第45話 裏切り
「勝った……」
ポーリンは膝を地につけながら、
フバルスカヤと怪物ガエルが逃走するのを見ていたが、とてもそれを追撃する力は残されていなかった。
彼女は周囲の様子を見まわした。まだ、ザギスが連れてきた百名ほどのホブゴブリン兵たちがいる。木々の間から、恐る恐る魔法使いたちの戦いを見守っていたが、フバルスカヤが去ったいま、容赦なく襲い掛かってきても不思議はない。
せめて隙を見せないようにと、彼女は力を
そこに、ガチャガチャと重鎧を身に着けたノタックが駆け寄ってきた。
「ノタック……あなたも、勝ったのね?」
ポーリンはほっとしながら言った。
「ザギスは自分が討ち取った。あとは、奴の手下たちがどう出るかだな……」
ノタックはハンマーを構えながら、ポーリンの横に並んだ。
力を使い果たし立っているのもやっとの女魔法使いと、傷だらけのドワーフは、依然として
ポーリンには、もはや小さな火ひとつ起こす力もなかったが、腕を伸ばしいつでも呪文をかけれるようなしぐさをする。
ホブゴブリンたちは互いの顔を見あっていたが、一部の者がザギスを討ち取られたことへの復讐心に燃えて、あるいは女魔法使いとドワーフという、珍しい組み合わせの奴隷を得るために、木々の間から姿を現しじりじりと間をつめてきた。
ポーリンは
ノタックは、再びハンマーを大地につけて、祈るような姿勢を取った。
そのとき……木々のあいだから
「ポーリン、ノタック、無事か?」
その声を聞いたとき、ポーリンは
チーグが、リフェティの数百名の兵たちを連れて、やってきたのだ。
「はっはっは、太陽の騎士団の銀の指輪、マサーク卿ならこう言っただろう。『遅ればせながら、
チーグが声を張り上げた。
ノタックはその言葉を聞くと、興味深げに左眉を吊り上げながら、ポーリンを見た。ポーリンも苦笑を浮かべていた。
「ホブゴブリンども、次期ゴブリン王国の王にして〈本読むゴブリン〉たるチーグが告ぐ、
その言葉とときを同じくして、双頭の魔犬と<四ツ目>が躍り出て、進み出てきていたホブゴブリンたちの前に威圧するように立ちはだかった。
ホブゴブリンたちはためらうように歩を止めると、互いの顔を見合わせた。
ヘルハウンドが威圧するように首を突き出し、
「西門まで、あいつらを追い立てよ!」
有力氏族の長の一人がそう言い、数十名のゴブリンたちを引き連れて森のなかへ消えていった。
ホブゴブリンたちの気配がすっかりなくなったことを確認すると、チーグはポーリンとノタックに駆け寄った。
「無事でなによりだ」
そういって口もとからのぞかせる小さな牙が、ポーリンにはまぶしく感じた。
「本当に……そうね」
彼女は心からそう言った。予期していなかった元サントエルマの森の魔法使いとの対決、この旅で何度目の死線だろう。
「ああ、だが――」
とチーグは油断なく周囲を見回した。
「まだ、ヨーに率いられるゴブリン軍の本隊が残っている。すんなり俺の言うことを聞くかどうか……ゴブリン同士の争いは避けたい」
絶えぬ苦労を背負いながら、チーグはため息まじりだった。
付き人のノトと、第二王子のバレもチーグのもとにやってくる。
彼らが率いてきたリフェティの守備兵五十名ほどは、遠巻きに彼らを見守っていた。
ボラン王亡きいま、ゴブリン王国の次期王座は空席のままである。リフェティの氏族長たちは説き伏せたが、しょせん彼らは
「はったりと、気迫……それと、少しばかりの気品で押し切れれば良いが……」
チーグは
だれもがつかの間の勝利の余韻にひたり、次の戦いへ向けて思いを巡らせるなか、異変が起きつつあった。
その異変は、はじめは第二王子バレのわずかな表情の変化に過ぎなかった。色白のゴブリンは、その目を細く鋭くし、〈四ツ目〉の方をちらりと見た。それを確認した〈四ツ目〉が小さくうなずく。
そのわずかな異変に気付いたのは、付き人のノトだけだった。
森の中をゆるやかな風が吹き抜け、落ち葉が宙を舞った。それが再び地に落ちるのと時を同じくして、バレは一歩を踏み出した。その手は、腰に差した小剣の柄が握られていた。
まるで、止まった時のなかを一人
脱力したポーリンはそれに全く気付かず、ノタックはバレの動きには気づいていたものの、その手に剣が握られているとは夢にも思わなかった。
バレが明確な殺意をもって、チーグの背に剣を突き立てようとした。
「殿下……!」
切迫した声を上げながら、ノトがチーグを突き飛ばした。
そして、チーグに代わり、ノトがその剣を受けることとなった。
止まっていた時間が動き出す。
ノトのその背に、剣が突き刺さっていた。突き飛ばされたチーグが、地面に倒れたまま驚いたようにバレを振り返る。
「バレ……?」
そして、うつ伏せに倒れたノトに気づく。
「ノト!」
「殿下……た、いひ……を」
突き刺さった剣が引き抜かれ、ノトは言葉を失った。
