第186話 沢井、職員に食ってかかる

 とりあえず女児が行方不明の間にどのような目にあったかについての考察は保留となったようだ。

 そのあたりは警察の捜査で明らかにしていくことになるだろう。

 もっとも、事実が白日の下にさらされることは永遠にないのだけど。


「では、女の子の身元引受人はいますか?」


 警察官が沢井に問いかける。


「それが……」


 沢井は言いにくそうに言葉をよどませる。


「逮捕した親族以外は誰もいないのですね」


「はい、そう聞いています」


「そうなると施設で引き取ることになりますね」


「待ってください!」


 児童相談所の職員の言葉に思わず叫んでしまう沢井。


「お静かに」


「すっ、すみません」


 医師に指摘され沢井はペコペコと頭を下げる。


「あなたのお気持ちはわからなくもありませんが──」


「でも、今の状態で施設に入ったら三智子ちゃんは耐えられないと思うんです」


「どういうことですか?」


「三智子ちゃん、学校でいじめられているんです。私もやめさせるように動いてはいましたが、なかなか上手くいかなくて」


「だったら、なおさら環境を変えないと」


「逆です」


「え?」


「学校でのイジメに家庭での虐待。この上、施設でもいじめられるようなことがあったら、きっと誰も信じられなくなって壊れてしまいます」


 現在の環境は決して良くはないが外に希望を持てる状態だとも言える。

 それが何処に逃げても同じ目にあうと思わされてしまうと沢井の言う通りになってしまうこととも否定はできない。

 今より悪化するかもしれない未知の環境より、改善が見込めそうな現状の方がマシということもある。


 少なくとも今の環境がより悪化することはあるまい。

 育ての親ということになっている親族は逮捕された。

 警察の捜査により虐待の事実が明らかになれば監護権は反故にされるだろう。

 これで虐待は無くなる。


 イジメについても沢井のような人間が今回の騒ぎを上手く利用して立ち回れば解決することは可能だろう。

 それ以前に俺たちが関わることを決めた時点で相手には二度と女児に関われなくするつもりだから解決は確定事項だ。

 仮に俺たちが解決に向けて積極的に動かないのだとしても今の女児は烏天狗が化けているので養護教諭の言う通りにはならないので最悪の事態は避けられるので不安はない。


「大丈夫ですよ」


 職員は沢井を落ち着かせようとして言ったのだろう。

 だが、それは逆効果だった。


「どうして、そんな無責任なことが言えるんですかっ」


 ここが病院であることを指摘されたことで叫ぶことは回避した沢井が喉の奥から絞り出した言葉は職員を圧倒するには充分だった。


「今の三智子ちゃんはギリギリの状態です。感情を表に出すことを拒み自分の殻に閉じこもることで、どうにか自分を保てているんです」


「そんな大袈裟な」


「いえ、大袈裟ではありませんよ」


 職員が引きつった笑顔を向けてなんとか否定しようとするも医師が太鼓判を押したことで完全に言葉を失ってしまう。


「彼女の言語障害は精神的なものが原因だと考えられます。ショックを受けている状態も切っ掛けはともかく今までのストレスが表出したものでしょう。環境が変わるのは好ましくありませんね」


「ですが、虐待やイジメがあるのでしょう」


「今の環境のままでも、それらから遠ざけることは可能です」


 職員の抗弁をキッパリと切り捨てる医師。


「それに虐待については無くなると考えていいでしょう」


 警察官たちの方を見ながら医師が言うと警官全員がうなずいた。


「イジメも熱心に対応してくれる保健の先生がいるようですし」


 大きくハッキリとうなずく沢井。


「少なくとも人手不足のせいで施設に放り込んだ後はろくにチェックもできないあなた方よりは解決に向けて真っ当に動けると思いますよ」


「ですが、規則があります」


 弱々しい声ではあるが、なおも抗弁しようとする職員。

 杓子定規な思考で凝り固まった人間っているよなぁ。


「法律も条例も、あとは要綱もですか。そんなものは人の心までは守ってくれませんよ。再起不能なほど心が傷つけば、それはもう生きているとは言えないんじゃないですかね」


 そこまで言われて職員はガックリと肩を落とした。

 融通は利かないながらも子供のことを考えている人なのだろう。

 その気持ちが実務にうまくマッチしていなかっただけなのだ。

 今後はアジャストしてくれるものと思いたい。


 その後、今後のことを決めるのは一旦保留となった。

 職員も何でもかんでも現場で決めてしまうことはできないのだろう。

 そんな訳で今夜のところは予後観察の名目で女児は病院に入院することとなった。


 身体的な意味では何処も悪くないんだけどね。

 烏天狗が化けた女児がではなく、本人が。

 魔法でチェックしたので間違いない。


 問題は心の状態だ。

 こちらは魔法を使っても一発で治りましたとはいかない。

 せいぜい癒えるまでの時間を短縮することくらいしかできないだろう。

 魔法だから何でもできるという訳ではないのだ。



 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □



 その後、女児を引き取った親戚の夫婦は虐待を含む諸々の罪で実刑判決を受けることが確定した。

 裁判はこれからだが酌量の余地など何処にもないので執行猶予は望めないとのことだ。

 女児が相続するはずの遺産に手をつけた時点で養育することなど微塵も考えていないのは明らか。

 それどころか事故死に見せかけて遺産を丸々横取りしてしまおうと画策していた証拠まで出てきたのには呆れる他ない。


 呆れると言えば、いじめの件に関しても大の大人が何をしているのかと関係者がバッシングを受けることとなった。


 まず、校長がいじめを認識していながら事なかれな対応に終始していた。

 沢井にとって学校側に働きかけた際の反応は、暖簾に腕押し、糠に釘といった有様だったようだ。

 それが故に証拠を数多く集めていたことで校長は言い逃れができなくなったのだが。

 校長は懲戒処分を受けることとなったが誰にも同情されなかったという。


 また、いじめを主導した児童の保護者もやらかしていた。

 どうも資産家だったようで自分の子供がいじめの首謀的立場にいると知った直後からもみ消しを図ろうとしていたようだ。

 保護者であった親戚に給料が良く中身のない仕事を与えて訴えさせないように仕向けたり。

 金の力で学校関係者だけでなく教育委員会にも自分たちが有利になるよう裏工作を依頼。

 これについては沢井の力ではどうしようもなかったので、俺たちが証拠を集めてマスコミにリークした。


 結果、所有する企業グループの評判が著しく悪化。

 どの企業も業績が悪化し売却を余儀なくされたが、それでも損失の補填には足りなかったという。

 その上で慰謝料を請求された。

 泣きっ面に蜂とはこのことだろう。

 それでも同情の声が何処からも上がらなかったのは校長と同じである。


 いじめに加担した生徒の親も首謀者の親ほどではないとはいえバッシングを受け、多額の慰謝料も請求された。

 弁護士を立てて抗おうとした保護者もいたようだ。

 女児が心を閉ざす一因となった責任は感じないのかと責められ余計に状況が悪化するだけとなるのみであった。


 一方で女児は目を覚ました後も反応が希薄だった。

 化けさせた烏天狗の芝居と同じような状態であったため入れ替わりを中止。

 各方面からの保護する意味もあって病院への長期入院が決定していたので、その方が良いと判断した。


 こちらで治癒してから化けた烏天狗と入れ替わると誤魔化すのが大変だからね。

 それなら隠れ里の民特製のポーションがあるという触れ込みで押しかけて癒やしてしまおうと考えたのだ。

 じかに乗り込んでも門前払いされるだろうから、そこはコネを使わせてもらいましたよ。

 遠藤大尉という人脈をね。

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