違和感による伝染
森本 晃次
第1話 気に食わない上司
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和4年11月時点のものです。。
世の中に、
「コンプライアンス」
という言葉が注目を浴びるようになったというのは、一体いつ頃のことであろうか?
定義としては、
「(要求、命令などでの)承諾。追従」
ということのようだ。
具体的には、
「法令遵守。特に,企業活動において社会規範に反することなく,公正・公平に業務遂行することをいう」
ということのようである。
かつての、
「企業戦士」
と言われ、上司の命令であれば、絶対と言われていた時代に対して、いわゆる、
「嫌がらせ」
などという意味がある、
「ハラスメント」
というものを戒めるかのように用いられる。
ハラスメントというと、
「セクシャルハラスメント」
「パワーハラスメント」
「モラルハラスメント」
など、相手との優越性をかさに着て、相手に立場上の圧力をかけることで、その優越を感じさせることで、行う、
「嫌がらせ」
である。
昭和の頃では当たり前のこととして行われ、逆らうことができなかったが、最近では、「男女雇用均等」
という問題とともに。会社側や上司、労働者側、部下という境において、大人としての最低限のモラルや常識を取り戻そうという考えであった。
実際に、昭和の時代などは、会社にての無言の圧力として、上司が会議をしていると、部下が勝手に帰社することは許されなかった。
また、飲み会などでは上司から、
「俺の酒が飲めんのか?」
と怒鳴られたり、新入社員だから、仕事がないということで、公園に、花見の場所取りに行かされたりと、
「そんなことは当たり前だ」
と言わんばかりに上司は振る舞っていた。
さらには、女性に対して、わいせつな言葉を言ったり、精神的にショックを受けるような容姿について、あるいは、
「そろそろいい男できたじゃない?」
などと、男側は、
「世間話だ」
といって、笑って済ませられるような時代がかつては存在したのだった。
上司から言わせると、
「俺らだって、上司から受けてきた洗礼のようなものだ。今に始まったことではない」
ということで、いかにも当たり前のこととして、言い張るのだ。
モラルというもの、常識というもの、学校で習ってきて知っているはずなのに、あたかも、
「社会というところは、そうやって成り立ってくたんだ」
と言わせられるだけのことであった。
もちろん、まだ最近会社に入ったばかりの佐藤秀和に、そんな昭和の時代の話は、経験からの話ではなかった。
話を聴いたというのも、最近のことであって、父親に昔聞いた話であったり、学校の、ホームルームの時間、会社についての話をしていたのが、頭に残っていたからだっただろう。
まだ、その頃は、コンプライアンスという言葉もあるにはあったが、問題になっているということで、ここまで徹底されるところまで行っていたわけではなかったのだ。
そのことを考えると、
「この三十年、いわゆる平成という時代に、どれだけの変革があったのだろうか?」
ということがうかがえるというものである。
今の時代になってから、過去のことを思い起こすということは、会社で仕事をしている分にはあまり意識することがないはずだったのに、それを思い起こすことになったのは、佐藤が、今までついていた部署から、違う部署に変わったからだった。
彼の入った会社では、
「若いうちに、社員には、いろいろな経験をさせる」
というのが、昔からの基準のようになっていた。
彼も、毎年のように転属になり、最初は営業の見習いのような仕事をしたり、企画部で、「企画の仕事のイロハ」
というものを学んだりした。
そして、今回、経理部に所属替えになったのだが、そこで、彼は実に苦手な上司に遭遇することになった。
正直、何が苦手といって、話をしていても、こちらの話を聴いてくれない人で、まだ何とか、最初は自分の意見を言ってみたりしたのだが、3カ月もすると、もう何も言えなくなってしまった。
しかし、今までの経験から、
「そうだ、この会社は、一年か二年で、すぐに他の部署に変わるじゃないか。後1年くらいの辛抱ではないか?」
と思うようになって、次第に気は楽になっていた。
だが、それでも、仕事をしていて、いうことを聞いてくれないことでできてしまったわだかまりは、その1年ちょっとという時期さえも、自分の中で崩れ落ちる自信と気力を蝕んでいくのだった。
