第3話 大東亜戦争というもの
もっともアメリカは、当時、
「海軍によるハワイ攻撃」
さらには、陸軍における、
「マレー上陸作戦」
を見抜いていて、
「わざと、最初に日本に刀を抜かせる」
というやり方において、当時の、
「アメリカが、他地域での戦争に巻き込まれない」
という、
「モンロー宣言」
という基本があったことで、アメリカ人お世論は、
「参戦に反対」
だったのだ。
しかも、アメリカという国は、いくら大統領に大きな権限があるとはいえ、宣戦に関しては、上院や下院議員が賛成しないことには、戦争を始めることができない。ここまで世論の大多数が、
「戦争反対」
を唱え、しかも、モンロー宣言を頑なに守ってきた国の体制を変えるのは大変だった。
だが、アメリカとすれば、イギリスのチャーチルから、アメリカに参戦の依頼が、催促となってきていて、しかも、当時のナチスの勢いでは、ナチスがヨーロッパを席巻するなどということになると、アメリカが戦費としてイギリスなどに貸し付けたお金が、返ってこないということになり、それこそ大問題になるところであった。
だから、アメリカはそのターゲットを日本に絞った。
日本としては、中国侵攻によって、列強を刺激し、経済制裁が起こったことで、苦し紛れに、北部仏印に進駐した。
そこでさらに厳しい、経済制裁、しかも、
「石油、くず鉄の輸出の全面禁止」
しかもその緩和条件として、中国や満州からの、全面撤退ということで、
「日本に明治維新の状態に戻れ」
と言っているのと同じで。到底受け入れられるものではなかった。
もちろん、アメリカもそんなことは百も承知で、アメリカに対して、
「南北戦争前の建国当時の13週に戻れ」
と言っているのと同じで、到底受け入れられるものではない。
となると、日本の出方は、
「南方の石油資源を奪取して、それを死守するしかない」
ということになり、その手始めに、米英の植民地や前線基地を叩くということになる。
そうなると、目指すは、
「イギリスの難攻不落の要塞であるシンガポール」
そして、
「アメリカの太平洋艦隊の基地があるハワイ」
ということになる。
そこで、
「陸軍による、マレー上陸作戦」
さらには、
「海軍による、真珠湾攻撃作戦」
というものが容易に想像できる。
アメリカは、フィリピンにも基地があるので、そこも両面で考えたことだろう。
しかも、この両作戦は、
「完全なる奇襲作戦」
でなければ、成功には及ばない。
そういう意味で、どちらも奇襲に成功し、最初から言われていた、
「半年やそこらの快進撃を見せ、キリのいいところで講和条約に踏み切り、一番日本にとって都合のいいところで決着させる」
という方法しか、この無謀な戦争に勝てる見込みは、これっぽっちもなかったということなのだ。
これでも、勝利とは程遠い。
「ワシントンやロンドンを直接攻撃しての完全勝利などありえるわけではない」
ということであった。
「相手国の本土に、一撃でも食らわせることができれば、御の字」
という程度のことだったのだ。
日本国が生き残るという意味ではそれしかなく、そこに、政府も軍も掛けたのだった。
そういう意味では、確かに最初の半年くらいは、連戦連勝で、
「さすがに、完全無敵な大日本帝国軍」
という地位の面目躍如であったが、次第に、米英は、国力を回復してくる。
さらに、日本は、調子に乗って、当初の予定よりも、占領地を拡大していった。補給もままならないままに、領土が拡大し続け、戦線の確保ができるわけもないところまで伸び切ってしまっていたのだ。
こうなってしまっては、もう相手の思うつぼで、
「輸送船団を狙え」
ということで、兵員や武器弾薬、さらには食料などの物資が、使われることもなく、米軍からの攻撃を受け、海の藻屑と消えていったのだった。
そもそも、インドネシアの油田の確保が目的で、その周辺を、防波堤として、占領していればよかったものを、
「何を考えてか、ガダルカナル付近まで占領するという形に持っていった理由が分からない」
と言ってもいいだろう。
そのせいで、ガダルカナルも死守しなければならなくなり、結果、あの悲惨な、
「ガダルカナル攻防戦」
が繰り広げられたのだった。
そもそも、占領地が広がるということは、想定していた以上の捕虜を抱えてしまうということになりかねないことは分かり切っていることだったはずだ。だから、フィリピン攻略の際の、相当数の捕虜ができたため、その輸送が徒歩だったことで、
「バターン死の行進」
などということで、
「捕虜への虐待」
として伝えられることにあったのだ。
もっとも、本当にあったことなのかどうか、疑わしいところもあるが、その当時の事情から考えて、それに近い、そして、やむを得ない事情の下に行われたという可能性も高いのではないだろうか?
