二十九 悼みに似たる秋の夕暮れ
空気澄みたる、晩秋の夕。
紅葉の色に沿わせるがごとく染まった空は美しく、屏風絵のよう。
どん、どん、と響く太鼓の音に、氷雨の肌がびりびりと震えた。
早いうちから、「浮橋御殿」の正面に設えられた舞台をよく見渡せる位置を陣取った氷雨と引鶴。二人は、かすかにかじかむ手をさすりながら、「秋の送り」の開始を待っているのである。
しゃらん、
太鼓の後に響く、涼やかな鈴の音。見物人から拍手が湧き起こる。
「鈴布」を天女のように両腕に置いた深山を中心に、「次季衣」を纏った「染め布役」たちが御殿を背に並び、ゆっくりと歩き始めたのだ。
「深山、綺麗だなあ……」
光景の神聖さを際立たせるように、「染め布役」の顔には鮮やかな化粧が施されている。白粉の頬、紅の唇、覆うように薄い朱で粧われた目元。
深山の鋭い瞳や整った唇をくっきりと見せる化粧は、彼女をどこか浮世離れした、神々しい存在にさえ見せていた。皆は、ほうと息を呑んで、深山を見つめる。
「見て、連翹もいるよ」
深山の後ろには、目を伏せて歩みを進める連翹の姿。彼にも化粧が施され、いつもは柔和なその顔が、夜の月のように繊細な冷たさを放って見えた。
しゃらん、
鈴の音とともに、一団が止まる。
どん、
一際大きく太鼓の音が響き、次の瞬間、全員が片膝をついた。
(始まる)
舞台の両端に置かれた篝火が散らす、激しい火の粉。灰色の煙。それが空を染め、瞬間、中心の深山が大きく動いた。
「来るぞ」
引鶴の鋭い声。
深山は御殿
一斉に広がる、見物人の歓声。それに応えるがごとく、深山は空に浮かび上がるほど「鈴布」を高く掲げ、嵐のように駆け巡る。
「次季衣」から覗く白い脚。像のように力強い。青緑色との対照。土踏まずが地面を捉え、天高く、舞い上がるように、広場いっぱいを駆け巡る。あの懐かしい香が名残惜しい秋のように広がり、それを冬の近い風が掻き消していく。
「神様の演舞でも見ているみてえだな」
「本当に……」
深山は、御殿の
その間も絶え間なく、何かの準備を進める「染め布役」たち。翻る「次季衣」の色彩は、去りゆく紅葉を一層鮮やかに見せ、篝火を、夕焼けを、美しく見せる。
どん、どん、どん
太鼓の音。
心臓の音。
秋もあらしの、声のみぞする。
聞こえるのは、嵐の音だけ。
「秋もあらじ」の、声のみぞする。
聞こえるのは、「秋はもうあるまい」という声だけ。
「秋の送り」にて、駆けゆく深山。
目の前を、深山が、「鈴布」とともに過ぎていった。
「……秋ももう、終わりなんだな」
思わず呟く引鶴。
そしてふと我に返って隣を見て、彼はぎょっとした。
「おい氷雨、どうして泣いてるんだよ」
紅葉が一枚、はらはらと落ちる。
氷雨の瞳から、澄んだ雫が一粒、落ちた。
「……『次季衣』を纏って、『鈴布』を持って駆けていく深山が、すごく綺麗で」
「うん」
「でも違うんだ、涙が出たのは」
氷雨は手の甲で涙を拭いながら、手繰るように言葉を発する。
「さっき一瞬、深山と目が合った。深山はやっぱりすごく真剣で、すこく綺麗で、でもどこか……、どうしてか、淋しかった」
深山の瞳は硝子玉のようだった。
どこまでも真剣で、集中し、研ぎ澄まされた雰囲気は、一足早い季節を象徴しているようで。
しかし同時に、秋を惜しむような、そんな淋しさを、切なさを持っているようで。
それは、仕事への誇り以上のものと感じさせるほど強く、触れるだけで傷を作ってしまう刃のように切実なものに見えた。
それが氷雨の心を掴み、幾度も揺すぶる。走るたびに揺れる、鈴のように。
逝く秋に、送りし演舞。
「まるで、
深山は今や残りの円弧を辿り、御殿
その間に、「染め布役」たちは麻袋を手に取り、それを広場の中心に撒いている。風に乗って白銀に煌めき、その後に自重ではらはらと落ちていく粉。
「灰だ」
「香の落ちた『手招き草』を燃して作った、灰なんだとさ」
「なるほど……」
「蝶の捕り役」が終わった後、部屋々々から香の落ちた布を回収し、抱え持っていた連翹の姿を思い出しながら、氷雨は頷く。
そして灰が地面を満たした頃、深山がおもむろに広場の中心へと歩き出した。
「染め布役」は、さっと左右に移動して片膝をつく。一同は息を呑み、しなやかな一輪花のような存在感を放つ深山を見守っていた。
しゃらん、
と音が響く。
深山が肩膝をつき、「次季衣」が夕焼け色の風に翻った音だった。
沈黙が肌を打つ。寄せては返す波、その合間のごとし。
直後、深山はゆっくりと片手で灰に触れ、おもむろに手を握りしめる。天地を作り上げる神の手つきのように。
その後、小指の隙間から、静かに灰を零し始める。逆さに広がる煙のように、それは風に流される。鮮やかな青緑を少しばかり星屑混じりにし、そして空気に溶けていった。
一同から、自然に拍手が溢れ始めた。この仕草は、「秋の送り」の終いを示すものらしい。動と静の緩急。氷雨は圧倒されつつも、皆に倣って拍手を始めた。肌がびりびりと震えているのを感じていた。
「さっきの『悼んでるみたいだ』っていうの、俺もわかった気がするよ。全身全霊で、逝く季節を弔うんだな」
「……うん」
「染め布役」が一列に並び、拍手喝采の中を退場していく。大きな役目を終えた深山たちに言葉をかけに行かんと、氷雨と引鶴は立ち上がった。
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