「俺は、1年と思っているこの期間、耐えることができるだろうか?」
と思い悩んでいた。
「トイレでも、一度我慢をしてしまうと、次はなかなか我慢できずに、トイレへの期間が、どんどん刻まれてしまうではないか?」
と感じたのだ。
トイレというびろうなたとえをしたのは、あまりいいことではないと思ったが、まさにその時の心境が、その状況を表していたのだ。
上司と面と向かっているだけで、
「一緒にいること」
あるいは、
「一緒の空気を吸っている」
というだけで、耐えられなくなるのだ。
佐藤は、中学時代に、苛めを受けていた。理由もない理不尽な苛めだったのだが、それを助けてくれる人などいるはずもない。もし、助けなどの手を差し伸べれば、苛めの食指は、その人間にも伸びてしまう。
そのことは佐藤が一番よく分かっていたので、
「何とか被害を最小限に食い止めてやり過ごすしかない」
ということだけを考えていた。
だから、苛めをする人間には逆らわない。
相手が逆らわないということで、
「こいつに何をやっても、反応がない。これほど面白くないことはない」
と感じるようになるだろう。
そう思うと、
「自分も、苛められている人がいれば、助けるなどということはしないに違いない」
と感じたことと同じで、
「相手に苛められないようにするには、どうすればいいか?」
ということを自分で考えるしかない。
そこで思いついたのが、今のような考え方だったのだ。
反応がないことに、相手もさすがに、
「苛めることに疲れたのかも知れない」
と思うと、
「まさに、こちらの思うつぼ」
ということで、相手が、苛めることを辞めたことが、自分にとっての作戦勝ちであり、「これからの自分の人生における教訓だ」
ということに気づいたという瞬間でもあったのだ。
少年時代に苛められたことで、学んだこともあった。
「苛められている間は決して逆らってはいけない」
これは、逆らうことで、相手に自分の痛みを感じさせ、相手がそれを楽しいと感じることが怖いと思ったのだ。
そして、その相手を怒らせることをしないでやり過ごすことで、
「自分の正当性をまわりに示す」
というのもあった。
最初の理屈では、
「足が攣った時の対応」
ということを感じさせるのであった。
足が攣った時は、身体がいうことを利かないほどの痛みが全身に走り、まずは、
「足をさすろう」
という思いになっても、硬直してしまった身体を動かすことができず、必死になって、耐えようとする。
その時、
「決してまわりには悟られたくない」
という思いを感じるのだが、それは、
「まわりの人に心配されたとしても、まわりの人が痛みを変わってくれることも、ましてや、解消してくれるわけでもない」
ということだからである。
だとすれば、まわりに気にされて、下手に同情されてしまうと、
「せっかく必死で耐えようとしている痛みに、自分が負けてしまうのではないか?」
という思いを抱くからだと思ったのだ。
このことを最初から分かっていたわけではない。痛みを感じている時、その痛みを感じながら自分で悟ったのだ。
もちろん、無意識の感覚に違いないのだが、相手がそのことを分かってくれているはずもないので、自分で、知られないようにしないといけない。
だから、相手の痛みを分かってもいないくせに、分かっているように振る舞うのは、完全にウソであり、その気持ちは、相手の自己満足や、自己顕示欲から来ているものなのではないかと思うのだった。
痛みをどこまで耐えられるかということは、その時々によって違うものである。それを分かっているので、相手に同情されるというのは、痛がっている自分に対して、まるで。
「傷口に塩を塗る」
という行為に相違ないと思うのだった。
それを思うと、自分が苛めという痛みから解放されるには、
「間違っても、まわりから助けてもらえる」
などということを思ってはいけないということであった。
さらに、まわりから心配されると、どうやら、
「気弱になってしまうのではないか?」
と考えていたが、その通りのようだ。
気弱になると、せっかく耐えようとしている痛みを受け入れてしまったことになり。負けてしまうと、
「ああ、痛みを甘んじて受け入れなければいけないのだろうか?」
と感じると、その後、急激な痛みが治まった後でも、ロクなことはない。