そもそも、戦争なのだから、それくらいのことはあっても仕方のないことなのかも知れない。当時の戦争では、もっとむごいことが平気で行われていたというのも、事実のようだからである。
そんな戦争であったが、いかにも、
「日本が戦争を吹っ掛けた」
あるいは、
「侵略戦争の果てに、無謀な戦争に突き進んだ」
という風に言われているが、果たして、
「それだけのことだったのだろうか?」
ということが大きな問題である。前述のように、
「アメリカが、ヨーロッパの戦争に介入したいがために、日本を戦争に引き釣り出した」
ということであれば、話はまったく変わってくるのだ。
情報操作として、
「真珠湾の奇襲が、騙し討ち」
という形でアメリカ人の心を動かしたのだとすれば、それは完全な情報操作である。
日本国内においても、戦争継続のため、
「敗北をいかにも勝利として宣伝したことも、情報操作であろう」
しかし、戦争継続、士気の鼓舞ということによるものであれば、それもやむを得ないことだったに違いない。
だが、問題はさらに大きかった。
「情報操作というウソをでっち上げたのだから、実際に、敗北という真相を知っている人間をそのままにしておくわけにはいかない」
ということである。
つまり、敗北した戦闘に参加し、命からがら帰国した人たち、中にはけが人もいただろうが、彼らを、地元、いや、日本本土の土を踏ませるわけにはいかないのだ。
いくら、
「喋ってはいけない」
と言っても、戦争中のこの状態で、信用できるわけもなく、結局、
「どこかの島に監禁し、戦争が終わるまで、監視をつけて出られないようにする」
というやり方が、
「一番の激戦区と言われている最前線に送り込んで、戦死させよう」
という企みを巡らせるしかないのだ。
しかし、敗戦に敗戦を重ねてくると、同じような人がどんどん増えてくる。果たして、軍がどこまで、それだけの人間を隠し通せたのかも分からない、
問題は、
「誰がどこまで、ここまでの窮状を知っていたのか?」
ということである。
基本的に、
「政府の人間」
は知らないと考えるのが普通だろう?
というのは、
「軍というのは、憲法の規定で、天皇が統帥する」
ということになっている。
つまりは、
「天皇直轄の機関」
ということになるのだ。
だから、政府とは、独立していて、政府と言えども、
「天皇を介してではないと、軍の作戦ややり方を知ることはできない。ましてや、口出しなどもってのほか」
ということであった。
いわゆる、軍というのは、
「特権階級だ」
と言ってもいいかも知れない。
では、問題として、
「直轄している天皇がこの状況を知っていたのか?」
ということが問題であるが、ここは何ともいえない。
本当は報告の義務があるのだろうが、天皇に話すと、まず反対され、下手をすれば、戦争を終わらせるという方向に行くかも知れない。
軍とすれば、それだけは容認できないだろう。敗戦ということになれば、軍の責任というのは大きなもので、そうなると、日本の国体維持、つまり天皇制が危うくなるということだ。
逆に天皇制がなくなれば、自動的に今の軍は解体ということになる。軍は残るかも知れないが、今までのような特権階級として、作戦を遂行することはできないだろう。
それは、軍としては、致命的で、
「戦争を勝利で終わらせなければ、自分たちの未来はない」
ということになるのだ。
だから、必死になって、戦争終結に固執する。
もし、帰還兵が、かの戦闘の大敗を大きく宣伝すれば、絶対に反戦ムードが高まってしまう。
いくら、特高警察が、治安維持を名目として、国民を縛っても、士気に影響してしまうと、
「総力戦で戦うという戦争の、その意義が失われてしまう」
ということになり。せっかく戦争遂行に一致団結している体勢が崩れてしまうということだった。
そのうちに政府もおかしいと感じるかも知れない。だから、水面下で、政府としては、戦争終結に向けて、不可侵条約を結んでいるソ連に、終戦に向けての調整をお願いするという、結果論からいえば、
