第一話 陰陽師と虎 ④
二
「もう大丈夫ですよ」
しゅんしゅんと鉄瓶が湯気を噴き上げている。炭を倍増して暖めた部屋で男の治療をした医師は、そう言って診察箱を閉めた。
「傷は深かったんですが、重要な筋や骨は傷つけられていませんでした。とても強い筋肉を持っているようですしね」
「ありがとうございます、
同じ町内に住む武居医師は長崎で蘭学、とくに外科を学び、男の傷も半刻ほどかけて縫い合わせてくれた。まだ若いが技術は確かだ。
「血をたくさん失っているようなので、滋養のあるものを食べさせてあげてください。あと、安静に」
「ありがとうございます」
「それにしてもあの
元々武家の出だという医師は鋭い目で晴亮を見た。その視線にとっさにうつむいてしまう。
「ええと、そのう……」
祠から鬼が出てきたのだ、と長崎帰りの医師に言って信じてもらえるものかどうか、晴亮が
「ご事情があるようなので聞かないことにします。でもなにかお手伝いできることがあれば、おっしゃってくださいね」
大柄な医者なのに案外と静かな所作で立ち上がる。おそらく今でも剣の鍛錬をしているのだろう。
「あ、あの、武居先生。その……お代の方なんですが、少し待っていただいてもよろしいでしょうか?」
晴亮は武居の袴の
「はい、ご都合のよろしいときで結構ですよ」
このぼろ屋敷に呼んだときから治療費のことは
晴亮は医者を見送ったあと、男が寝ている部屋に戻った。背中を縫ったので今はうつぶせにされている彼は、すうすうと穏やかな顔で寝息を立てている。
鬼と戦っていたときは恐ろしい顔をしていたが、こうやって眠っていると穏やかで優しくも見える。
とにかく、男が目覚めたら話を聞かなくては。彼はなにものなのか、あの異形はなんなのか、なぜ祠からでてきたのか。
林の中に消えてしまった、平気で人を傷つけるようなものを、野放しにしていて大丈夫だろうか?
男の枕元に着物や持ち物が置いてある。矢が三本ほど入った矢筒、古い形の、おそらく太刀と呼ぶべきだろう逆さ反りの剣、革と銅で作られた
着物と
姿だけ見るとずいぶん古めかしい
古めかしいと言えば、頭も
しばらく寝顔を見守っていたが、ぐっすりと眠っているようなので、晴亮は静かに退室した。
翌朝、中庭にある井戸で顔を洗っていると、伊惟の叫び声が聞こえた。「
晴亮は首に手ぬぐいをひっかけて、声のする方へ走った。
「あ、師匠! とめ、止めてください!」
見ると重傷の
「ちょ、ちょっと! なにをしてるんです、寝てなきゃだめです!」
「あいつはどこへいった!」
男は晴亮を見ると、青ざめた怖い顔で怒鳴った。
「あいつは、カスミはどこだ!」
男は怒鳴ると長い脚を振った。伊惟があっさりと放り投げられる。
「あ、あの異形ですか?」
「そうだ、あいつを逃がしてはならん! あいつを、ううっ──」
言いかけて男は廊下に
「と、とにかく安静にして。あなたは大怪我してるんです」
「こんな怪我──」
「こんな怪我でもどんな怪我でも大怪我なんです! それにそんな恰好で外へ出てどうするつもりなんですか!」
男は下履きだけだった。晴亮の言葉でようやく自分の状態に気づいたのか、周りをきょろきょろと見回す。長く続く廊下やそこから見える内庭、広がる青空。
「ここは……どこだ? 御所か」
男の言葉に思わず口元が緩む。
「そんなたいそうなもんじゃありません、ここは私の家です。私は寒月晴亮」
「かん、げつ?」
「はい。さあ、まずは床へ戻って。そこでゆっくり話を聞きます。カスミという異形のこともそのあと相談しましょう」
晴亮は男の腕の下に自分の肩をいれた。男はもう騒がず、晴亮に体重をかけて立ち上がった。
「伊惟、
「は、はい」
伊惟がぱたぱたと駆けていった。男は軒先から空を見上げ、
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