第44話 <烈火の魔女>VS<酒解のフバルスカヤ>

 酒を奪われ怒り狂うフバルスカヤに対して、ポーリンは防戦一方となっていた。


 氷の矢が飛び交い、てつく冷気が吹き付け、無数の氷塊ひょうかいが雨のように降り注いでも、ポーリンは必要最小限の防御呪文の使用にとどめ、傷を負いながらも逃げの一手を続けていた。


 圧倒的な優勢に立っているはずのフバルスカヤだったが、妙な手応えのなさを感じ、徐々に冷静さを取り戻していた。


「・・・残された呪文が多くはないのだろうが」


 とつぶやきながら、感情が支配していた思考に論理を取り戻す。


 フバルスカヤが力を使い果たすのを待っているのか、あるいは大がかりな呪文を唱えるときに生じるすきを待っているのか・・・


「いずれにせよ、戦い慣れしてやがる」


 苦々しくも、認めざるを得なかった。


 サントエルマの森は、魔法戦士の養成所ではない。攻撃魔法の訓練ばかりをするわけではないし、模擬戦闘も必要最小限だ。だから、多くの者は、命のやりとりを伴う実際の戦いになると冷静さを失い、自身が持つ最強の呪文で力勝負を行いがちである。


 少なくとも、フバルスカヤはそう考えていた。


 けれども、ラザラ・ポーリンはやみくもに呪文を連発せず、相手の出方を冷静に見ながら戦い方を柔軟じゅうなんに変化させている。まだ若いが、すでに古強者ふるつわもののような戦いの勘を持ち合わせているようだった。


 油断はできない。


 フバルスカヤは、何度か深く呼吸をすると、気持ちを落ち着けた。


「もうおまえを、学生とは思わない」


 彼はそう話しかけた。


 酔ってはいるが、熱気が引き、頭が冷えて五感がまされる感じ・・・この感覚もまた、彼が愛しむものだった。


 彼は素早く両手でいくつかのいんを結んでから、両手を前に出して構えた。


「おまえを、正面から、力でねじ伏せよう。我が、冷気にて」


 ただならぬ雰囲気を感じて、ポーリンは身構えた。


 残る力を振りしぼり、フバルスカヤの自信の呪文を跳ね返さなければならない。


 両者は、それぞれが呪文の詠唱えいしょうに入ろうとした・・・そのとき。フバルスカヤは左腕の辺りに不自然な熱と、何かがげたような匂いを感じた。


 フバルスカヤのローブの左すそに、小さな火がつき、燃え上がっていたのだ。


「熱い・・・!」


 期せずして、彼はうめき声を上げていた。


「来た!」


 ポーリンは興奮を抑えながら小さく叫んだ。


 彼女は、フバルスカヤから酒を奪ったとき、その服にこっそりと、“遅発ちはつする炎”の呪文をかけていた。


 フバルスカヤが着るのは、サントエルマの森の魔法使いのみが着ることを許されたローブである。そのローブは、耐呪たいじゅの呪文を幾重いくえにもかけられた布を織り合わせて作られている。通常であれば、ローブそのものに備わった防御の力により、魔法の呪文の多くは無効化されてしまうはずであるが、フバルスカヤが着るのは二十年も昔の古いものである。ローブそのものが持つはずの力が、すでに弱っているということに、ポーリンは賭けたのである。そして、その賭けは成功だった。


 ポーリンはその一瞬の隙を最大限に生かした。速やかに呪文を完成させ、その右手に、炎の力を凝集させたオレンジ色の火球が現われる。そして、それを混乱するフバルスカヤに投げつけた。


めるなよ、小娘!」


 フバルスカヤの身体から圧縮された冷気が放射状に噴出ふんしゅつし、そでの炎をかき消すとともに、投げつけられた火球をも燃え炭にしてしまった。


 凄まじい冷気が渦巻うずまき、フバルスカヤの左手に蛇のようにまきついた。


「さあ、勝負だ・・・ラザラ・ポーリン」


 ポーリンは再び手に炎を宿す。右手と、左手のうえに、一つずつ。残る力を全て振り絞る。オレンジ色の炎は揺らめきを増し、さらに熱量をあげて青白さをまとった。


 それをみたフバルスカヤの顔に、喫嘆かんたんとも賞賛しょうさんともつかぬやわらかな笑いが浮かんだ。


「・・・その力、すでに師の水準マスタークラスではないのか?」


 そうして、フバルスカヤは蛇のようにうねる凄まじい冷気の渦を、ポーリンへ向かって投げつけた。


 ポーリンも青白さをまとう火球で迎え撃つ。


 一つ目の火球が冷気の蛇と衝突し、互いの大きさからは想像もつかぬほどの水蒸気を噴出させた。


 火球も、冷気も、けむの中に消える。そこを突き抜けて、もう一つの青白い火球が・・・フバルスカヤは避けようとしたが、彼もまたほとんどの力を使い果たしていた。


 どうにか防御の呪文を口にしようとしたところで、火球が炸裂し、大爆発を起こした。爆風が地の草を撫で、砂塵さじんを巻き上げ、周囲の木々を揺らした。


 フバルスカヤは、骨が何本か折れているのではないかと思うほどの体中の痛みと、ひどいやけどを負って、地面に倒れていた。今際いまわのきわで唱えた防御呪文と、サントエルマの森の魔法使いのローブのおかげで、致命傷は免れたものの、袖が燃えていた左腕は重傷を負っていた。