「足が攣るということは、連鎖反応があり、気を抜いてしまうと、また足が攣るという状況に陥ってしまう」
というのだった。
特に、その痛みに耐えなければいけない時というのは、
「痛みを感じた時、痛みを受け入れることと、自分に負けてしまうということが、同時にきてしまうことで、負けたという意識がなくなるのではないか?」
と思った。
残るのは、痛みを受け入れたということだけであり、その対処として、唯一、
「自分に負けないことだ」
ということであるにも関わらず、それを忘れてしまうのであれば、その後の対応に苦慮しなければならないといえるであろう。
痛みに耐えるということは、精神的な部分と、肉体的な部分の両方を克服しなければいけない。
それは、外的要因による痛みではなく、自分の中から沸き起こった痛みであれば、それは当然のことのようだ。
それを考えると、足が攣った時の対応は、精神的な苦痛から抜けるために、必要な戒めのようなものであった。
そんなことを思いだしていると、
「最初に会社に入った時は、優しい上司に恵まれたと思っていると、急に部署替えの話を聞かされて、そして、自分がロクでもない上司にあたることになるなど、想像もしていなかった」
ということを考えていた。
確かに数か月は、
「何とかなる」
と思い、
「自分がしっかりしてさえいれば、苦しむことはない」
と、考えたことを、愚かだと思ったのに、簡単にその考えを受け入れることができないということに気づいたのだ。
逆らうこともできないことが、こんなに苦しいなどということを、その時の自分は、まったく気づきもしなかった。
逆らうということは、
「相手が自分のことを分かってくれて、そこで初めて成立するもので、その自分のことを分かってくれないのは、自分の努力が足りないからだ」
と考えていたが、
「それが間違いだった」
ということに、すぐに気づかなかったのは、自分が悪いからだろうか?
「世の中には、自分で何とかなる人間ばかりだ」
と思い込むのは、自分の思い込みからであろうか?
そう思い込むのは、自分がそう思いたいからだと考えるのを、自分の甘えだと思っていたが、逆であり、
「分かっていることを自分で認めることができない」
という思いから、
「何とか自分を納得させたい」
ということで、余計にそう思い込むのではないかということであった。
思い込みが激しいのは、親の教育によるものだったかも知れない。
「とにかく、まずは、自分が間違っているというところから入りなさい」
と母親は言った。
しかし、逆に、
「自分が間違っていないということを、自分で信じれるようにならないといけない。それが男というもので、女にはないものだ」
という、昔の男尊女卑のような発想であったが、逆に、
「それだけのことを考えるには、
「男としての覚悟がいる」
ということの裏返しではないだろうか?
佐藤としては、両親のどちらの考えも分かるつもりだった。そして、どのどちらも受け入れるつもりであったが、しょせんは、水に油のようなもので、決して交わるということのないものだといえるだろう。
そう考えると、佐藤が、社会人になる前に、かなり不安に感じていたことも分かる気がする。
「学生時代であれば、両親の言っていることが矛盾していることなのか、それとも、二人ともの言っていることは、矛盾しているのかも知れないが、そこは男女の違いとして受け入れなければならない」
ということになり、
「男尊女卑」
という現代における、
「男女平等」
という発想に逆行しているようで、受けてきた教育までが、この相対する教育論の中で水を差すものではないかと考えるのだった。
そんな時代において、
「コンプライアンス」
という言葉が言われ出して、今までは正しいとして受け入れられていたことが、
「実は間違っている」
ということになり始めていることを考えると、
「何が正しいのか?」
ということが分からずに、
「時系列としての縦軸だけではなく、並行して考える横軸も、一緒に考えなければいけない」
ということなのかも知れない。
「仕事をただしていればいい」
という状態であれば、部署を移ってすぐの時であれば、
「自分のペースで仕事をする」
という発想になればいいのだが、
「上司が、自分のやりたいようにさせてくれない」
という発想からであれば、まったく何もできないことになるのだ。
