きさらぎチケット・トゥ・ライド 5
しょうがない、と判断するより先に、体が動いていた。『ルール』が一度止まった場所から脚を引く動きを止めているので、上半身の体捌きだけで、突進してくる甲田をいなす。そのまま、体を沈み込ませ、甲田の体の下に入り込む。腕を取り、私の背中を中心に、勢いのモーメントを直進から回転に変換する。背負投げの変形のような形だ。
「ごめんなさいっ!」
いちおう私は謝る。受け身をとれるはずもなく、しかも畳ではなく硬い地面だ。たぶんとっても痛いだろう。だからやりたくなかったのに、と思ったときには、すでに地面に叩きつけられた甲田が潰れたカエルみたいな悲鳴をあげた。
「あ、あんた……!」
さっきまでにやついていた秋山は、なにか恐ろしいものを見るような目で、私を見ていた。
「……せっかく協力出来ると思ったのに、本当に残念です」
私はちょっと怒った表情で、彼女を睨みつけた。
「お前、何者なんだよ。最初見たときからデカい女だなとは思ってたけどさ」
私を助けようと駆けつけて、そのまま一連の流れを見ていた五十嵐は、地面で悶えている甲田を見下ろしてから私に聞いた。
「何者ってほどでもないですけど……ちょっと護身術を」
「護身術ってなんだよ」
「格闘技全般を一通り」
「護身っていうには過剰防衛じゃねえか?……まあとにかく、これで『ルール』の穴は一つはわかったわけだ」
五十嵐は銃を手にしながら、秋山を見て言った。
「ゲーム中に他人に危害をくわえても構わねえわけだ。俺がプレイヤーなら、こんなデカい穴は知らせないでおくもんだけどな」
「ご、誤解よぉ!あれは単に進んでるときに体が当たっただけ。それで撃ったら普通にルール違反よ!」
「よく言うぜ、ぶつかりおじさんか?」
そんな言い合いを遮るように、ぷぁん、と音がした。
電車が、来る。
「あ……!」
投げられた甲田の体がホームの端……「終点」に到達していた。
「ついでに、もう一つわかったな。出た数字よりも多く進んでもルール違反にならない」
『2番線 電車が 参ります』
甲田の首が不自然にへこむ。大きな手に鷲掴みにされているような形に。
「っぐう”う”!う”う”う”!!!」
だから声すら出なくて、そのまま甲田の体は線路に引きずり込まれる。
いやだ、私、そんなつもりじゃ……。そう言いかけた私を、五十嵐が制した。
「ゲームを仕掛けてきたのはあいつらだ。やらなきゃお前がやられてた」
線路に貼り付けられ、ばたばたもがく甲田を、私たちはホームから見下ろすことしかできない。
がたんがたん、がたんがたん。電車が近づいてくる。ライトが暗闇の中に見える。
ぷぁん、と気の抜けた警笛の音とともに、私たちの前を巨大な鉄の塊が走り抜け、後には再び暗闇だけが残った。
「さて、次はあなたと私ね」
何事もなかったかのように、二条が五十嵐に話しかけた。私は思わず割り込む。
「あ、あなたなんなんですか?!さっきもそうだけど、仲間の人が死んでるんですよ?」
「殺したのはあなたでしょ」
二条が嫌らしく笑って返すので、私は言葉に詰まった。
「いや、殺したのは『駅』であり『ゲーム』だ。やられる覚悟なしでデスゲームなんて仕掛けるほうが悪い。詭弁を弄するな」
五十嵐が強く言い返す。
「威勢がいいわね。私のことも殺すの?」
「殺すさ。お前はもう助からない。お前を殺して、この『怪談』を解体させてもらう」
「ならその銃で撃てばいいじゃない」
「安い挑発はムダだ。お前は『ゲーム』に勝って殺す」
『2番線 電車が 参ります』
何がなんだかわからないまま、気持ちの整理もつかないまま、次のゲームが始まろうとしている。切符の箱を用意しながら、私は五十嵐にたずねた。
「さっきの、あの、助からないって……」
「ああ、あの女、もう『怪談』に取り込まれかけてるからな。あのオバサンはともかく、あいつはこの『怪談』を解体したらたぶん死ぬ」
「そんなことあるんですか?」
「本当に怖いのはお化けより人間なのかもしれません、みたいな話、あるだろ。『怪談』がそう変異することもある」
五十嵐は私を見て笑った。おそらく、私はすごく心配そうな顔をしていたんだろう。
「大丈夫だ、勝算はある」
「算数得意なんですか?」
「いや。でも、脚には自信があるからな」
不可解なことを言い残して、五十嵐はホームの反対側に向かっていった。
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