 げた草の匂いと、未だ熱を持つ空気を感じながら、彼は仰向けに空を見上げていた。


 十年前、奴隷としてザギスと会ったとき、死のうがどうしようがかまわないと自暴自棄じぼうじきになっていた。


 だが今は、「まだ死にたくない」という気持ちが、自分でも意外に思えるほど強かった。


 酒魔法の研究を続け、ザギスを先兵としてホブゴブリン軍を組織した。ゴブリン王国も支配下に置き、コヴィニオン王国をも襲撃する。世界は、<酒解のフバルスカヤ>の名を思い知るだろう。


 それは、彼を追放したサントエルマの森に対する復讐なのか、あるいは彼を一顧だにせず捨てた妻子に対する当てつけなのか・・・自分でも明確な理由は分からなかったが、とにかくそれを成し遂げることを目的に、この十年生きてきたのだ。


 まだ死ねない、まだ道半ばだ。


 かつてサントエルマの森で将来を嘱望しょくぼうされた彼は、歳を経て“何者でもない者“となっていた。たとえゆがみ、ねじ曲がっていたとしても、その目的が生のよすがだった。再び何者かになるために・・・


 全身の痛みに耐えながら、動く右手で不完全な印を結び、最後の力を振り絞って魔法の言葉を口にする。


「・・・我がトード、来い」


 力を使い果たした彼は、壊れた木人形のように大地に転がった。青いはずの空が、血で赤くにじんでいた。


 ほどなくして、大地を揺らす振動とともに、木々をかきわけ、彼の使い魔である巨大な黄金ガエルがやってきた。見れば、カエルも傷だらけだった。


「くくく・・・俺たちも焼きがまわったか」


 カエルはピンク色の舌を伸ばしてフバルスカヤを捕まえると、ぱくんと口の中に飲み込んだ。そしてカエルは力一杯跳躍すると、森の遙か彼方へと姿を消していった。


 追跡はなかった。ポーリンもまた、力を使い果たし、大地に倒れていたのである。


――――――――――――――――――――――

主な登場人物:

ラザラ・ポーリン サントエルマの森の魔法使いの見習い。失われた魔法の探索の旅の途中、ゴブリン王国の王位継承をめぐる大冒険に巻き込まれる。


チーグ ゴブリン王国の第一王子。人間たちの知識を得て、王国への帰還を目指す。第三王子ヨーと、有力氏族の次期氏族長ダンに命を狙われているため、極秘裏にゴブリン王国に潜入し、王国を取り戻すために奮闘中。


ノタック 放浪のドワーフの戦士。双頭のハンマーを使いこなす古強者。<最強のドワーフ>を目指している。


ノト チーグの身の回りの世話をする従者。


バレ ゴブリン王国の第二王子。病弱で身体が弱い。よく面倒をみてくれていたチーグを慕っていると言われている。チーグが持ち帰った薬により、体調は良化した。


<四ツ目> 四つの目玉を刺繍した眼帯で右目を多う歴戦の傭兵。ヘルハウンドを使役する強力な魔獣使いでもある。誰が真の雇い主か不明であったが、バレが大金で雇い、裏切り者のダンに接近させていた。現在、ポーリン、ノタックと共闘中。


ダン 古き良きゴブリン文化を愛する保守的な次期有力氏族長。チーグを敵視し、ザギスに力を貸す。結果的に、ゴブリン王ボランを殺害し、ゴブリン王国を去ることとなる。


ヨー ゴブリン王国の第三王子。自ら王になろうとする野心を隠さず、軍を掌握して西門――――通称<岩門>に陣を構えていた。チーグやザギスを出し抜き、囚われていた父王を助け出したが、フバルスカヤに再び奪われてしまう。


ザギス 遠くゾニソン台地からやってきたホブゴブリン軍の主。<酔剣のザギス>の異名を持ち、現在ゴブリン王国を占領していた。ノタックとの一騎打ちに敗れ、死亡。


フバルスカヤ 元サントエルマの森の魔法使い。<酒解のフバルスカヤ>の異名を持つ。ザギスの盟友にして、黒幕。

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