのだ。
「まわりの連中は見て見ぬふりをしているだけだろう?」
と思われるかも、知れないが、正直、他の連中も苛めているといってもいい感じだった。
何を隠そう、正直、佐藤も苛めていた。直接手を下すというわけではないが、苛められているのを見て、どこかスカッとした気持ちにもなっていたし、もし、苛めっ子連中が手を出さなかったら、苛めっ子連中をけしかけるように仕向けてみたり、時には自分から手を出すやつもいた。
もちろん、いじめられっ子も、自分に味方がいないことも、まわり全員から苛めの対象となっていることも分かっただろう。
幸い、自殺をするようなことはなかったが、もし、
「クラス全員が敵だ」
ということが分かってくれば、その瞬間、自殺をしたくなっても、無理もないことだろう。
「苛めを苦に自殺をした」
という話をよく聞くが、その子たちが、
「自殺を意識するようになった」
という瞬間があったとすれば、それは、
「まわりが全員敵に見えた時だ」
といってもいいだろう。
それほど、絶望的なことでもない限り、自殺を真剣に考えることもないだろう。
もちろん、自殺は最後の手段であり、それ以外に何をすればいいかということを考えるくらいのことはするだろう。
しかし、最初の頃に比べて、追い詰められていくと、その不安や心細さの度合いは、普通に比例して大きくなるわけではなく、その都度倍増していくものだ。
それだけ、自分の居場所がどんどん狭くなってくるというもので、どうにもならなくなってしまうということは分かっているに違いない。
それを思うと、
「自殺をした人たちは、判官びいきだったんじゃないか?」
彼女の言葉から、判官びいきということを聞いて、
「ハッとした」
と感じたのを思い出した。
判官びいきに対して、今では分かっているつもりだったが、付きまとわれていた頃は違う感覚だったのを思い出したのだ。
「権力のある連中が落ちぶれていくこと」
だと思っていた。
源義経が判官であるということは分かっていて、当時の歴史も分かっていた。
「兄から迫害されたことで、自分の立場を悪くした。それも、兄からくぎを刺されていた朝廷からの官位を勝手にもらったのだから、本人が悪い」
と思ったことで、
「気の毒だけど、自業自得ではないか?」
と思っていたのだ。
確かに、一番の通説はそうであり、この解釈も無理もないことだと思ったのだが、その考えが間違っていて、
「判官びいきというのは、弱い者を応援したくなる心境になっていることだよ。日本人は、えてして、弱い者を応援したくなる人種だということで、そういわれるようになったんだ」
という話を聴かされると、自分が思った解釈が違っていると感じるようになった。
「義経は、自業自得ではなく、兄の頼朝から、その手柄を妬まれたから、迫害されたのではないのか?」
と思うようになると、それまでの考えが一変してきたのだ。
そこで、義経と自分を重ねてみることで、浮かんできた発想は、
「俺は義経と一緒なんだ」
と思うと、
「俺が助かる道はないんだろうか?」
と考えた。
そこで、自分が、
「真のいじめられっ子ではない」
と考えると、自分が抱えているデッドラインは、
「まわりが全員敵だと思うか思わないか」
ということにかかってくるのだと思うのだった。
「俺は今幸いにも、苛められているわけではないので、何とかマシだが、もし、苛めの対象が自分に変わって、それまで敵でも味方でもないと思っていた連中が一気に敵に変貌すれば、その瞬間からが、デッドラインに突入した」
ということにあるのだ。
幸いなことに、中学を卒業するまでは、そんなことはなかった。
今から思えば、
「判官びいきというものを、勘違いしていた」
という意識を持つようになったからだろうか。
そんな判官びいきをなぜ感じるようになったのか、この時、少女から聞かされた言葉を考えてみたが、
「両親を見ていて、それぞれにロクでもないことを繰り返していて、そんな中に自分という存在はないんだ」
ということを感じたからなのかも知れない。
「主人公である両者の間で振り回される存在」
つまりは、義経というのは、決して主人公ではない。主人公は、
「頼朝であり、後白河法皇なんだ」
ということである。
つまり、
「義経は、二人の間での権力闘争の中に巻き込まれた一種の被害者で、そして、憎きと思っていた平家すらも、その被害者なのかも知れない」
と思うようになった。
そういう意味で、
「判官びいきというのは、頼朝と法皇の間では、義経だが、平家だって、判官びいきだといえるのではないか?」
ということを考えていた。
しかし、実際には、判官びいきということで、その対象は、義経でしかないのだ。
では、どういうことなのかと考えると、
「平家というのは、板挟みになっているわけではない」
ということになる。
つまり、
「判官びいきという言葉を使う時は、強大権力の間に挟まった場合にしか使うことはできないのだ」
と感じたのだ。
ということは、
「俺の両親に挟まれて、不幸な状態になっている俺は、気の毒だと思われる資格があり、実際にまわりから気の毒だと言われると、それを判官びいきだということになるのではないだろうか」
と考えるようになった。
「会社でも、上司だけしか見えていないが、ひょっとすると、直接の上司以外に誰か他に、直接は自分と関わっていないが、まわりから見れば、板挟みにあっているといえるような状態に陥っているのかも知れない」
と考えるようになり、
「俺は、判官びいきを受ける権利のようなものがあるのではないか?」
というおかしな感覚に陥っているのだった。
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