秋空の帰り道

 須藤さんに彼氏が出来てから一ヶ月後、私は須藤さんに誘われて久しぶりに共に帰ることになった。今日は彼氏さんは友達と遊ぶ約束があるらしく、須藤さんはようやく私と一緒に帰れる日が来たと言う。

 話すのも久しぶりになる。普段須藤さんはいつも友達に囲まれており、私と話すのは下校中だけだったのが、下校中も話せなくなったのでいよいよ話すタイミングが無くなったのだ。


「―――でも正直、錦くんよりフミちゃんと話してる方が楽しいのかもしれないな」

「ほ、本当に……? えへへ、冗談でしょ」

「本心だよ。錦くんと話してる時でも、いや誰と話してる時も、君と話してる時の心地良さが忘れられなかった。……もう錦くんとは別れようと思ってる」

「……ぅえっ? は、早くない? まだひと月なのに」

「そんなものじゃないかな。私は告白された側だしね。それに私は、フミちゃんと話せるこの時間の方が欲しいんだ」


 私はゴクリと生唾を飲み込んだ。

 須藤さんが

 須藤さんの様子がおかしい。

 私は無性に怖くなった。

 夕陽は動いていないようでよく見ると沈んでいる。

 私は無性に怖くなった。

 秋空、陽が沈む時間は前倒しになりつつあった。

 そんな陽に向かって須藤さんは嬉しそうに笑った。


「あははは! 言っちゃった! いーっちゃった!」

「ど、ど、どうしたの?」

「どうもしてないよ」

「そ、そっか」


 私は目を伏せた。

 こういう時にどの『面』を見せればいいのかが分からない。経験が無い。今の私の『面』はなんだ? 須藤さんには私はどう見える? それが不安で須藤さんに顔を見せたくなかった。

 しかし須藤さんは私の顔を覗き込んだ。柔らかい笑顔だった。


「すごく寂しかった。どうしてか分からない。だけどフミちゃんと話せなくてすごく寂しくなったんだよ。なんなのかなぁ、この気持ちは。ねぇ、なんだと思う?」

「わ、わ、私に聞かれても、ね。えへへ……」

「分からないか。変なこと聞いちゃったね。ごめん」


 須藤さんは前を向き直した。


「フミちゃんと話せなくなって、寂しくなって、初めて分かったんだ。私はフミちゃんと一緒に居たい。他の誰でもない、フミちゃんのところに帰りたくなった。初めてだよ。こんな気持ちは。本当になんなんだろうなぁ」

「う、うれ、嬉しいよ。そんなに、思ってくれて……」

「眼を見てくれないの?」

「あ、いや、それは、その……」


 私はたじろいでしまう。歩きもぎこちないのではないか?

 そんな中でようやく思いついた一言を絞り出す。私は須藤さんの眼を見た。


「で、でも、錦さんと別れるのは、どうかなって思うよ。私は。錦さんだって、悲しむ、だろうし……」

「悲しむ、かぁ……」


 その時、須藤さんは両の手で私の頭を挟んだ。

 私の両耳に須藤さんのやや冷たい手が被さる。須藤さんの浮かべた笑みは、やはり、奈落のようだった。その奈落には音が共鳴しているように感じた。初めて感じたことだった。


「フミちゃん。私はフミちゃんと一緒に帰れないのが悲しいんだよ。正直言って、他のことなんてどうでもいいくらい」

「…………」私は何も言わない。


 顔を固定されて、否応無しに須藤さんに瞳を向けるしかない。今の私の『面』はなんだろうか。いや、分かってる。そもそも今ここで被れる『面』なんて持ち合わせてない。

 今の私はどんな瞳をしているだろうか。


「もうこのまま私の家に来ない? そうしようよ。そういえば今まで行ったことなかったでしょ? 帰り道だけじゃなくてさ、もっと色んなところでフミちゃんと話したいよ」

「…………」私は何も言わない。

「どうかな。ねぇ。嫌なら今日じゃなくても―――」


 その時、私はうっかり須藤さんの鼻を殴ってしまった。


 ふらつくように後ろに一歩下がった須藤さんは、見開いた目で私を見ていた。今殴られるとは全く思っておらず、どうしてこんなことをされたのかが理解出来ていない様子だ。

 私も須藤さんと同じような表情だった。開いた口が塞がらない。どうしてこんなことをしてしまったのだろうか。


 お互いに固まったまま、お互いに今起こったことを整理できないまま、私たちは見つめ合って立ち尽くした。

 すると須藤さんの鼻からゆっくりと鼻血が垂れてきた。

 それに気づいた須藤さんは手の甲で拭いた。


「ご、ごめんね、フミちゃん。気持ち悪かったよね。ごめんね」

「あ、え、え、違うの、私は―――」

「ごめん。それじゃ」


 須藤さんは走り出した。どこか涙声だったような気がする。

 追いかけるべきだろうか。でも、足が動かなかった。

 別に、気持ち悪いと思ったんじゃない。

 須藤さんの態度が気に食わなかった。

 どうして私はそう思ったんだろうか?

 私は心の中で、固く握られた右の拳に問いかけた。

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