十三 三人車座で語るは面映ゆし
畳の上に三人。連翹は、畳の破片を手でこねくり回しながら、ちらりと引鶴を見やった。
「どうして、引鶴くんは氷雨くんのことを知ってるんだい?」
「俺の師匠が、氷雨の薬を作ってるんだよ」
「薬?」
月光が建物の死角へと移り、「月下蛍」の青白い光だけが、よすがのように輝く夜。引鶴は、氷雨の肩を叩きながらそう言った。余計なことは言わないように、と氷雨は無言の視線を送る。それに気づいているのかいないのか、引鶴は自然な仕草で連翹の肩も叩いた。
「ま、何にせよよろしくな。俺らはこれから『友』ってわけだ」
「うわ、痛っ、痛いなあ」
声の調子が上がり、それとともにたちまち強くなっていく引鶴の力。背中に紅葉模様が残らないことを祈りつつも、氷雨はただ石像のように黙ったまま座っていた。一方の連翹は、早くも悲鳴を上げている。
「痛っ、氷雨くんは何でそんなに平気そうなんだ……ん?」
ついに立ち上がり、部屋の隅へと逃げていた連翹だったが、ふと隣の石像に目を向ける。それから、やけに柔軟な体で、立ったまま氷雨の顔を覗き込んだ。
そして次の瞬間、獲物を見つけた
「おや、氷雨くん、随分と耳が赤いけど、やっぱり痛いの?」
「いや、違、」
座ったまま体を動かし、連翹から体ごと顔を背ける氷雨。連翹は、律儀にそれを追いかけては首を傾げる。
「ははあ、」
連翹から逃げ切ったと思った瞬間、氷雨の目の前には、隙っ歯をちらつかせながら笑う引鶴の姿があった。猫のように爛々と光る、両の瞳。
「ぎゃ」
「さてはお前、『友』という言葉が
窮鼠猫を嚙むように、氷雨は平手で反撃を試みるも、引鶴は軽やかにそれを避けた。
「そんなことない」
連翹は、なぜか感心したような顔で、二人の攻防を見ている。その体の表面に、少年二人の影が縦横無尽に駆け巡っていた。
「そんなこと……」
ふと、その影が止まり、それにつられるように引鶴の動きも止まった。
「あるかもしれない」
「やっぱり面映ゆいと?」
すとんと正座で座り込んだ氷雨は、無言とともに首肯した。その様子を見てか、引鶴は笑みを消し、氷雨の手前に片膝を立てる。連翹も、すすすと側に寄った。
「『友』と言える存在は、初めてだから」
「ここに来る前は?」
「家族のように暮らしてきた人はいたけれど、『友』と言うのは……少し違う気がする。それに、おれはほとんど部屋の中にいたんだ。だから……あの村にいた子どもの顔すら、よくわからない」
「……そうか」
連翹が、ぽすっとやわらかな音を立てて、氷雨の肩を叩いた。
「ぼくたちは、君の最初の友ということになるね」
「あはは、もっと赤くなってやがる」
誤魔化すように唇の合わせをずらした氷雨は、それでも誤魔化しきれず、意味もなく前髪をいじった。それを見て、二人がにやにやと笑う。
「何だよ」
「その調子で友を増やせば、『浮橋様』とも『友』になったりしてな」
頬を赤く染めたまま、氷雨は硬直した。
「浮橋様」と友になる?
それは、真の意味での「浮橋様」と、だろうか?
それとも、雪代と、だろうか?
おれと御簾の向こうにいる存在との関係は、何だ?
あれは、誰だ?
「浮橋様と友になるって……、正体もわからないのに。引鶴くんは随分と突飛な思い付きをするね」
「正体がわからないなら、友にだってなれるかもしれないだろ?『月下藍』になれば」
しばらく石像に戻っていた氷雨は、ふと顔を上げ、ぽつっと呟いた。
「友になるか否かはわからないけれど、『浮橋様』に興味があるというのは……確かだと思う」
雪代にしても、「浮橋様」にしても、あの御簾の向こうにいる者が何なのか、知りたい。なぜあの時泣いたのか、もしもう一度会うことできたのなら何を語るのか、知りたい。
知りたいのだ。
「まあ、何にせよ、『月下藍』になったら、『浮橋様』には近づけるわけだからな」
「そうだね」
引鶴はにやっと笑い、氷雨を指差した。その隣で、連翹は引鶴の綿毛のように細い髪を見ながら、首を傾ける。
「氷雨くんが『浮橋様』を知るためだとすれば、引鶴くんはどうして『月下藍』に?」
「そういうお前は何なわけ」
「『浮橋御殿』で嗅いだ香の正体を暴く」
「へえ、面白れえな」
そう言いながら、引鶴は少しばかり思案するような神妙な顔をして黙った。部屋に満つる静寂。気まずくなった連翹が再び口を開きかけた頃、引鶴がゆっくりと口を開いた。
「郷里に、ずっと眠ったままの妹がいてな。『浮橋様』なら、何とかできるかもしれないからだ」
二人は、こくんと息を飲んだ。
「……引鶴、それは、悪夢のせいで眠ってる、ということ?」
「理由は未だにわからん。でも、郷里の医者は匙を投げた。家族は貧しい。どうにかできるのは、俺しかいない。俺が努めるしかないんだ」
猫の毛のように繊細な前髪の隙間から覗く、黒目がちの瞳。瞬き一つせぬその瞳は、かすかに濡れ光っていた。
「とはいえ、『浮橋様』がどうにかできるという保証もないから、『草木の世話役』の師匠について、薬作りを教わってる。妹に効く薬を作れるかもしれないからな」
「だから、植物の効用に詳しいのか……」
引鶴は無言で頷く。それを見ながら、氷雨は努めて軽やかに肩を叩いた。
「すごいや」
「何だよいきなり」
べしん、と引鶴が氷雨を叩く音が響く。氷雨は悲鳴を上げながらも反撃。連翹は「子猫みたいだね」と呆れた声を出しながらも、顔はどこか安心したように緩んでいた。
氷雨は、引鶴と攻防を繰り広げつつも、ふと動きを止めた。行き先を失った引鶴の手が、宙をかすめる。
「……引鶴も、連翹も、すごい。
二人はぴたりと動きを止めた。
そして、
「氷雨くん、君、さっきから面映ゆいことを平気で言うね……?」
「そうだよな。さっき、『友』という言葉であんなに赤くなってたのに」
「面映ゆいのは、自分でもよくわかってるんだけど、」
再び耳を染めた氷雨はふるふると首を振った。
「思ったことは、思った時に言わないと、後悔するから……」
「おお、おお、いくらでも褒めたまえ、氷雨くん」
「へえ?面白いことを聞いたな?」
「痛い!」
わしゃわしゃと髪を撫で回された挙句、ばしばしと叩かれる氷雨を、天井の木目が静かに見守っていた。壁を伝って、少しずつ目覚めの音を感じる。しっ、と指を口元に置きながら、それによって生まれた瞬間の静寂を一人で迎え入れることのない不思議さを、氷雨は噛み締めていた。
一人過ごしていた部屋に、大切にしたいと思える人がいること。
たとえ、彼らを失うやもしれぬという恐れはあっても、その事実は、久方ぶりに氷雨の胸を打つ。
「そろそろ蝶の捕り役の準備をしなくちゃ」
「あ、そうか。もうそんな時間になったのかい……」
「じゃ、終わった後にまた会おうぜ」
それぞれ立ち上がり、氷雨の部屋を後にする。氷雨は二人の姿が見えなくなるまで手を振ると、おもむろに竹籠の方へと手を伸ばした。
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