第2話 終着駅の街並み
「とにかく上司が言っていることに間違いはない」
ということはれっきとした事実だった。
だからと言って、自分が考えたことはすべて跳ね返される。何かを言っても、すべてが言い訳として処理される。
そうなると、前に進むことができなくなり、ゴールが見えているのに、行き過ぎてしまって、またもう一度ゴールを目指すということになる。
そんなことをしているうちに、皆ゴールしてしまうのだ。
それを思うと、童話に出てきた。
「ウサギとカメ」
の競争の話を思いだした。
ウサギは、カメが相手などということになると、
「どうせ、余裕で俺が勝つんだ」
ということで、途中で昼寝をしてしまい、気が付けばかなり寝ていたようで、カメに先にゴールされていたというオチであった。
これは、あくまでも、ウサギが余裕をぶちかましたことで、油断してしまい、カメに負けたということで、教訓として、
「油断大敵」
ということになるのであろう。
しかし、実際には、
「油断大敵というよりも、もっと奥が深いのではないか?」
と考えられる。
なぜなら、このお話では、すべてが、ウサギからの一方的な見方であり、相手をしているカメの気持ちや性格、考え方がまったく物語に反映されていないではないか。
逆を言えば、
「反映されていないからこそ、ウサギを主人公にするだけで、物語が完成し、教訓というものが生まれることになる」
といえるのだ。
もし、この時、主人公はあくまでもウサギだということにして、さらにカメの心情などを表すようにして、結論を、
「油断大敵」
ということにするのであれば、少しやり方が、卑怯な方法に結びつける必要があるだろう。
つまり、
「カメを悪者にすることで、ウサギは単純に、油断したことで、カメにゴールを奪われた」
という結論になるだろう。
そうなってしまうと、今度は、カメの立場もウサギと同等、いや、それ以上に目立たせないと、
「油断からの大敵」
が表に出てこない。
つまり、この場合の大敵というのが、カメのことだからである。
「いかにも悪党としてのカメを演じることで、ウサギの誠意な部分が表には出てくるのだが、それだけに、油断をすると、足元をすくわれる」
ということが、一種の、
「大人の世界」
における、
「油断大敵だ」
ということになるのだ。
それを自覚していないと、この話を、
「本当に油断大敵を戒めるものだ」
という解釈にならないだろう。
ただ、この場合のカメを悪にしてしまうと、勧善懲悪の観点から、
「カメが最初にゴールする」
という考えは、容認できるものではないといえるのだ。
そうなれば、カメに注目を集めないようにして、あくまでも、カメをわき役として、最後にご褒美があったという程度にとどめておく必要があったというものであろう。
それが、
「うさぎとカメ」
の話であるが、ここに、
「勧善懲悪の側面は存在しない」
ということにしてしまう必要があったということである。
それを考えれば、
「童話というのは、どこまでの教訓を表に出すことができるか?」
ということにかかってくるのではないだろうか?
会社においての、苦悩の一番の問題は、
「相手が言っていることに間違いがない」
ということである。
今であれば、それらも含めて、
「パワハラだ」
ということもできるかも知れない。
被害妄想を持っていれば、その思いが自分の中でパワハラだと思うことで、皆が味方してくれると思うからだ。
ただ、今の時代においてでも、
「パワハラにはならない」
ということになると、身動きが取れなくなってしまうだろう。
取れなくなった身動きであるが、金縛りにあっているような気分になると、
「何が正しいというのか?」
ということで、相手を責められないと思うと、まったく逆らえない。
そうなると、苛めの時のように、
「時間をもって、やり過ごすしかない」
としか思えないであろう。
そんなことを考えていると、世の中において、
「何とか、自分の正当性を見つけるしかない」
と考えるしかなくなるであろう。
相手も正しいのだから、このままでいけば、自分だけが悪者になってしまい、立場上も、
「上司のいうことには従わなければならない」
ということになる。
もし、この上司や、他の上司から、
「パワハラのようなこと」
を受けているとして、それを同じように苦しんでいるとすれば、
「誰かが立ち上がるしかない」
ということになるであろう。
「ハラスメントはコンプライアンス違反として、認めてはいけないことだ」
と世間では言われているが、それに逆らうかのように、いくら相手に正当性があるといって認めてしまうと、他に、同じようなことで苦しんでいる人がいるのだとすると、ここで負けてしまうのは、
「逃げていること」
であり、皆をも、巻き込んでしまうといえる。
そこまで、自分に責任を負わせる必要はないのだろうが、もし、今度立場が逆になった時は、きっと、まわりから、
「許してもらえない」
ということになるに違いない。
それを思うと、
「いかに、まわりに対し、自分の正当性を訴えるか」
ということになるのだが、ここで逃げの姿勢を見せてしまうと、どうしようもなくなってしまうに違いない。
そんなことを考えていると、余計に雁字搦めにされてしまうかのようで、
「自分のまわりにいる人たちも、時と場合によって、敵にも味方にもなれるに違いない」
といえるであろう。
だから、
「他人なんだから、俺には関係ない」
と突っぱねるような考えをせずに、まわりのことを考えておかないと、結果、自分にブーメランとして戻ってくることになるかも知れないのだった。
「だが、相手に非がなく、正しいのは明らかである」
ということが分かれば、身動きのできない状態で、下手に動いてもいいのだろうか?