ただ、上司はプレッシャーをかけてくるだけで、この時は何も言わない。言ってくるのは、何かの課題を出した時、考え方を話した時だった。
自分の考え方は、かなり自分のやりやすさというものを考えた、ある意味余裕のある考えであるが、上司の考えは、ハッキリとは言わず、ただ、
「違う」
というだけだった。
後になれば、分かってきたのだが、どうやら、上司としても、何が正しいのか分かっていないようだった。
ただ、上司が佐藤の回答を聴いた時点で、どうやら、
「こいつは、自分でも分かっていない」
ということを把握したうえで、
「このように答えると、自分が逃げているということをあからさまにしている」
ということを分かっているかのようである。
分かっているからこそ、あからさまに嫌な顔をするのであって、本当に佐藤を嫌っているのか分からない。もちろん、本当に嫌っているのかも知れないが、お互いにあからさまであることは確かなようだ、
しかし、自分のあからさまなところに気づいていないことで、
「こういうことは、自分で気づかないと分からない」
ということなのだろう。
この上司が、佐藤に対して、
「完全に攻撃的だ」
ということがハッキリしたのは、
「人事考課表」
というものを、会社に提出しないといけなかったからだ。
「人事考課表」
というのは、もちろん、会社によってはフォーマットも形式もまったく違うものだが、これは、社員の、成績表のようなものである。
基本的には、半期に一度、つまり、年に二回の割合で提出するものであった。
要するに、半期の最初に、その期に向かっての、個人目標を最初に立てて、期の間にどれだけ、その目標に達したかということで、自己採点から、最後には、取締役の採点が行われることになる。
佐藤の会社の場合は、まず、初期に定める目標を、2,3個挙げることになる。
もちろん、営業、管理、製造と、それぞれの部署によって違っているだろう。
特に営業、製造などの場合は、企画も含めて、数的目標がしっかりしているので、目標は立てやすいであろう。
しかし、管理部門においては、基本、
「何かを生み出す」
という形ではないので、数的目標はない。しかし、逆に炊事管理によって、会社を適正なものとして会社に貢献する管理部は、
「経費の節減」
あるいは、
「明らかになった会社の成果に対しての数字を分析し、どこに力を入れるべきかということを会社や企画に数字を示して、計画させる」
という仕事が中心になってくることだろう。
それを考えると、目標シートの作り方も、ハッキリしてくるというものだ。
それを考えると、今回、管理部に籍をおいた彼は、その中でも、
「経理部門からの数字」
を目標とすることになる。
目的はハッキリはしていても、自分の立場でできること、あるいは、しなければいけないことを文章にして、数行でまとめるというのは、結構難しいものだった。
「こんなに、ビジネス文書が難しいものだなんて」
と佐藤は感じたほどだった。
それでも、何とか自分で考えて提出したが、案の定、上司は承知しなかった。
「ニュアンス的な方向性は間違っていないが、言葉の使いまわしが、これでは出すわけにはいかない」
というのだ。
佐藤は、分かっていたこととはいえ、頭を抱えた。
確かに、一発でゴーサインが出るわけではないことは分かっていても、自分なりにしっかりと考えて出したつもりだったので、最初は、
「これをどう変えればいいんだ?」
ということで、いろいろ考える。
どうしても、言葉遊びにしかならない感じなので、いくら変えようと思って考えたとしても、
「小手先」
でしかないのだ。
ただ、元々書き上げたものを、
「結構考えて、書いたものなんだ」
という意識があるから、それをいまさら上司に言われたからといって、具体的な指示が出なければ、答えなど出るはずもない。
「これ以上、どうすればいいのか?」
ということになり、しかも、言われたことが、
「言葉のニュアンス的に間違っていない」
というのだ。
ということは、
「ほとんど、間違ってはいない」
ということを言っているのであって、その間違っていないという発想が、
「何をどう考えればいいのか?」
ということを分からなくしてしまう。
経理の仕事をしていれば、数字の違いについても分かってくる。何かの数字を照合する時、
「数字の大きいものは、漠然としたところで、間違いを見つけやすいのだが、数字が小さいと、一見簡単そうに見えるが、小さすぎるということは、間違いは絶対に一つではなく、その間違いとは別に、別の符号の間違いが潜んでいる」
