三十 試しにて日々を懐かしむ
ひまもなく 散るもみぢ葉に うづもれて 庭のけしきも 冬ごもりけり
は、と息を吐いてみる。その息が白くなるような気がしたけれど、それはまだ少しばかり先であることに気づく。
「氷雨くん、ちゃんと眠れたかい?」
「うん。三人で作った薬膳茶のおかげだと思う」
「俺も、気づいたらすぐ夕方だったぜ」
三人は手を擦り擦り、御殿前の広場へと向かっていた。冷たくも乾いた風が髪を撫で、鼓舞するように力強く去っていく。氷雨は、一昨日に「植生倉」で作った薬膳茶の香を思い出しながら、一歩一歩地面を踏みしめていた。
「あ、氷雨殿がいらっしゃる」
その音に混じる、どこか大仰な言い回し。氷雨が顔を上げると、そこには黒髪を乱雑にまとめた翡翠がいた。
「お早うございます」
「今日、『橙の試し』なんだって?」
「はい」
「……本当に、『案内役』希望で出したんだな?」
「はい」
翡翠は目を細めて氷雨を見やると、続けて右隣の引鶴に目を向ける。
「にやけてますぜ旦那。よっぽど『案内役』の仲間が増えるのが嬉しいと見た」
「相変わらず口が達者だな、引鶴」
「どうも、翡翠さん」
「お前はあれだ、『
「引鶴は本当に交友関係が広いね……」
わしゃわしゃと犬のように髪を撫で回される引鶴。氷雨はどこか呆れたようにそれを見、そして翡翠から見て左隣を見やった。
「こっちは連翹。色々な香に興味があって、とても勉強熱心なんです」
若干人見知りしたかのように、おずおずと頭を下げる連翹。その姿をじっと見て、翡翠は低く呟く。
「……お前が、あの連翹か」
「え?」
怪訝そうな顔を見せる氷雨と引鶴。その間、幾度も地面の砂が風に巻き上げられ、葉の大方が落ちた枝が揺れた。
「……なあ、連翹。もしかして、どこかで俺と会ったことあるか?」
連翹は、訝しげに眉をひそめた。
「屋敷の中ですれ違っているのでは? ぼくは氷雨や引鶴とよく一緒にいますし……」
「よくある物語みたく、昔、どこか別の場所で会ってたりしてな」
にやりと笑う引鶴。その言葉に、連翹は冷えた蝋のように一瞬表情を硬くしたが、直後それを溶かしたように、ふにゃりと笑う。
「生憎、ぼくには思い当たりがありません」
「ふうん……まあいいか」
結局答えが出なかったのか、翡翠は軽く首を振って、「引き留めて悪かったな。頑張れよ」と言いながら三人を見送った。
「……結局、あの人はなんて名前?」
「翡翠さんだよ」
「まあ、気にすんな。あの人は何考えてるかよくわかんねえところがあるし」
「……うん、痛っ」
ぱしっ、と引鶴が背中を叩く。その痛みに、連翹は思わず苦笑いした。
さて、とにもかくにも試しである。
「浮橋屋敷」で行われる試しは三つ。
「橙の試し」、「紅の試し」、「藍の試し」。
各自、次の色の試しを受けることになる。
そしてその最初を飾るのが、初冬の「橙の試し」であり、それ以降に仲冬の「紅の試し」、晩冬の「藍の試し」と続く。
「『新月』の皆さん」
広場にひしめく、白い着物。その前方に、降りしきる雪の上に咲く梅花のごとく目を引く紅。どうやら、「秋の送り」でも活動していた「行事役」の内の一人らしい。
「これより、『橙の試し』を行います。皆さんは、『宿主座敷』の指定された部屋に指定された時刻に赴き、口頭試問を受けてください。時刻になるまでは、『宿主座敷』一階の大広間にいること。終わった者は、『行事役』の案内の元各自の部屋まで速やかに戻ること」
てんでばらばらだが、一様に澄んだ返答。
「俺ら、時刻も場所も全く合わなかったな。……まあ、後で結果を報告し合おう」
「うん、がんばろう」
「そうだね、『月下藍』になるためにも」
懐に忍ばせていた、時刻と場所の控えの紙をひらひらさせる引鶴。その言葉に頷く氷雨と連翹。かすかに緊張をはらませながらも、手を振り、氷雨は一人、別の集団へと混ざっていった。
氷雨の試しの場は、「宿主座敷」の二階、入って右奥から四番目の部屋。
氷雨は、ごくりと唾を呑んだ。
「失礼いたします」
そう声をかけ、おもむろに襖を開ける。
「どうぞ」
くぐもった声がそれに答えた後、氷雨はおずおずと部屋の中に足を踏み入れた。
「氷雨と申します」
「はい、よろしくお願いします」
室内で凛と背筋を伸ばして座っていたのは、二人の「月下紅」。連翹たちによると、口頭試問は「行事役」と、それぞれの「新月」が希望する役の「月下紅」が担当するのだという。氷雨の目は、司会進行を務める「行事役」と思しき男性、その隣に佇む、髪の長い女性に目をやった。
(「案内役」なのかな……)
艶やかな黒髪は夜闇のようにどこか怜悧。涼やかな瞳は物静かで知的に煌めいていた。その瞳で、氷雨への関心を感じさせる。
「まず、『行事役』である私から、いくつか質問をします。それは一般的な知識に関する問題です。その後に『案内役』の美凪さんからいくつか質問があります」
「はい」
畳には、じんわりと滲む墨のような影。それにちらりと視線を向け、氷雨は正座をする。そして、向かいの二人に目を向けた。
「『かぐ』の効用と、用いられる部位を答えよ」
「『わじく』を捌く際に気をつけるべきことを答えよ」
「『宿主』の眠りが浅い際に嗅がせる香は何と言うか」
「主に染料で……食用にもできるので、菓子などの色づけに使われます。用いられるのは、花のおしべの部分です」
「分厚い皮を切る際、怪我をしないようにすること。また、調理の際に皮が縮まないようにして、少しでも切りやすいようにすることです」
「
粛々と、質問が進んでいく。氷雨は時折自分の手を膝の上で握りしめながらも、頭の中に刻まれた知識を言葉へと変えていく。その淀みなさに自ら驚きながらも、ともに勉強をした連翹と引鶴、そしてお世話になった人々に頭が下がる思いだった。
(おれ一人だったら、ここまでできなかったろうな……)
「植生倉」に集い、薬草を手に取りながら学んだ。
様々な先輩に出会い、その仕事を教わった。
本を読み、わからない部分を教え合いながら知識を深めた。
夏から冬、数月の間に重ねた日々の懐かしさ、ありがたさよ。
「ありがとうございました、では美凪さんから」
美凪と呼ばれた「案内役」が軽くうなずき、氷雨を見やる。髪がさらりとなびき、氷雨は思わず背筋を伸ばした。雫を受けた黒水晶のように光る瞳。
「私からの質問は一つ。貴方はなぜ、『案内役』を志す?」
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