第36話 敗勢

 少なくともゴブリンたちからみて、黄金色の巨大なカエルはあまりにも強かった。


 剣で斬ろうと、槍で突こうと、そのブヨブヨした皮膚に跳ね返される。ひとたび飛べば、数百の兵たちをひとまたぎ。そして、着地とともに十数人の兵を踏み潰す。


 さらに、カエルの頭上に乗るフバルスカヤが、魔法で作り出した炎の矢や酸の矢を射かけてくることもあった。


 数百のゴブリン兵たちは、完全に守勢に回らざるを得なかった。


 普段はカエルを食することもあるゴブリンたちだが、今回は自分たちが補食される側だとの認識が、徐々に軍内に広がっていった。


 そんなところを、<酔剣のザギス>に率いられたホブゴブリンの狼乗りウルフライダーたちが急襲した。リフェティから兵を率いて出撃してきたのだ。


 数では圧倒していたゴブリン軍だったが、これにより守勢から潰走かいそうへと転じざるを得なくなった。


「ぬうぅ」


 まるで災害から逃げる人々の群れに、ひとり立ち向かうかのようにその場にとどまっていたヨーだったが、屈辱に満ちたうめき声をあげる以外にできなかった。


 つい先ほどまでの勝利の確信は消え去り、それどころか自身の命の危険さえ感じていた。


――――<酒解しゅかいのフバルスカヤ>?


 ヨーは苦々しく自問していた。全く考えてもいなかった要素だ。ザギスは、この手札を隠していた。あるいは、力関係でいえば、フバルスカヤこそ黒幕くろまくかも知れない。


 ヨーはすっぽりかぶった兜の下から憎々しげな視線を怪物カエルに向け、軍を立て直すべく小馬の手綱たずなを強く引っ張った。





 ポーリン、ノタック、そして<四ツ目>は、混乱を誘うべくホブゴブリンの守備兵を襲ったが、直後にヨーの軍勢が進軍してきたことが分かったため、岩場の中腹の影に身をひそめて様子を観察していた。


 そして、巨大な黄金のカエルが姿を現したところで、ポーリンははっと息をのんだ。


「カエルは魔法使いが使い魔として使役しえきすることがある。その力に応じて、表皮の色が違うと言われている。黄金のカエルは、最上級よ」


「ほう」


 <四ツ目>は興味深そうに隻眼せきがんを細めた。


「そして、あれは・・・」


 と、ポーリンは目を細くして詳しく観察する。


「サントエルマの森の魔法使い?」


 自らの目を疑うかのように、思わず目をこする。


 けれども、カエルの上に乗り指揮する者が着るのは、黄金のルーン文字が模様のように袖口に刺繍ししゅうされたローブ・・・サントエルマの森の魔法使いと認められた者だけが、着ることを許されるほまれ高きもの。


 ずいぶんとすり切れ、古めかしいものに見えたが、間違いなさそうだった。


「そんな・・・まさか。なぜ、サントエルマの森の魔法使いが、ホブゴブリンに味方するの?」


 その声はぬぐいきれぬ疑念と、き上がる失望に満ちていた。


「その、サントエルマの森の魔法使いというのは、強いのか?」


 ノタックが興味深げにポーリンを見上げた。ポーリンの顔は血の気が引いて真っ白に見えた。


「ええ・・・話せば長いけれど、私は、サントエルマの森では、まだ見習いの魔法使いだった。つまり、あいつは私より格上かくうえよ」


貴公きこうより強力な魔法使いが、まだいるのか?」


 ノタックは純粋に驚いた声を上げた。


 ポーリンは苦笑した。


「ええ・・・私も、サントエルマの森に入門できたから、そんじょそこらの魔法使いよりは能力高いはずだけど・・・まだまだ、上には上がいる。今はまだ、サントエルマの森の魔法使いと名乗れる身分にはない。だからこそ、私はまだ、“何者でもない”のよ」


「そうなのか・・・それはのぼり甲斐かいがあるな」


 ノタックの屈託くったくのない言葉に、ポーリンは救われた気持ちになっていた。


「・・・そうね、その通り」


「興味深い話のところ申し訳ないが」


 <四ツ目>が割って入った。


「いま、チーグたちがどういう状況になっているか分からないが、この戦いはボラン王を救い出した者が最も有利にことを運べる。どうやら、ボラン王はあのカエルに捕らえられているようだが、どうする、行くか?」


 <四ツ目>の言葉は的確に事態の本質を突いていたが、ポーリンは鼓動こどうが早まるのを感じていた。


 怪物ガエルに戦いを挑むということは、正体不明のサントエルマの森の魔法使いに立ち向かうということだ。今の彼女に、できるだろうか?


 つい先刻まで、憎きホブゴブリンたちと戦う覚悟をしていた。それが、格上の魔法使いを相手にせねばならないようになろうとは・・・


 気持ちを整理するには、しばらくの時間がかかりそうだったが、いまはその時間がない。


 散らかった部屋をかたづけるいとまもないままに、出かけなければならなくなったような気持ちだったが、それでもポーリンは力強く言った。


「どのみち、あいつらを倒さないとチーグの勝ちはない。行きましょう」


 その声がわずかに震えていることに、歴戦の<四ツ目>とノタックは気づいていたが、何も言わなかった。この女性の烈火のような気性が、短い付き合いの中でもよく分かっていた。


 その炎は、たとえはじめは弱々しかったとしても、やがて強く燃えさかる。死線をくぐるほどに、その炎はより力強さを増すだろう。




――――――――――――――――――――――

主な登場人物:

ラザラ・ポーリン サントエルマの森の魔法使いの見習い。失われた魔法の探索の旅の途中、ゴブリン王国の王位継承をめぐる大冒険に巻き込まれる。


チーグ ゴブリン王国の第一王子。人間たちの知識を得て、王国への帰還を目指す。第三王子ヨーと、有力氏族の次期氏族長ダンに命を狙われているため、極秘裏にゴブリン王国に潜入する。現在、王国を取り戻すために奮闘中。


ノタック 放浪のドワーフの戦士。双頭のハンマーを使いこなす古強者。<最強のドワーフ>を目指している。


ノト チーグの身の回りの世話をする従者。


バレ ゴブリン王国の第二王子。病弱で身体が弱い。よく面倒をみてくれていたチーグを慕っていると言われている。チーグが持ち帰った薬により、体調は良化した。


<四ツ目> 四つの目玉を刺繍した眼帯で右目を多う歴戦の傭兵。ヘルハウンドを使役する強力な魔獣使いでもある。誰が真の雇い主か不明であったが、バレが大金で雇い、裏切り者のダンに接近させていた。


ダン 古き良きゴブリン文化を愛する保守的な次期有力氏族長。チーグを敵視し、ザギスに力を貸す。


ヨー ゴブリン王国の第三王子。自ら王になろうとする野心を隠さず、軍を掌握して西門――――通称<岩門>に陣を構えていた。チーグやザギスを出し抜き、囚われていた父王を助け出した。


ザギス 遠くゾニソン台地からやってきたホブゴブリン軍の主。<酔剣のザギス>の異名を持ち、現在ゴブリン王国を占領している。

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