第187話 弟子になりたいか

「信じられん……」


 医師が呆然とした面持ちで呟いた。

 現代医学じゃ考えられないことが目の前で起きたからか。

 消せるはずがないと思っていた女児の虐待の痕跡がみるみる無くなっていくのを見るのは、彼にとってどれほどの衝撃なのか想像もつかない。

 百均で売っているような噴霧スプレーに傷特化のポーションを入れて女児に吹き付けただけなんだけどね。

 何気なくやったことだからこそ余計に衝撃的なのかもしれないな。


「三智子ちゃんのアザが……」


 養護教諭の沢井にとっても衝撃的だったようだ。

 アザだけでなく火傷の跡とかも綺麗に消えているから無理もないのかもしれない。

 半ば我を忘れている医師と違って涙ぐんでいるので現実として受け入れてはいるのだろう。


 一方で呼び出された遠藤大尉はポーションならこれくらいは当たり前だろって顔をしている。

 使ったことがあると反応も違ってくるよな。


(張井、大丈夫なのか?)


 その遠藤大尉がヒソヒソと話しかけてくる。


(何がです?)


(ポーションみたいな高価なものを気軽にホイホイ使って)


 隣にいる大川曹長がウンウンとうなずいている。


(高価? これは傷特化の安物ですよ)


(言っている意味がわからん)


(そうですよ。ダンジョンでまれにしか出ないものですよね。かなり高額で取引されると聞いていますが)


 ヒソヒソ話に大川曹長まで参戦してきた。


(誰がダンジョンで発見したポーションだと言いましたか?)


(は? ダンジョン以外の何処で手に入れられるって言うんだよ。オークションで競り落としでもしたのか?)


(そんな訳ないじゃないですか。作ったに決まってます)


「「作ったぁ!?」」


 2人とも、ここが病院だということを忘れて大声を出してしまっているな。

 当然のことながら病室内にいる全員からの視線を浴びる訳で。

 反射的に俺は飛び退いていた。

 大声を出していないのに俺まで非難の目を向けられるのは御免被る。


「っと、スマン」


「申し訳ありません」


 2人も即座に謝ったが医師の目は厳しい。


「いくらポーションを提供くださった自衛軍の方とはいえ病院で騒がれるのは感心しませんね」


「いや、俺たちは仲介しただけで提供者はここにいる張井だ」


 妙に律儀なことを言い出す遠藤大尉に困惑する医師。


「その張井がポーションがダンジョンで発見されたものではなく自作だと言い出したものでな」


「え?」


 医師は遠藤大尉の言葉に困惑の色をさらに深くする。

 次の瞬間には俺の方へ急激に視線を変えてきた。

 睨まれているような感じがして居心地は良くないな。


「神の奇跡としか思えないようなものが作れるというのですか?」


 叫び出したい衝動に駆られているのか医師は声を押し殺すようにして質問を投げかけてきた。


「別に神の奇跡ではないですよ。材料と技術と魔力があれば作れます。治癒魔法の効果を持たせただけですからね」


「治癒魔法……、そんなものが……」


 再び呆然とした表情になる医師。

 これは医者としての常識と自尊心を根底から覆されたかもしれないな。


「これは俺が作ったものじゃありませんよ。うちには腕のいい職人が何人もいましてね」


「あー、張井んとこのエルフかドワーフが作ったのか。なら納得だな」


 驚いて損したとばかりに遠藤大尉が嘆息した。

 納得してしまえば深くは追及されることもないだろう。

 だからこそ隠れ里の民たちが作ったことにしたのだ。


 ただ、遠藤大尉が納得しても事情を何も知らない医師は違う。


「どういうことですか?」


 問われてしまった訳だが、ホイホイと事情を説明して良い訳ではない。

 何処から話が漏れるかわからないからね。

 医者には守秘義務もあるけど治療とは関係ない話まで含まれているかは知らないので可能ならば黙秘したいところだ。


 ただ、向こうは追及する気なのがありありとわかる有様なので簡単には逃れられまい。

 女児の傷跡は消せたけど、心に作用するポーションは何度も使わないといけない訳だし。

 使い方を説明して必要な量のポーションを渡してさようならができれば楽なんだけど、そういう訳にもいかない。

 高尾山の青雲入道に頼まれて必ず女児を保護すると約束してしまったからね。


 困った時の神頼みならぬ遠藤大尉頼みといこうか。

 遠藤大尉の方を向いて何とかしてくれと目で訴える。


「んー、そうだなぁ。知りたきゃ弟子入りでもするか? それなら教えられるぞ」


 おかしなことを言い始めたぞ。

 遠藤大尉はこちらの許可が得られると思っているのだろうか。

 まあ、断る口実にするにはいいのかもしれないが。

 それでも向こうがイエスと言ったらどうするつもりなのか問い詰めたくはある。


「なにを言い出すんですか、大尉」


 俺があれこれ考えいている間に大川曹長が苦言を呈し始める。

 慣れっこな遠藤大尉は聞いているふりをして流しているな。

 大川曹長がくどくどと文句を言っている間に医師の気配から硬さが取れた。


「弟子になるのは無理ですね。私は医者です。これまでもこれからも」


 ひとしきりのお小言が終わったことを確認すると医師はそんな風に語って断った。

 ホッと一安心である。


「でし……」


「ん?」


 不意に、か細い女の声が聞こえてきた。

 大川曹長でも沢井のものでもない。

 医師のそばに立つ看護師も違う。

 そういう大人の声ではなかったのだ。

 となれば誰が言葉を発したのかは言うまでもない。


 今まで一言も喋らなかったために意外すぎて、すぐには結びつかなかったが。

 それは他の大人たちも同様であったらしい。

 少しの間を置いてようやく気付いたように女児の方へ視線を集めた。


「三智子ちゃん?」


 沢井が声をかけると意思ある視線が返される。

 まだ心が癒えきっていないというのに瞳の奥には決意に満ちた光が灯っていた。


「でし」


 女児は先程よりもしっかりした声で喋った。


「何か欲しい物があるの?」


 沢井の問いかけに微かに頭が振られる。


「喉が渇いた?」


 再び頭が振られる。

 どうやら沢井は女児の言葉をちゃんと聞き取れなかったようだ。

 一般人には聞き取りづらい声量だったかな。


「その子は弟子になりたいと言ったんだよ」


 そう言ったのは遠藤大尉である。


「えっ!?」


「アンタらにはちょっと聞き取りづらかっただろうが、ハッキリ言ってるぜ」


 ああ、やっぱりステータスの差が出たのか。


「そうなの、三智子ちゃん?」


 沢井が問いかけると女児はコクリと小さくうなずいた。

 そして俺に視線が向けられる。


「いや、俺は職人じゃないから勝手に判断できないんですがね」


 抗議の視線を遠藤大尉に向ける。


「そうは言うが御屋形様って呼ばれてるじゃないか」


 この、オッサンはベラベラと……

 そこまで言われちゃ内情をバラしたも同然だ。

 これも狙って言ってるんじゃないだろうな。


「それはそれ、これはこれですよ。職人のあれこれに口出しできるのは職人だけです」


「じゃあ職人を呼び出そうぜ。それならできるだろ」


「大尉、また無茶を言いますね。張井さんの地元から呼ぶのにどれだけ時間がかかると思っているんですか」


「何人か同行してるんだろう? 顔見せ程度にダンジョンに潜りながらこっちに来てるって聞いてるぜ」


 ギョッとした表情で遠藤大尉の顔を見る大川曹長。

 いつの間にそんな情報を仕入れたのかと言わんばかりだが俺もそう思う。

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