第37話 酒は足りているか?

 逃げ惑うゴブリン軍を襲う巨大なカエルの前に、一頭の魔犬が立ちふさがった。


 大きさでは怪物ガエルに到底及ばないが、地獄から来た犬の異名を持つ双頭の犬は、うなり声に凄まじい殺気を乗せて威圧いあつしていた。


 怪物ガエルは動きを止めた。フバルスカヤが少し驚いたような声を上げる。


「・・・犬の頭が二つに見えるのは、酔いが回りすぎたせいではなさそうだなあ。ヘルハウンドか?三つ首でないのは残念だが、興味深い」


 顎下あごしたの白い無精髭ぶしょうひげをなでながら、フバルスカヤは目を輝かせた。酔っ払った60歳ぐらいに見える男性だが、その青い瞳の輝きは少年のように無垢むくでもあった。


 ヘルハウンドの背には、三名の者が乗っていた。そのうち、深緑色のマントに身をくるんだ女性と、重装備の小柄な男―――ドワーフ族に見える―――は、魔犬の背から降りた。赤いマントに身を包む眼帯の男は、ヘルハウンドの背に乗ったまま、鞭とおもえる物体を取り出していた。


「若い女・・・ドワーフ・・・それに、魔獣使い?いったい、どういう取り合わせだ?」


 強く興味を引かれたフバルスカヤは、膝をついて怪物ガエルの頭をポンと叩くと、濃紺のうこん色のローブをはためかせて樹木よりも大きなカエルの頭から飛び降りた。


 そのまい優雅ゆうがで、まるで木の葉がゆっくりと地に落ちるかのようだった。


 ポーリン、ノタック、<四ツ目>の見守る前で、フバルスカヤは悠然ゆうぜんと地に舞い降りた・・・と同時に、ひとつしゃっくりをした。


「・・・あなたは、サントエルマの森の魔法使い?」


 ポーリンが有無を言わさぬ口調で問うた。


 最も興味を引かれなかった人物に、フバルスカヤの注意が向く。


「サントエルマ・・・その名を口にするおまえは、何者だ?そのマント、サントエルマのものではないな」


 ポーリンの姿をまじまじと観察する。


「門外漢か、あるいは、学生か?」


「偉大なる森の長、ローグ・エラダン師は、このことを知っているのですか?ほまれ高きサントエルマの森の魔法使いが、ホブゴブリンの侵略に加担かたんするなんて」


 ポーリンの冷ややかな言葉は、酔いの回ったフバルスカヤの頭に冷水を浴びせかけたに等しかった。


「ローグ・エラダン・・・懐かしい名だ。いまは、サントエルマの森の長なのか?とするならば、おまえは・・・」


 とポーリンを指さしながら、あなどるように笑う。頭が冷えたのは一瞬で、すぐに酔いの波にさらわれたようだ。


「学生だな?」


 そういって、下品なゲップをした。


「それは、どうでもいいことです」


 ポーリンは毅然きぜんとして言った。恐れや不安は去り、冷静に場になじんでいく自分を感じていた。


「ふふん」


 フバルスカヤは鼻で笑った。


「サントエルマの森は、私にとっては20年もまえに去った地だ。今は、流浪の魔法使い・・・何の関係もない。そして、サントエルマの森ではできなかった仕事を、成し遂げるのさ」


 顔を赤らめながら、気分よくそう言ったところで、狼に乗ったザギスがやってきた。


 ザギスは、フバルスカヤの周りをぐるぐると回りながら、話しかける。


「けっきょく、あんたが出てこざるをえなくなるとは・・・計画の立て直しが必要だな」


「ああ・・・ぐるぐる回るな、目が回る」


 フバルスカヤは愚痴をいいながら、勘弁かんべんしろとばかりに右手を振った。


「・・・だが、出てきてよかった。面白いものが見れた」


「何だ?」


 ザギスのオレンジ色の目が、フバルスカヤの視線を追う。黒ローブの女に、ドワーフ?それらには見覚えはなかったが、ヘルハウンドに乗った赤いマントの男には見覚えがあった。