「愚の骨頂」
ともいえる交渉を、真面目に進めてきたのだった。
そもそもソ連とは不可侵条約を結んでいるとはいえ、敵国と同盟を結んでいる国ではないか。そんな国に調停をお願いしようなどとは、普通の精神状態ではありえないことなので、それだけ、政府も、
「他に戦争を辞める手はない」
と思っていたことだろう。
そのことを果たして軍が知っていたのかということだが、そこも分からない。知っていれば、軍が政府の妨害をしていただろうからである。
ただ、天皇には上奏していたことだろう。もし、ソ連が調停に応じるということになれば、国家元首たる天皇が、
「知らなかった」
というのはありえないからだ。
やはり、停戦に向けてのキーポイントは天皇だったのだろうと思われるのだ。
結局、米軍の攻撃がひどくなってきて、アリアナ諸島が陥落したことで、日本国土のほとんどの主要都市が、射程範囲内に入ったということで、致命的だったのだ。
しかも、相手は、空爆を、本来の、
「軍事施設のみを攻撃するピンポイント爆撃」
というものから、
「一般市民を標的にした無差別爆撃」
に切り替えてきたのだから、米軍の作戦は、
「日本本土焦土化作戦」
だったといっても過言ではない。
毎日のように、B29爆撃機が、日本の2,3の主要都市の上空に現れ、焼夷弾や爆弾を雨あられとして落としていく。
朝になれば、燃え落ちた家屋と、夥しい死体が残っていて、それを無言で片付けている市民や、行政の姿が見られるということだ。
生き残った人のほとんどは、家を失い、どうすることのできなかったことだろう。
「まだ、空襲で襲われていない土地に逃げる?」
と言っても、いつ、同じことになるか分からない。
それを思うと、安易に逃げ出すわけにもいかないだろう。
中には、
「この土地は、今までに空襲らしい空襲に遭っていない」
ということを聞きつけて、避難していった場所で、未曽有の攻撃にさらされてしまったという人も少なくないだろう。
その土地というのが、広島だったというのだから、少しでも歴史を知っている人、いや、日本人であれば、
「その人たちがどうなったのか?」
ということは、容易に分かるだろうということである。
「戦争というものの悲惨さを思い切り、全世界の人に思い知らせたのが、ヒロシマ、ナガサキの惨状だった」
ということだろう。
これに関しては、いうまでもないことに違いない。
ただ、日本が敗戦を決意し、無条件降伏を受け入れることになった直接の原因というのは、
「ヒロシマ、ナガサキの惨状ではない」
といえる。
一番の原因としては、長崎に原爆が投下されたその日に、それまで政府が水面下で交渉をしていたソ連軍が、不可侵条約を一方的に破棄し、
「満州国になだれ込んできた」
ということだった。
そもそも満州国というのは、
「ソ連への防波堤」
ということで築かれたものだった。
たくさんの移民を抱え、極寒の土地で開拓者を夢見、その絶望感を味わっていた国である。
中国軍との戦いで大変だったところを、ソ連がいきなり攻めてきたのだ。混乱と、
「今度は、北からソ連、南からアメリカ」
という形での挟み撃ちには、
「もうどうしようもない」
ということが決まったかのような感じなったことで、さすがの政府も軍も、
「無条件降伏を受け入れるしかない」
ということになったのだ。
最後まで抵抗した陸軍であったが、もう天皇が覚悟を決めている以上、どうすることもできない。
ある意味、天皇が一番冷静だったのかも知れない。
今の時代では、
「あの戦争は天皇が引き起こしたものだ」
と言っている人がいるが、果たしてそうだったのか、正直分からない。
少なくとも、大日本帝国下においての、
「軍、政府、天皇」
の関係は、微妙な溝があったことで、それが、戦時においては
「致命的だった」
といえるのではないだろうか?
