第一話 陰陽師と虎 ⑥


 虎丸ははんときあまりも吠え、暴れ、布団を抱きしめては投げつけていた。理解できず、現状を受け入れられない人間の行動としては短い方かもしれない。おそらく長い時間立っているだけの体力もなかったのだろう。その間、「手がつけられないから」と伊惟は障子を閉めて晴亮を部屋に入らせなかった。

 激情が去り、ようやく落ち着いた虎丸は、敷き直した布団の上で伊惟の用意した雑炊をすすっていた。

「うまい!」

 虎丸はそう言ってなんどもおかわりした。たちまち空になるなべに、伊惟は不穏な目を晴亮に向ける。

「こんなうまい米は初めてった! おまえたちは帝よりうまいものを喰ってるのか」

 それは八百年も昔の米に比べたら、味も格段によくなっているだろう、と晴亮は思う。虎丸は漬物も、つくだも目を輝かせて食べていた。

「大江山の鬼退治って、本当にあったことだったんですね」

「当たり前だ」

 虎丸は雑炊をかき込みながら答える。

「その頃、都は物のばつするところでな。その中心となっていたのが大江山の鬼共だ。俺たちは一条天皇の命で大江山の鬼を討伐することになった」

 帝の主命を受けた源頼光は、わたなべのつなさかたのきんときうすさだみつうらべのすえたけという配下の四天王を討伐隊にいれた。酒吞童子にも同じように四体の剛の者がいたからだ。しかし、討伐間近になって、もう一体、名を知られていない側近がいることがわかった。

「それで俺が討伐隊に引き上げられたんだ」

 虎丸はもともと御所の使だった。だが、御所を物の怪が襲ったとき、たった一人で複数の怪物を倒した。それを聞いた頼光が自分の配下に組み込んだ。

「ただの虎丸では成果をあげたとき、座りが悪い。虎王院虎丸と名乗れ」

 姓を与えられ、虎丸は感激した。天にも地にもただ一人だった孤児の自分が、家を興すことになるのだ。

 鬼を倒すために策を練ったぞ、と虎丸は言う。

「頭目は酒好きの鬼で酒吞童子と呼ばれていた。やつは寺で作られた僧坊酒を狙い、都中の寺を襲っていた。なので我々は奈良の寺から山伝いに酒を運ぶという偽のしらせを流し、やつらに襲わせた」

 その酒に毒をいれておいた。並の人間ならすぐに死ぬ。だが鬼にどこまで効くかはわからなかった。

「鬼どもが宴会を始め、あの酒を飲み始めたと聞いて俺たちは山に突入した。やつらの根城に入ったとき、ほとんどの鬼は体がしびれて動けなかった」

 四天王は敵の四体の側近、ほしくまどうくまどうとらくまどうかねどうたおしていった。そして頭目の酒吞童子に迫ったとき、名を知らぬ一本角の鬼が立ちはだかった。

「それがカスミ、霞童子だった」

 霞童子は怖いくらい美しい鬼だった。女めいているというわけではない、例えれば氷の花のような月のちようのような。頼光の四天王たちもその美しさに動きが止まった。

 そして強かった。酒吞童子を守って四天王の剣をことごとくはじいた。

「霞童子は俺の獲物だ!」

 虎丸は霞童子を相手によく戦った。虎丸に攻められ霞童子の気がそれた隙に、四天王は酒吞童子を討ち果たした。

 倒れた酒吞童子を見て、霞童子は山が震えるようなほうこうをあげた。美しい顔は見る間に獣と化し、体が青黒く膨れ上がった。彼は本性を隠していたのだ。

 霞童子はその姿のまま奥の院へ逃げた。そして行き止まりの壁にかかった掛け軸をはぐと、そこに黒い穴が開いた。

「酒吞が死んだのなら俺はもうこの世に用はない。時と場所を超え、そこで再び鬼の世を作る!」

「逃がすか!」

 坂田金時がせんで霞童子に斬り掛かった。霞はそのやいばけ、剣で彼の体を刺し貫いた。

「金時!」

 虎丸は叫んだ。坂田金時は虎丸が頼光の配下に入ったとき、なにくれと面倒をみてくれた男だった。山で頼光に拾われたという金時は、自分と同じ身分のない虎丸をかばい、兄弟のように親しくしてくれた。唯一の友だった。

「きさまっ! 許さん!」

 虎丸は黒い穴に身を躍らせようとしている霞童子にしがみついた。絶対に逃がさないと手足を絡めた。

「馬鹿め! これはときじくの穴、どこへ出るかわからぬぞ」

「どこへ出ようがそこがきさまの墓場だ!」

 そして上も下もわからぬ暗闇の中、落ちているのか浮いているのかわからない時間が永遠に、いや一瞬かもしれない、赤い光が見えたと思ったら、夕日の落ちる地に転がり出たのだ──。

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