と思うのだ。
そこで身動きが取れなくなる人には、
「気が付けば逃げに入っていた」
というような、
「無意識の逃げ」
というものがあるに違いない。
それを思うと、余計なことは言えないのであって、いかにどの方向に、遊び部分としてのニュートラルを作っていかないといけないということになるのであろう。
そんなことを考えていると、最初こそ、会社で定時近くの時間から、最終に間に合うくらいまでの時間を過ごすかということに集中しなければいけなかった。
時間にして、午後七時くらいから、最終電車の発車時間から逆算すると、大体会社を午後11時くらいまではいなければいけない計算になる。
残業しての4時間くらいだと、それほどのきつさはない。最初の一週間はm想像以上にきつかったのだが、それからは慣れてきたのか、さほどでもなくなっていた。
「残業の4時間とそんなに変わりはないかな?」
というくらいになり、2週間が過ぎると、今度は一気に疲れが襲ってくるのか、
「虚脱感が、ハンパない」
と思うようになってきた。
正直、毎日熱を測っていたのだが、その頃になると、体温が、それまでより1度近く高くなり、それまでは、15度台だったものが、36度台後半を示すようになり、明らかに熱っぽさを感じるようになったのだ。
身体がほてってしまい、疲れが感じられるようになった。まるで、
「眠たいのに眠ることができないかのような、指先が痺れ、身体の重たさがまるで石のようであるのを感じさせ、眠っているのか、起きているのか、意識がなくなってしまったかのよう」
だったのだ。
そんな状態で、会社に行くのも億劫になってきた。そのくせ、
「会社の人とは逢いたい」
という不思議な感覚に襲われた。
もちろん、その上司とは顔を合わせるのも恐ろしく、近くを通っただけでも、身体に悪寒が入り、吐きそうになるのを感じるのだ。
それなのに、他の社員に遭いたいと思うから会社にも来れるのだった。
「まさか、他の人が今のこの苦しみを救ってくれるはずはない」
ということは分かっている。
だが、
「他の人に逢いたい」
と思うことで、何とか会社に来ることができるのだ。
もしそう思わなければ、きっと引きこもりになっているだろう。
ひょっとすると、会社の総務が、連絡をくれるかも知れない。だが、その時は、
「解雇通帳」
であり、完全に自分が、
「出社拒否」
をしていることで、業務遂行が判断ということで、
「懲戒解雇」
ということになっても、無理もない案件だ。
上司に、
「佐藤君がなぜ出社してこないということを君は知っているのか?」
と聞かれたとすると、
「いいえ、知りません」
と答えることだろう。
それ以上のことを答えると、自分が苛めたためだということを白状するというもので、上司が苛めたという自覚がない以上。総務部からいわれる前に、上司として、連絡の一つもあっていいだろう。
きっと、
「連絡もしてこないようなやつは、社会人失格だ」
とでも思っていて、今までの所業には悪気がなく、あくまでも、
「部下への教育だった」
と思っているかも知れない。
もし、そうだとすると、上司には、
「これから連絡してくることはないだろう」
という思いしか浮かんでこなかった。
その期間、佐藤はずっと黙って、家で引きこもっていただけではない。
最初の3日間は、体調不良ということで連絡をしたが、そこから、一週間近くは、完全に、無断決起印であった。
だが、確かに最初の3日間は、体調も悪く、実際に発熱もしていたので、体調が悪かったというのも、まんざらでもなかったのだ。
だが、そこからの一週間は、体調も治り、精神状態がしっかりさえしていれば、会社に赴くことができた。
しかし、4日目会社に行こうと家を出て、今までのように駅までいったのだが、駅を出てからというもの、身体が、まったく動かなくあり、降りるはずの駅で降りれなかった。一緒の金縛り状態だったといってもいいだろう。
そして気が付けば、降りたこともない駅で降りていた。
というか、そこが終着駅だったのだ。
もちろん、初めて乗った数着駅、
「こんな寂しい駅だったとは、思ってもいなかった」
といえる駅だったのだ。
駅前は、寂れている。
というよりも、昔の佇まいが残ったままで、開発から遅れてしまった駅だといっても過言ではないのだ。
寂れた駅前には、お約束といってもいい、ロータリーと、その先には、アーケードが昔のままの商店街があった。
今の商店街でも、老朽化したからといって、建て直したはいいが、そこから、客はおろか、電車に乗る人さえもが、まばらに感じられる駅前の風景画思いだされた。
それも、電車に乗る人は確かにいるのだが、結局駅前からバスにのって、住宅街に引きこもった形の家に住んでいる人が、商店街を通らずに通勤しているということになるのだった。
そんな商店街と、その商店街のイメージが時系列で交錯したことで、この終着駅の商店街が、映えて見えるのは、面白い感覚だった。
