第42話 混乱する盤面
〈四ツ目〉とヘルハウンドの息の合った攻撃は、金色の怪物ガエルを徐々に追い詰めていた。
彼らは一体となったり、分かれて攻撃したりして怪物ガエルに的を
とはいえその巨体、いかに息の合った攻撃を繰り返そうとも、致命傷を与えるまでには至らなかった。
けれども、〈四ツ目〉は必ずしも怪物ガエルを仕留める必要はないと考えていた。捕らわれているゴブリン王を奪還できれば、実質的には勝利だ……
そして、何度かの陽動からの攻撃ののちに、ヘルハウンドの吐く火の球が、怪物ガエルの腹を直撃して炸裂した。カエルはたまらず口をあけ……捕らえていたゴブリン王を吐き出した。
「げほっ、げほっ……これは本当に……最悪の匂いだ……」
地に転がり落ちたゴブリン王ボランは、そう悪態をつきながら、粘液まみれになった赤いマントを脱ぎ捨てた。
「ゴブリン王、安全なところへ避難を!」
ヘルハウンドの背に乗った〈四ツ目〉がそばまで駆けてきて、そう言った。腹部に強打をくらったカエルは、しばらくよろめいていたが、体勢を立て直し再びこちらへ向かってこようとしていた。
「おお……感謝する、人間」
「はやくリフェティの方へ!」
〈四ツ目〉が鋭い声でせかし、ボランはよたよたと木々のなかへ姿を消す。
カエルがそれまで閉じていた口を開けた……そして、ネバネバした大量の粘液を吐き出した。
ヘルハウンドはすばやく動いてその粘液をかわす。つい先ほどまで彼らがいた場所の草々は、酸に焼かれて白い煙を発した。
〈四ツ目〉は肩越しにその光景をみて、口元を歪めた。
「あちらさんも、ようやく本気ってわけかい?」
そうつぶやいてから、魔犬の頭を
「あいつを、丸焼きにしてやろう」
ゴブリン王ボランは、ふらふらとリフェティの方向へ向かって歩いた。
ホブゴブリン兵たちは、ヨーの軍を追って西へ向かっているはずなので、
はやくリフェティに戻り、氏族長たちを
カエルの粘液の悪臭とも戦いながら、ボランはリフェティを目指した。
ガサガサと
粘液まみれの悪臭に満ちた出で立ちだったが、せめて王としての威厳を保とうと藪から現われた者をにらみつけた。
それは、見知った者だった。
「ダン?」
「……ボラン陛下?」
ダンは驚いたように言ったあと、安堵の表情を浮かべた。
「ご無事で何よりです」
「……おまえが言うか?」
ボランはむっつりと言った。
王の声音など気にせず、ダンは思いを巡らせた。味方だと思っていた氏族長たちの協力を得ることはできず、途方に暮れながらザギスとの合流を目指していた矢先のことだった。
これは好機だ。王を確保すれば、まだ
「リフェティへ安全にお連れします。きっと誤解をされていると思うので、道中、その誤解も解きたい」
ダンは熱っぽく申し出た。
しかし、ボランはつれなくかぶりをふった。
「いやじゃ」
「……そう言われるのも、もっともだと思います。王を捕らえるように言ったのは、謝罪いたします。けれども、あれは偉大なるゴブリン王国を復活させるために、芝居だったのです」
ダンはやや卑屈な笑みを浮かべながらも、熱を込めて言った。
ボランはその熱を冷ますようなため息をついた。
「芝居だったとしても、おまえはゴブリン王国を危険にさらした。王国の危機が去ったあかつきには、おまえは投獄か追放は免れぬ」
「そんな……」
ダンは
「俺は、ただ古き良きゴブリンの伝統を守りたかっただけです。俺こそが、本当の意味で、ゴブリン王国を気にかけていた」
「……みなが、それぞれの考え方で王国の行く末を気にかけているのだよ」
ボランは
ダンの目に危険な光が宿る。
「それは、チーグのことですか?」
ボランは疲れたように小さく息をついた。
「チーグも、その一人だ」
「あいつこそが諸悪の根源……人間の文化など王国に持ち込まれたら、ゴブリンらしさは失われてしまう」
「それは、おまえの考えだ」
ボランは冷ややかに突き放した。
「……わしはもう行く。ホブどもと暮らすなら、そうするがいい。これは、情けだ」
そうして、ボランはダンに背を向けた。
「情け?」
ボランの背に、ダンが言葉を返した。その声には、もはや卑屈さや、すがるようなものはなかった。そこにあるのは、怒りと、絶望……
「『情け』などというものは、ゴブリンに不要なはず……あんただな、人間めいた価値観を、王国に広めようとする根源は」
ボランはあきれたように肩越しに振り返った。
「……少し、頭を冷やせ」
「我々は、ゴブリンだ。そうだろう?」
ダンの瞳から、迷いは消えた。