「・・・おまえ、ダンの手下。ダンを裏切りやがったってことだな?」


 <四ツ目>はつれなく肩をすくめた。


「あいにく、ダンの手下になった覚えなどない」


「ふん、まあどうでもいいがな」


 そう言って、ザギスは改めてポーリンとノタックを見た。


「ということは、おまえたちはチーグの連れだな?ちょうどいい、ここで始末してやる」


 ザギスは左手で狼を御しながら、右手で剣を抜いた。


「ザギス、酒は足りているか?」


 フバルスカヤは腕組みをしながら余裕の仕草でそう問うた。


「ああ、十分だ・・・」


 ザギスが不敵に笑う。


 戦いを予感して、ノタックが双頭のハンマーを地に立て、戦いのための儀式をはじめた。


 ポーリンも、状況に応じてすぐに魔法を出せるように、いくつかの呪文を頭の中に浮かべる。<四ツ目>は、むちで自分の足を軽く打ってもてあそびながら、いつでもヘルハウンドに戦いの命令を出せる体勢を取った。


 戦場の喧噪けんそうのなか、異様な静寂感せいじゃくかんが彼らの周りを覆った。


「ふへへ・・・おまえ、こんなところで神さまにお祈りか?隙だらけだぜ」


 ザギスの視線がノタックを捕らえ、嘲笑した。その笑いが終わるとともに、ザギスはまたがる狼に突撃を命じた。


 狼はザギスを乗せたままを描きながら地を駆け、凄まじい勢いでノタックに頭突きを食らわせた。最後の一歩は、両足を蹴っての跳躍ちょうやくに近い動きであった。


 ホブゴブリンが乗る狼は巨躯きょくで、ヘルハウンドほどではないが、ドワーフよりははるかに大きい。


 そんな猛獣の突撃を受けて、ノタックは吹き飛ばされた。両手にしっかりとハンマーを握ったまま、砂煙をあげながら後ろの木立のなかに転がっていった。


「みんな、笑えよ」


 ザギスは上機嫌に周囲にいるホブゴブリンたちに言ったが、その顔はすぐに曇った。狼がふらふらとよろけていたのだ。


 ザギスは慌てて狼から飛び降りた。


 ザギスのきわに、狼が倒れ込む。


「ほう」


 ザギスはドワーフが吹き飛んでいった木立の方を見た。


 たいていの敵は、狼の一撃でされる。いままで狼が損傷を被ったことはなかった。けれども今回は、そうはいかなかったようだ。


「石のように硬い、ってわけか。ドワーフだけに?」


 ザギスは低い声でそうつぶやいた。


 木立の中では、祈りを終えたノタックが立ち上がり、双頭のハンマーを構えていた。


「面白い形のハンマーだ。なかなかいいぜ、きょうがのってきた」


 ザギスは腰にあったもう一つの酒袋を取り出すと、口で栓を抜いて、それを飲み干した。そして、酒袋を投げ捨てるとともに、剣も引き抜いた。



――――――――――――――――――――――

主な登場人物:

ラザラ・ポーリン サントエルマの森の魔法使いの見習い。失われた魔法の探索の旅の途中、ゴブリン王国の王位継承をめぐる大冒険に巻き込まれる。


チーグ ゴブリン王国の第一王子。人間たちの知識を得て、王国への帰還を目指す。第三王子ヨーと、有力氏族の次期氏族長ダンに命を狙われているため、極秘裏にゴブリン王国に潜入する。現在、王国を取り戻すために奮闘中。


ノタック 放浪のドワーフの戦士。双頭のハンマーを使いこなす古強者。<最強のドワーフ>を目指している。


ノト チーグの身の回りの世話をする従者。


バレ ゴブリン王国の第二王子。病弱で身体が弱い。よく面倒をみてくれていたチーグを慕っていると言われている。チーグが持ち帰った薬により、体調は良化した。


<四ツ目> 四つの目玉を刺繍した眼帯で右目を多う歴戦の傭兵。ヘルハウンドを使役する強力な魔獣使いでもある。誰が真の雇い主か不明であったが、バレが大金で雇い、裏切り者のダンに接近させていた。現在、ポーリン、ノタックと共闘中。


ダン 古き良きゴブリン文化を愛する保守的な次期有力氏族長。チーグを敵視し、ザギスに力を貸す。


ヨー ゴブリン王国の第三王子。自ら王になろうとする野心を隠さず、軍を掌握して西門――――通称<岩門>に陣を構えていた。チーグやザギスを出し抜き、囚われていた父王を助け出したが、フバルスカヤに再び奪われてしまう。


ザギス 遠くゾニソン台地からやってきたホブゴブリン軍の主。<酔剣のザギス>の異名を持ち、現在ゴブリン王国を占領している。


フバルスカヤ 元サントエルマの森の魔法使い。<酒解のフバルスカヤ>の異名を持つ。ザギスの盟友にして、黒幕。

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