青白い顔に暗い影を宿しながら、バレは緑色の血がしたたる剣をチーグに向けた。
ヘルハウンドにまたがった〈四ツ目〉が、悠然とバレの横にならんだ。いっとき協力関係にあった〈四ツ目〉は、再びチーグたちの敵として立ちはだかるようだ。
チーグは動揺を隠し切れずにいた。
「バレ……どうして?」
「……兄さんがいない間、ダンと過ごす時間が多かった。はじめはダンの言うことが良く分からなかったけれど、健康な身体を取り戻して実感したよ。やっぱり、僕もゴブリンだ」
バレは皮肉っぽく口元をゆがめた。
「もう兄さんの庇護はいらない。僕にも、王になる資格はあるはずだ。兄さんとも、ヨーとも異なる王国を再建する」
「・・・おいおい、人間の薬の知識を得てくるから、一緒に国を治めていこうと約束したじゃないか?」
チーグの声はわずかながらに震えていた。
「僕は身体が弱かったから、兄さん以外の世界をあまり知らなかった。けれども、今なら思う。兄さんは、まるで人間みたいだ。弱く、
冷ややかなバレの言葉を受けて、チーグはうつむいた。地面のただの土や草が、妙に新鮮に見えた。
やがて、チーグはくぐもった笑い声をあげた。
「……俺は、人を見る目に優れていると思っていたが、ゴブリンを見る目はなかったようだ」
チーグは吹っ切れたようにそうつぶやくと、腰の剣を抜きながら立ち上がった。
「お前が俺を殺そうというなら、俺もお前を殺さなければならない」
強い覚悟を込めて、チーグが言った。
バレが余裕に満ちた笑いを浮かべた。
「できるものならね」
その言葉が終わるのと時を同じくして、〈四ツ目〉の
それと同時に、ノタックが動いていた。チーグのすぐ前に立ちはだかり、ハンマーで双頭の魔犬の片方の頭を打とうとする。
その攻撃を警戒したヘルハウンドは、一歩目を踏み出したあとに横に
軽やかな足取りで地面に着地したヘルハウンドの背の上で、<四ツ目>が楽し気に笑った。
「いつぞやの再戦だな。だが、今回は、本気だ」
チーグとヘルハウンドの間に立ち、ハンマーを構えるノタックの隣に、ポーリンが並んだ。
「……戦えるか?」
「正直なところ、分からない」
ポーリンはそうつぶやいた。フバルスカヤとの戦いで、すでに力は全て使い果たしていた。けれども、疲れた表情を振り払い、
「つらいときこそ……何とやらよ」
ポーリンは口の中でぼそりとつぶやいた。
「何?」
ノタックが問い返す。
ポーリンは苦笑した。
「何でもない。さあ、いきましょう」
そう言って、再びナイフを構えた。
「……自分はまだ戦える、無理をするな」
ノタックは鋭くつぶやいた。
「おい、ポーリン、ノタック。こっちは何とかする。そっちを頼む」
チーグが声をかけた。
「承った」
ノタックは短くそうつぶやくと、ヘルハウンドの方へ向かって駆け出した。
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主な登場人物:
ラザラ・ポーリン サントエルマの森の魔法使いの見習い。失われた魔法の探索の旅の途中、ゴブリン王国の王位継承をめぐる大冒険に巻き込まれる。
チーグ ゴブリン王国の第一王子。人間たちの知識を得て、王国への帰還を目指す。第三王子ヨーと、有力氏族の次期氏族長ダンに命を狙われているため、極秘裏にゴブリン王国に潜入し、王国を取り戻すために奮闘中。
ノタック 放浪のドワーフの戦士。双頭のハンマーを使いこなす古強者。〈最強のドワーフ〉を目指している。
ノト チーグの身の回りの世話をする従者。
バレ ゴブリン王国の第二王子。病弱で身体が弱い。よく面倒をみてくれていたチーグを慕っていると言われている。チーグが持ち帰った薬により、体調は良化した。
〈四ツ目〉 四つの目玉を刺繍した眼帯で右目を多う歴戦の傭兵。ヘルハウンドを使役する強力な魔獣使いでもある。雇い主は第二王子のバレ。ポーリン、ノタックと共闘していたが、バレの指示により再び敵となる。
ダン 古き良きゴブリン文化を愛する保守的な次期有力氏族長。チーグを敵視し、ザギスに力を貸す。結果的に、ゴブリン王ボランを殺害し、ゴブリン王国を去ることとなる。
ヨー ゴブリン王国の第三王子。自ら王になろうとする野心を隠さず、軍を掌握して西門――通称〈岩門〉に陣を構えていた。チーグやザギスを出し抜き、囚われていた父王を助け出したが、フバルスカヤに再び奪われてしまった。その後、父王はダンに殺される。
ザギス 遠くゾニソン台地からやってきたホブゴブリン軍の主。〈酔剣のザギス〉の異名を持ち、ゴブリン王国を占領していたが、ノタックとの戦いで死亡。
フバルスカヤ 元サントエルマの森の魔法使い。〈酒解のフバルスカヤ〉の異名を持つ。ザギスの盟友にして、黒幕。ポーリンとの魔法の戦いに敗れ、逃走。
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