リフェティに定住するまえのゴブリンは、もっと純粋に邪悪なる存在だったと聞く。王国に定住し、ドワーフやノームのような暮らしをするようになって、ゴブリンは
ダンの思い描くゴブリン像は、ここにはもうなかった。
彼は、いにしえのゴブリンの魂に従って、行動することにした。少なくとも、彼自身はそう信じた。
ゴブリンは、もっと邪悪で、衝動的で、
ダンは剣を抜き、ボラン王の背に剣を突き立てた。
「我はゴブリンなり、だ」
血のしたたる剣に命を吸い取られ、しぼみゆくボランの魂に、ダンはそうささやきかけた。
「おま……え、なんという……ことを……」
ボラン王は、大地に崩れゆきながら、ほとんど音にならない声を絞り出した。
ダンは、剣を抜いて血を払った。
「王国内での氏族間の権力争いにもうんざりだ……もっと早く気づくべきだった。俺は野にくだり、自由に生きることにする」
そして、リフェティの方向を向いて、唾を吐き出した。
「せいぜい、互いにつぶしあえ、堕落した者ども」
ボラン王を確保した者が、事態を収めるための優先的な力を得ることができる。これは、そういう戦いだった。けれども、ボラン王がいなくなったら、戦いの収拾はつくだろうか?
意地の悪い予感に口元を歪ませながら、ダンはリフェティに背を向けた。
もはや、永遠にここに帰ることはないだろう。
しばらくの時間をあけて、リフェティの守備兵が死にゆくボラン王を発見したが、もはや瀕死の状態であった。
どうにか守備兵と各氏族の私兵をかき集めて、その半数をリフェティの防衛に残し、半数を率いてリフェティを進発しようとしていたチーグとバレのもとにボラン王が運ばれたときには、その命の灯火がまさに消えようとしていた。
「……父上?」
チーグは動揺しながら、駆け寄った。
ボラン王は、
「チーグ? ……ダン」
そうして、ボラン王は絶命した。
チーグはその場にへたり込み、両手で大地を何度も叩いた。
「……ダン。ダンが殺したということか?」
チーグは疑念と怒りに満ちた声で、そうささやいた。
その兄の姿を少し離れたところから見守っていたバレも、少なからぬ動揺を受けていた。
「父上が……死んだ?」
その動揺は、健康を取り戻した彼の心に、黒い炎を呼び込む隙間を作り出すものでもあった。
◆◆◆
<四ツ目>の挿絵:
https://kakuyomu.jp/users/AwajiKoju/news/16818093074648377586
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主な登場人物:
ラザラ・ポーリン サントエルマの森の魔法使いの見習い。失われた魔法の探索の旅の途中、ゴブリン王国の王位継承をめぐる大冒険に巻き込まれる。
チーグ ゴブリン王国の第一王子。人間たちの知識を得て、王国への帰還を目指す。第三王子ヨーと、有力氏族の次期氏族長ダンに命を狙われているため、極秘裏にゴブリン王国に潜入し、王国を取り戻すために奮闘中。
ノタック 放浪のドワーフの戦士。双頭のハンマーを使いこなす古強者。〈最強のドワーフ〉を目指している。
ノト チーグの身の回りの世話をする従者。
バレ ゴブリン王国の第二王子。病弱で身体が弱い。よく面倒をみてくれていたチーグを慕っていると言われている。チーグが持ち帰った薬により、体調は良化した。
〈四ツ目〉 四つの目玉を刺繍した眼帯で右目を多う歴戦の傭兵。ヘルハウンドを使役する強力な魔獣使いでもある。誰が真の雇い主か不明であったが、バレが大金で雇い、裏切り者のダンに接近させていた。現在、ポーリン、ノタックと共闘中。
ダン 古き良きゴブリン文化を愛する保守的な次期有力氏族長。チーグを敵視し、ザギスに力を貸す。結果的に、ゴブリン王ボランを殺害し、ゴブリン王国を去ることとなる。
ヨー ゴブリン王国の第三王子。自ら王になろうとする野心を隠さず、軍を掌握して西門――通称〈岩門〉に陣を構えていた。チーグやザギスを出し抜き、囚われていた父王を助け出したが、フバルスカヤに再び奪われてしまう。
ザギス 遠くゾニソン台地からやってきたホブゴブリン軍の主。〈酔剣のザギス〉の異名を持ち、現在ゴブリン王国を占領している。
フバルスカヤ 元サントエルマの森の魔法使い。〈酒解のフバルスカヤ〉の異名を持つ。ザギスの盟友にして、黒幕。
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