思わず、
「今日はここで過ごそうか?」
と考え、会社に行く気もしなくなったのだ。
「会社には明日行けばいい」
と考え、上司のことも頭から離れていた。
この不可思議な、
「時代が交錯した」
といえる雰囲気の中で、商店街を見ていると、商店街の奥に見えている明かりが、自分を呼んでいる木がした。
その明かりというのは、ちょうどその先に児童公園があり、そこに、日の光が当たったことで、ちょうど、こちらに反射した明かりが見えているだけだったのだが、その偶然が、あたかも自分を誘ったのだ。
最初から、その光が、太陽の光で、反射したものだということが分かっていたのだ。
分かっているから、余計にその偶然に魅せられたと言えばいいのか、見えている明かりが、すでに分かっている偶然が、自分を呼んでいると思えてならなかった。
公園に行くと、誰もいなかった。
いないにも関わらず、ブランコが揺れていて、まるで誰かが乗っているかのように見えることで、震えに襲われる。そして、襲われたその震えを感じたそのちょうどの瞬間に、フッと風が吹き抜けていくのだった。
しかも、何か生暖かい空気が感じられ、その暖かさが、腰から吹き抜ける風によって、膝に急な痛みが感じられた。
「この痛み、最近、無性に感じるような気がするな」
と、まるで懐かしいと思うくらいんおその痛みに、どこからくるものなのかがすぐには思いだせないことを、不思議に感じていた。
そのわりには、この駅に着いてからの、想像やイメージが、すべてに繋がっているかのように思えたのだ。
その想像がどこから来ているのか分からないことが、余計に、何かを暗示させているように思えてならなかったのだ。
子供の頃に、家族で撮った写真を、ずっと母親は、リビングに飾っていた。
その写真を、
「いつまでここに置いておくんだい」
とばかりに、中学時代だったか、無意識に聞いたことがあった。
無意識だっただけに、それ以上何かを聴こうと思うと、口から何も出てこない。
言ってしまってから、
「余計なことを言ったかな?」
と思ったが、後悔しているわけではないのだ。
母親が急に寂しい表情をし、その表情がやけにリアルだったこともあって、
「聞いてはいけないことを聞いてしまったんだ」
と感じたのだ。
しかし、いまさらどうなるものでもなかったが、そのことに関してそれから誰も触れることのない、デリケートな問題になってしまったようだった。
そんな田舎街なのか、都会なのか、中途半端な感じの街い降り立って、駅前ロータリーから、今降りてきた駅を見ると、完全にレトロな雰囲気を醸し出していた。
ここの駅前尾ロータリーから駅舎を見ると、その向こうに見えるのが、駅舎の屋根の上に、小高い山が見えていた。
その山はまるで、こちらに迫ってくるような間近に感じられたのだが、それほど低い山でも、そんなに近いわけでもなく、完全な錯覚であり、その向こうに迫ってくるように見えるのは、そこだけ山が単独で、独立して存在しているからであった。
その反対側、つまり、ロータリーを抜けて少し行くと、もうそこは、海だということは分かっていたのだ。
目の前に見えている、迫ってくるような山を見ていると、後ろに広がっているであろう海に落ち込みそうな気がして、後ろを気にしないわけにはいかなかった。
だから、
「山が迫ってくるような錯覚に陥ったのだ」
と感じたが、今度は、海が気になって、視線を山から切り、今度はロータリーへと向けた。
そもそも、この街は、昔から、
「レトロな街」
として有名だった。
それも、昭和でもなく、明治でもない、大正という実に短い期間だったのだ。
大正年間というと、15年しかないのだが、その間に、歴史は激動であった。
激動の時代が、明治後半から始まり、終わったのは、きっと敗戦の時であろう。それを思うと、約40数年間という時代は、
「どこで切っていいのか分からない」
あるいは、
「どこで切っても金太郎のように、同じ時間が存在しているのではないだろうか?」
と考えられるのだった。
山を見上げていた視線を、今度あロータリーに移すと、今度は、そのロータリーがかなり広く、そして深く感じられるのだった。
そう思うと、
「このロータリーを広く見せたい」
という意識があったから、
「山が迫ってくるかのように見せた」
といえるのではないかと感じたのだ。
まるで、
「パノラマ映像でも見ているか」
のように感じるロータリーから、横断所道を渡って少しいくと、昔の銀行の本店を思わせる建物が、数軒、軒を連ねているのであった。
今では、博物館のようになっているところもあるが、中には、今でも営業しているところもあり、実際に博物館かと思って中に入ると、建物だけは大正で、中の時代は、まぎれもなく令和だったのだ。
「いらっしゃいませ」
という声が、静かな建物に反響し、思わず建物から立ち去ってしまったのは、
「この街に慣れていない証拠だ」
といえるのではないだろうか?