これが、端折りはしたが、
「大東亜戦争」
と呼ばれるものの顛末である。
もちろん、別の見方もあるだろうが、作者の考える戦争であった。
話が脱線してしまったが、今は戦争が終結して、占領軍によって、日本という国は戦争責任の意味でも、軍部や財閥、特権階級である、爵位制度などもなくなり、農地改革、新円の切り替えなどをへて、徐々に、
「占領軍に押し付けられた民主主義」
を目指す国家と変貌を告げたのだ。
ただ、急な変革には、反対があるもので、日米安保の問題の時などは、全国的なデモに発展したというではないか。
日本人の考え方を180度変えるというのだから、それは、相当な問題が「潜んでいたことだろう。
そんな戦争を最初に始めた時、領事館の役目は結構大きなものだった。
特に中国などは、抗日運動を繰り返していて、毎日のように、満州では、
「中国人による日本人への虐殺」
などが起こっていたのだ。
「居留民保護」
を目的として、関東軍と協力して、その治安に当たったり、保護しなければいけない立場にあったということであろう。
そんな領事館が日本にも、点々として置かれていた。
大使館というのは、その国の政府との交渉を行うところであるが、領事館は、それよりも居留民に近いもので、直接その保護を行ったりすることもあって、主要都市に各国の領事館が置かれていたりしたものだ。
それに、有事、つまり、戦闘状態になったり、災害い見舞われたりした時など、
「首都機能が、マヒしたりして、戒厳令が出されると、大使館としての機能も制限されるだろう」
そのために、各地の領事館が、居留民保護であったり、治安維持のために、大使館の代役をするということもあっただろう。
そういう意味で、かつての領事館の任務も大きかったのかも知れない。
ここには、それらの領事館が多く設置されていた。
「港に近い」
という意味で、有事になった時、
「居留民をとりあえず、船で逃がす」
という目的があったのだろう。
それ思うと、
「このあたりに領事館が多いというのも分からなくもないな」
と思うのであった。
そんな領事館を抜けていくと、今度は、また別の大きな建物が見えてきた。ところどころ整備はされているようだが、元々の目的で使用されているようには見えなかった。もし使われているのであれば、それなりに、専用自動車が何台か常駐していてもいいだろうからである。
そこにあったのは病院であった。どうやら博物館になっているようで、今の総合病院や大学病院に匹敵するくらいの大きさで、よく見ると看板には、
「旧陸軍病院址」
と書かれていた。
「救急自動車が止まっていて不思議はないと最初思ったが、考えてみれば、救急自動車がいるのは、消防署管轄なので、いなくても当然だ」
と思ったが、そんな当たり前のことが思いつかないほどに、この土地は、他の土地と趣が違っているということであろう。
もっとも、この病院であれば、
「救急車がいても、不思議はない」
と、真剣に思ったのだが、それだけ、目の前の病院が、
「まだ現役で稼働している」
と言われても、違和感がないほど、他の土地で、いまだに古い病院が営業していることの証明のような気がした。
それくらい、大学病院というところは、結構、古い建物が残っているということであろう。
それでも、実際には、耐震構造などの問題から立て直しが行われているのだろうが、入院患者の受け入れの問題などもあって、なかなか進んでいないのも実情だろう。
というのも、今の時代、
「世界的なパンデミック」
が起こってから、それまでと状況が一変してしまった。
街中にはマスク姿の人であふれ、昔であれば、
「なんと不気味な集団」
と思っていたものが当たり前の光景になり、ノーマスクの人間が近くを通ると、思わず避けてしまったり、睨みつけたりするのが、普通の行動になったのだ。
もっとも、ノーマスクなどという非常識な連中に同情の余地などないのだが、ぎこちない生活を余儀なくされるようになったことに、もう慣れてしまっているというのも、実情だ。
だが、パンデミックも、2年、3年と経ってくると、まだ収まっているわけでもないのに、最初の頃の危機感とは、まったく別の空気が漂うようになっていた。
政府とすれば、
「命の危険ということばかりを言っていると、経済の問題がどうにもならなくなる」
ということで、
「表を歩く時は、ノーマスク」
などという、とんでもないことを言いだしたりしている。
ハロウィンなどで、最初の年など、首都圏では、
「人込みの中に来ないでください」
と言っているのに、人が集まってきたかと思うと、どこかのバカな地方の大都市の市長が、
「感染対策をしながら楽しんでください」
などということをいうものだから、バカな連中が、
「まるで解禁」
とばかりに、暴れまくり、
「結局数名の逮捕者を出す」
などということがあったのを忘れているのではないだろうか?
要するに、
「国民やマスゴミは、自分たちに都合のいい解釈しかせずに、自治体や政府がいかに、当たり前のことを言ったとしても、受け取る方が、自分に都合よく受け取るのだからしょうがない。
つまり、自治体も政府も、
「国民やマスゴミに対しては、正論だけでは通用しない」
ということを分かっていないからだった。
しかし、これは無理もないことで、
「政治家自身が、一番都合よく解釈しない生き物だからだ」
といえるだろう。
「自分たちがやっていることで、どこか後ろめたいことであれば、自分がそれをやられるということに気づかないものだ」
と言われるが、まさにその通りであろう。
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