第41話 サントエルマの森の魔法使い:まだそうではない者と、かつてそうであった者
ポーリンとフバルスカヤの戦いは、炎と氷の戦いだった。
ポーリンが火の矢を投げかけると、無数の氷のつぶてがそれを落とす。フバルスカヤが全てを凍てつかせる冷気を召喚すると、炎の壁がポーリンの身を守る。
そのような呪文の掛け合いが、何度も何度も続き、遠巻きにしているホブゴブリン兵たちは
互角。
ポーリンは肩で息をしながら、そう感じていた。
大がかりな呪文は温存しているものの、すでにかなりの魔力を消費した。彼女が疲
ポーリンは唾を飲み込み、うっすらとした唇を真横に結んだ。気持ちで負けるわけにはいかない。
「若いのに、かなりやるなあ。ええと、ラザラ・ポーリン?」
フバルスカヤの
「おまえがまだサントエルマの森の魔法使いのローブを着ていないとは、驚きだ」
そう言ってから、酒入りの
ポーリンは、あきれたように首を少しかしげた。
「相変わらず、余裕ね。それは、挑発ということかしら?」
「まあ、そんなところだ」
そう言って、わざとらしくしゃっくりをした。
「見てなさい」
ポーリンは押し殺した声でそうつぶやくと、次の攻撃の手を考えた。大がかりな呪文は、何度も唱えることができない。勝負どころの判断が、とても重要だ。
当然、フバルスカヤもそう考えているのだろう――と思ったところで、奇妙な違和感が彼女の心を揺さぶった。
彼女の魔力はすでに半減し、呼吸を整えるのにも一苦労になりつつある。一方で、フバルスカヤに疲労の色はなく、酒を飲みながら
まるで、
無尽蔵に魔力がこみ上げる泉?
彼女は、その直感に引っかかった。いかに経験豊かな元サントエルマの森の魔法使いとしても、これほどまでに魔力の差があるだろうか?彼女の力は、それほど劣っているのだろうか?
フバルスカヤが、再び酒をあおった。
それを見て、ポーリンは思った。
「もしかして、あのお酒が、魔力の
その考えは、稲妻に打たれたに近い感覚をポーリンにもたらした。
酒と魔法を組み合わせるという発想は、酒をあまり飲まない彼女には全く思いつかないものだった。そしてそういう魔法の創成に成功していたとするならば、それは
ポーリンは、もう一つ生唾を飲み込んで考えを巡らせた。
彼女がそれに気づいているということを、気取られるべきではない。ポーリンは、深く息をついた。
「本気を出します。覚悟しなさい」
ポーリンは、ささやくようにそう言った。フバルスカヤが
「そうだな、そろそろ、殺す気で来い。さもなくば、私は倒せない」
「……そのつもりよ」
ポーリンは声を低くして言い、呪文の
その口元をみて、フバルスカヤは首をかしげた。
「また、火の球の呪文か?」
少し引っかかるものを感じながらも、防御のために氷の壁を召喚しようとした。
ポーリンがかざす手の先に、燃え盛る炎の球が現れ、
その場には、主を守るために作られた巨大な氷の壁だけが残された。
「……消えた?」
フバルスカヤは眉をひそめた。
だが警戒は解かず、自身にたいする防御呪文を口にする……と、次の瞬間、彼の背後に轟音とともに燃え盛る火の球が現れ、まばゆい
「……やられた!」
そう思ったのもほんの一瞬のこと、背後から現れた火の球はフバルスカヤを直撃した。まるで自身の影を追いかけるかのように、火の玉は彼を巻き込みながら氷の壁へと押しやった。凄まじい熱量で氷の壁が解け、それを突き破ってフバルスカヤの身体はポーリンの眼前へと落ちた。
「うまくいった!」
ポーリンは息を切らしながらも、興奮したようにつぶやいた。今回の旅を通して練習していたきわめて難易度の高い呪文、火の球を召喚する場所を自在に操るというものだ。
だがそれを実現するために要した集中力は尋常ではなく、自身の力のほとんどが火に燃えて
「これは、預かっておきます、〈酒解のフバルスカヤ〉。降参しなさい」
そう言って、ごく初歩的な呪文である蜘蛛の糸で、フバルスカヤの身体を拘束した。
「く……くく」
フバルスカヤは、まだせき込んでいたが、その合い間にくぐもった笑い声を差し込んだ。そして、地に
「〈酒解のフバルスカヤ〉から酒を奪い取るとは……死にたいのか、小娘」
それまでの、感情が希薄にみえたフバルスカヤとは一転し、凄まじい怒りだった。酒が入っているせいもあるのだろう、目は狂気を感じるほどに血走っていた。
周囲の気温が少し下がった気がして、ポーリンは何歩か後ずさった。
フバルスカヤを
感覚を確かめるように、左手を握ったり開いたりする。そこには、冷気が凝集しているようだった。
ポーリンは呼吸を整えた。
ここからが本番。けれども、彼女に残されている呪文はそう多くない。
彼女は覚悟を決めた。持てる全ての力を振り絞らなければ、フバルスカヤには勝てないだろう。
サントエルマの森の魔法使いになる前の者と、サントエルマの森の魔法使いだった者の戦いは、終盤を迎えようとしていた。
――――――――――――――――――――――
主な登場人物:
ラザラ・ポーリン サントエルマの森の魔法使いの見習い。失われた魔法の探索の旅の途中、ゴブリン王国の王位継承をめぐる大冒険に巻き込まれる。
チーグ ゴブリン王国の第一王子。人間たちの知識を得て、王国への帰還を目指す。第三王子ヨーと、有力氏族の次期氏族長ダンに命を狙われているため、極秘裏にゴブリン王国に潜入し、王国を取り戻すために奮闘中。
ノタック 放浪のドワーフの戦士。双頭のハンマーを使いこなす古強者。〈最強のドワーフ〉を目指している。
ノト チーグの身の回りの世話をする従者。
バレ ゴブリン王国の第二王子。病弱で身体が弱い。よく面倒をみてくれていたチーグを慕っていると言われている。チーグが持ち帰った薬により、体調は良化した。
〈四ツ目〉 四つの目玉を刺繍した眼帯で右目を多う歴戦の傭兵。ヘルハウンドを使役する強力な魔獣使いでもある。誰が真の雇い主か不明であったが、バレが大金で雇い、裏切り者のダンに接近させていた。現在、ポーリン、ノタックと共闘中。
ダン 古き良きゴブリン文化を愛する保守的な次期有力氏族長。チーグを敵視し、ザギスに力を貸す。
ヨー ゴブリン王国の第三王子。自ら王になろうとする野心を隠さず、軍を掌握して西門――通称〈岩門〉に陣を構えていた。チーグやザギスを出し抜き、囚われていた父王を助け出したが、フバルスカヤに再び奪われてしまう。
ザギス 遠くゾニソン台地からやってきたホブゴブリン軍の主。〈酔剣のザギス〉の異名を持ち、現在ゴブリン王国を占領している。
フバルスカヤ 元サントエルマの森の魔法使い。〈酒解のフバルスカヤ〉の異名を持つ。ザギスの盟友にして、黒幕。
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