第39話 酒解のフバルスカヤ

 フバルスカヤの人生は、少しの栄光と多くの挫折ざせつに満ちあふれていた。


 若くしてサントエルマの森の魔法使いとなったフバルスカヤは、氷の魔法を得意とし、カエルを使い魔として使う技もみがいた。彼は、将来を嘱望しょくぼうされた魔法使いだった。


 フバルスカヤには、魔法以外に愛したものが二つあった。


 ひとつが、家族である。


 サントエルマの森の魔法使いは、森にこもり、瞑想めいそうと研究に日々を費やすことが必要とされるが、彼は愛する妻子を持ち、時間の許す限り家で過ごす時間を持つように心がけた――――といっても、一年のうちひと月にも満たない期間だったが。


 それでも、彼は妻と子を愛していた。


 魔法使いとして名声を上げ、大成することは、家族の幸せにもつながると信じていた。


 40歳になったら、サントエルマの森から引退して、地元でゆっくりと魔法学校でも開き、家族と過ごす時間を増やそう、それまでに魔法の新分野を切り開き、その研究は弟子にたくそう、そう思っていた。


 家族への愛を燃料に、彼はいっそうの魔法の研究に打ち込んだ。


 しかし、次第に、彼の理想と現実は乖離かいりしていくこととなる。


 たまにしか家に帰らないフバルスカヤに子どもはなかなか懐かず、妻も子どもが懐くことに協力的ではなかった。そればかりか、年を追うごとに、フバルスカヤが家にいないことへの不満を、子どもの目の前でもぶつけるようになっていった。


「なぜ」

「どうして」


 フバルスカヤは、混乱した。彼が取り組むのは、彼以外には誰もできない偉大な仕事である。その成功は、彼の名声を高めるのみならず、家族が豊かになることにも資する。


 けれども、妻子には理解されない。


 家族が寂しい思いをしていることは分かる。けれども、サントエルマの森の魔法使いとしての歩みを止めることはできない。40歳になるまで、辛抱してほしい、彼は妻にそう懇願こんがんした。


 妻は、偉大な魔法使いよりも、ただの父親でいて欲しかったのだろう。けれども彼は、偉大な魔法使いであり、偉大な父親になりたかったのだ・・・

そうこうしている間に、妻子とのあいだの谷は、より深く、険しいものへとなっていった。


 妻は、はばからずにフバルスカヤを軽視するようになった。


「家庭の序列・・・第一位は子ども、第二位は私、第三位はお手伝いのラーヤ、第四位は番犬、第五位は家畜の豚・・・そして最下位が夫よ」


 冗談半分、本気半分で、フバルスカヤの妻はそう吹聴ふいちょうしていた。


「サントエルマの森の魔法使い、家庭では、家畜よりも下の存在・・・」


 その噂話を耳にしたとき、彼は胃袋が足の裏に落ち込むような深いため息をつきながら、酒瓶を空にしたものだ。


 酒―――フバルスカヤが愛するもう一つのものだった。


 酒は血を熱くし、いんに落ちる気持ちを明るくする。若いころから酒が好きで、酒をつかった創成そうせい魔法の研究も行っていた。


 けれども、つらい家庭環境は、酒を飲むものから飲まれるものへと変えていった。

彼は次第に、酒に溺れるようになっていった。


 当然、魔法の研究もほとんど進まなくなってしまった。研究室にこもり、酒を使った魔法の研究をすると称して、飲んだくれていた。


 そして、彼が35歳のときのこと。家に帰ると、妻と子はおらず、空っぽになっていた。


 魔法の研究に打ち込むと宣言しながら酒におぼれるフバルスカヤに、妻と子は愛想をつかして出て行ったのだ。


 フバルスカヤは、生きる支えを失った。


 彼はいっそう、酒に逃避した。酔いが覚めそうになると頭をもたげてくる孤独感を消すために、さらに酒を飲むという生活を繰り返した。


 そうして、彼は37歳のとき、ついにサントエルマの森からも追放された。


 彼は、40歳を前にして、全てを失ったのだ。若いころ思い描いていた40歳とは、まったく違う未来を迎えることとなった。


 失意の彼は、故郷へ戻って魔法学校をはじめたが、上手くいかなかった。続いて、魔法用具店をはじめたが、それも上手くいかなかった。ティベリス王国の魔術師の教官に応募したこともあるが、採用されなかった。矜恃きょうじを捨てて、軍の下士官になったこともあったが、長くは続かなかった。


 そうして、食い扶持を求めて最後に流れ着いたのが、冒険者の街リノン。リノンでは、冒険者としてどうにか生活のかてを稼げるようにはなったものの、ときに酒が原因で失敗することもあった。


 成功と失敗を繰り返しつつ、最後の失敗により彼は奴隷としてホブゴブリンに売られることとなった。生きる気力さえ失っていた彼は、その惨めな運命を受け入れることとした。


 はじめは、ほんの一歩の踏み間違いだったのかも知れない。


 山のてっぺんへ向けて高い尾根を歩いていたはずなのに、ひとたび足を滑らせると崖を転がり続け、落ち続け、そしてついに谷底に転落したのである。フバルスカヤ、49歳の秋だった。

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