ということだ。
つまりは、
「プラス、マイナスのそれぞれの間違いが絡み合うことで、ちょっとした数字の違いを表しているのだ:
ということにある。
「20円の違いだったとすると、単価単位でも、最低100円のものしか扱っていないのであれば、答えは絶対に一つではない。つまり、あくまでも例でしかないが、片方で100円の違いがあり、片方で、マイナス80円の違いがあったとすれば、プラスマイナスで相殺され、20円の違いが出てくるというものだ。しかし、100円の違いということであれば、まずは、100円というものが、抜けていると考えればいいわけで、探し方も楽だというものだ」
という理屈である。
つまりは、
「考え方の違いが大きい場合は、歩み寄ることで、答えに近づけるが、あまりにも近すぎると、いいところで止めるというのが、難しい」
ということになるのだ。
「双六やゲームをやっていて、サイコロの目が、ゴールでちょうどのタイミングでなくても、数字が大きければゴールというのであれば問題ないのだが、必ずちょうどのところで止まらなければ、オーバーした部分は、板方向に戻るのだとすれば、ゴールインにはかなりの時間が掛かる」
ということになる。
ということは、
「途中までいくらダントツでリードしていても、ゴールに入らなければ、一位にはなれない」
ということで、
「最初のスタートダッシュは何だったんだ?」
ということにある。
そして、ゴールに近づけば近づくほど、難しくなり、神経もすり減らすということであろう。
余計な気を遣わなければいけないわけで、それだけ精神的な力の配分がいかに難しいかということになる。
もし、この方式をスポーツなどで採用していれば、
「最後は実力がモノをいうのではなく、最後に力を発揮するのは、運だ」
ということになるだろう。
ここでの上司は、そんな状態に持ってくるのがうまい人で、ただ、それも、もしその目的が、
「部下いじり」
だったとすれば、実に厄介な上司だといえるだろう。
直属の先輩が自分の苦労を見て、
「俺も二年前くらいまでは、よくあの上司に苛められたものだよ。絶対に許してくれないからな」
といっていた。
これで、先輩が自分だけが憎いわけではなく、そういう、
「部下いじり」
をする人なのだ。
ということが分かった。
しかも、それだけに、上司としては、
「中学時代の苛め」
のような形であり、本当に自分のことを憎んでいるわけでなければ、
「この苦しみも、1、2年の辛抱だ」
ということになるのだろう。
そこには、
「1,2年で、他の部署に移れる」
という希望的観測もあった。
というのは、若い頃のいろいろな部署への転属は適性を見るということなので、いずれはどこかに落ち着くということである。
それが、この部署ではないという保証はどこにもないのだった。
それを考えると、
「このままではいけない」
ということは分かっている。
少なくとも、目の前の問題を一つ一つ解決していかなければならない。
ただ、一つ言えば、
「目標シートの納期は決まっている」
ということであった。
いくらひどい上司であっても、その締め切りにまでは間に合わせるだろう。
つまり、歩本意であっても、提出しなければいけないのだ。
だから、姑息な手段であるが、少なくとも精神的にはそこまで追い詰められないようにするためということで、
「何とか、締め切りまで、自分が耐えればいいんだ」
ということであり、そこから先は、苦痛から逃れられるということであった。
上司としても、一人だけのシートにこだわって、提出できないとなると、
「自分が、今度はさらに直属の上司から、部下の面倒も見ることができないというレッテルと貼られてしまう」
ということになるのだ。
だから、上司はそれ以上何も言わずに提出することだろう。姑息ではあるが、そうするしかないのだ。
「この方法でいくしかないな」
ということで、
「時間の解決を待つしかない」
という実に消極的な方法しかなかった。
何しろ前に出れば、すべてを跳ね返されるからだった。仕方がないので、毎日終電になろうが、何もできず、やらなければいけない仕事だけを済ませて、後は、じーっと終電近くまで、我慢するしかないのだった。
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