二十八 手招き草の衣映ゆる秋の終りに

 

 もみぢ葉の ちりゆくかたを 尋ぬれば 秋もあらしの 声のみぞする


 紅葉が秋をいっぱいに閉じ込めて散る、ある夕暮れ。その輪郭は真っ赤な光を灯し、雫のように一瞬光っては、地面に落ちて消えていく。それを眺めながら、氷雨は引鶴とともに夕餉をつまんでいた。

「秋も大分深くなったね。冬が近い感じがする」

「ああ、肌で感じるよな」

 氷雨の言葉に、引鶴が頷く。ぱくりと醤油だれの菓子を口に放り込む、穏やかな時間。


「あ、来た、連翹」

 引鶴の声に紅葉から視線を外すと、その先にある広場には、青緑色の着物に身を包んだ連翹の姿があった。

「おーい、連翹ー」

 窓から手を振ると、それに気づいた連翹ははにかんで、軽く手を振り返す。夕の赤と、着物の色が対照的で美しい。

「あっ、気づいた」

「今日は事前打ち合わせか。忙しいなあいつも」

 引鶴は窓辺で腕を組みながら、その様子をにやにやと笑いながら眺めていた。

「『新月』の白い着物じゃないのは、なんか面白れえな」

「面白いって何だそれ」

「見慣れないってことだよ」

 連翹は、同じ色の布を幾枚か重ねて持ち、他の「染め布役」とともに歩いている。おそらく、以前染め布工房を訪れた時に別の場所にいた者たちなのだろう。


 数日前。

「これは、『手招き草』で染めた『次季衣じきのころも』。『秋の送り』で着る衣装なんだ。良い香りだと思わないかい?」

 そう言って、連翹がこの衣装を見せてくれたことがあった。

 衣は鮮やかに煌めき、その美しさ、そして甘く懐かしい香に、氷雨の意識はぐっと惹きつけられる。

「じきのころも?」

節を『手招く』、ってことだろ」

 そう言いながら、引鶴も興味津々に衣を眺めていた。そんな二人を眺める連翹は、真昼の雫のように瞳を煌めかせた。

「『秋の送り』は、『染め布役』にとって、とても重要な行事なんだ。だから、見習いではあってもそれに参加できるのは、とても誇らしいよ」


「浮橋御殿」の前の広場には、同じ衣装を纏った「染め布役」と、橙や紅の着物の「行事役」が行ったり来たりしている。連翹はその中で少しばかり表情が硬かったが、それでもその瞳には、確かな高揚が灯っている。

「あ、深山だ」

 連翹の視線がふと動き、それにつられるようにして、その視線の先に目をやる。氷雨の口から思わず呟きが漏れ、引鶴も続けて目を凝らした。

「本当だ、あれが『鈴布すずぬの』か。綺麗だな……」


 見慣れた黒髪、凛と澄んだ横顔。「次季衣」を纏い、大股で通り過ぎていく。

 しかし一点、連翹たちと異なる点がある。

 それが「鈴布」だった。


 深山が歩むたび、天女の衣のように深山の衣を覆う布。紅葉の鮮烈な赤とは対照的な、森のように深い青緑色のそれが、しゃらしゃらと音色を響かせる。布に縫いつけられた鈴は小さな太陽のように眩しく光り、その美しさに見合った音を立てた。


 風が吹くたびにはらりと舞い上がり、世界の色を静かに透かし出す、その繊細さ。

 纏うだけでその者を一輪の花に仕立て上げる、しなやかで華やかな作り。



 そしてそれの中心たる深山。



「深山、すごく真剣だ」

 氷雨は思わず呟いた。


 先程の連翹のように、気軽に手を振れない空気を、彼女は確かに纏っている。氷のような冷たさを、もうじき訪れる冬を一足先に味わっているような、そんな美しさを持っている。


「最近の『秋の送り』の主役は、深山さんが担ってるらしいからな。誰よりも気合が入るだろうよ」

 引鶴が静かに茶をすすりながらそう言う。彼も、深山の迫力に押されているのだろう。こころなしか、いつもより声が低かった。


「これより、『秋の送り』の手筈をなぞります。皆様、よろしくお願いいたします」

 広場いっぱいに、深山のよく通る声が響く。それとともに、清い水に触れたように一転、その場が静まり返った。直接的には関わっていないはずの二人も思わず動きを止め、じっとそれを見守る。世界に満ちる沈黙。

 その中で、深山は静かに礼をした。黒髪が青緑色の衣を流れ、黒真珠のように輝く。

「まず、皆様配置についてください」

 深山の挨拶の後、「行事役」が散らばって指示を出し始める。深山や連翹は彼らの指示に従い、所定の位置へと移動していった。空気が少しずつ緩やかな落ち着きを取り戻していくとともに、氷雨は他の建物にも見物人がいることに気づく。

「まあ、秋の一大行事だからな。本番前でも、これくらいの注目を集めて当然だろう」

 同じことを考えていたのか、引鶴が笑う。

「もしかしたら、『浮橋様』もこっそり見ていたりしてな」

「『浮橋様』も?」

 氷雨はどきりとしつつも、思わず引鶴の顔をまじまじと見た。

「さあな。でも、不思議な力を操るんだから、おかしくはないぜ。それに、季節の変わり目というものは、名残惜しくも、誰しもどこかで待ち望んでいる、大切なもんだ」


 しゃらり、しゃらりと鈴が鳴る。

 それは屋敷中に響き、秋の終りの澄んだ空気を砕いていく。

 その果てに広がる、「手招き草」の香よ。 


 

(深山も、自分の仕事に誇りを持っている……)



 赤紅葉が散る。青緑の布が舞う。

 氷雨は静かに、師匠の姿を見守った。



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