ずっと歩いていると、
「そういえば、以前、ここに女の子ときたことがあったな」
と、初めてではないと思っていたが、それがいつだったのか思い出せない中、自然と思いだしてきた中において、
「分かっているのに、こんなに長く思いだせない」
などと、我ながら思っているとは感じなかった。
それだけ、この土地は、しばらく来なかっただけで、
「初めてきたのではないか?」
と感じさせるほどの街だったのだ。
「こんなに大正ロマンが溢れるところは、日本でもそんなにはないだろうな」
と思いながら歩いていると、角を曲がって見えてくる。
「あたかも大正ロマンを思い起こさせる光景が、頭に浮かんできて、それが間違いのないことだ」
ということを思い知らされるに違いないと思ったのだった。
前を歩いている人に、近づけそうで近づけない感覚。これも、デジャブのようだった。
それは、前に女の子と一緒に来た時に感じたことでもあった。
「あれは、冬だったかな?」
と寒かったことを思いだしたのだった。
この街は、観光コースになっているようで、ちょうど歩いているところが、観光コースの入り口になっているようで、
「やっぱり、自分が感じている方向に進んでいるんだな」
と感じた、
それは、無意識の子供の頃の記憶で、その記憶が残っていたから、進む方向もおのずと分かったのだろう。
ただ、それは逆に、子供の頃にいった記憶を失っていて、中途半端にしか思い出せない証拠であり、その証拠を、本当なら悔しがるはずの自分がいるのに、悔しがることができず、当たり前のこととして感じる自分がいるのだった。
そんな順路通りに歩いていくと、見覚えのある風景が目の前に広がっていた。最初は、
「あっ、海が見えた」
と思ったのだが、そこに違和感があり、
「ああ、そうだ」
と感じたのだ。
そこは、海は海ではあるが、内海になっていて、入り江になったところのコの字型の3方には、大きな建物が建っていて、正面にはレストハウスとなっている大きな建物があり、それを囲む形で、大正ロマンに溢れる建物が建っていた。
やはり、一つはかつては、どこかの支店か営業所だったのだろうが、雰囲気から見れば、明らかに建て方が業種が分かる建て方だった。
「ああ、郵便局だ」
と、今でも地方の主要都市に残っているであろう建て方のまま佇んでいることから、容易に想像がついたのだった。
その建物の対面に位置しているのが、今度はよく分かりにくい建物だが、雰囲気、民間というよりも、自治体の建物を感じさせるので、見に行くと、どうやら、
「某国の領事館」
のようであった。
元々、
「外務省の機関」
として設置されているのは、大使館と変わりはないが、役割が違っている。
領事館というのは、主に。
「居留民の保護」
ということを目的にしている。
つまり、日本がアメリカに領事館を設置したとすれば、保護対象になるのは、
「在米日本人」
ということになる。
例えば、アメリカで戦争や災害などの問題が発生した際に、居留門を保護したり、あるいは、被害者の数の把握などを行い、大使館を通して、本国に報告ということになるのだろう。
そして、今度は大使館であるが、ここは、完全に当地である外国政府との交渉などを行うという、
「外交目的」
として作られたものである。
大使館には、
「駐米大使」
などがいて、アメリカの国務大臣などと外交を行う。
かつての大東亜戦争開戦時前夜における、
「野村吉三郎大使」
などが有名であるが、その時に、有名な真珠湾攻撃に遅れること、一時間あまり。
アメリカの宣戦を確固たるものにしたということであった。
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