第一話 陰陽師と虎 ②
「あーあ、また客を追い返しちゃって」
少年は白い息を赤い空に吐きながら、屋敷から出てきた青年を振り向く。
「晴亮
「えり好みじゃない、できないんだよ、
「できなくたっていいじゃないですか。それらしく見せて、はい呪いましたって言っておけば客の気が済むんですから」
伊惟という少年は愛らしい顔をしているが、言葉はきつい。まだ声が高いままで空にキンキンと響いた。普段、本人は甲高いそれを気にしているが、今は止まらないようだった。
「噓はつけないし、大体それで呪いが効かなかったって言われたらどうするんだ」
晴亮は玄関に戻らず、白壁に沿って裏の林に向かった。その後ろを伊惟が寒そうに首をすくめながらついてくる。
「そのときは呪いが効くのには時間がかかるとかなんとか……。とにかく陰陽道の看板をあげたんだから陰陽道の仕事らしいものをしてください!」
「お前の思いつきで看板を出したけど、やっぱり止めた方がいいんじゃないかな。陰陽道ってそんなものじゃないし……第一いろは堂っておかしいよ、うちには寒月というちゃんとした名前があるんだから」
「なに言ってるんです!」
伊惟は
「寒月家がどんなに著名でも昔の話です。それよりは漢字が読めない庶民にも親しみを持ってもらうためのいろは堂です。いろはなら子供でもわかりますからね。みんなに知られなきゃ商売できません!」
「そりゃあ昔と違って今はあやかし自体少ないし、陰陽師もすっかりすたれたし」
そう、今や黒船は来るし、
「そうですね、だから一番上のお兄様は
「そ、そうだね」
「師匠、今おひつにどれだけ米があるかご存じなんですか!」
「いや、それは……」
晴亮は歩みを止め、空を仰ぐとため息をついた。ふわりと息が白く溶ける。
「稼いでいる兄上さまたちから毎月お米を送ってもらうのは申し訳ないって言うから看板あげようって話になったんですよね? 師匠が寒月家を継いで三年、陰陽師の仕事が来たのは何回ですか」
その言葉に晴亮は指を折って数え始めた。それを見て伊惟は
「指で数えられるくらいですよね? 今年から大々的に打って出ようってんですから、
「できないよ。陰陽師というのは災いから人を守るものなんだ」
伊惟の言う通り、二人の兄ははやばやと陰陽道に見切りをつけ転職した。残された三男の晴亮が当主を継いだはいいが、今までの仕事と言えば先代の当主からつきあいのあった
再び歩き出し、晴亮は雑木林の入り口にある
「この祠も扉がもうだめですね」
伊惟の言うように片方の
「蝶番代だけでも稼ぎましょうよ」
「うん……」
晴亮は扉の前に置いてあった符を新しい符と取り替えた。古い符は懐にしまい、両手を合わせる。伊惟も背後で神妙な顔をして手を合わせているだろう。
この祠は「鬼封じの祠」といい、晴亮の先祖が
真言の最後の一節が終わったとき、不意に地面に震動を感じた。祠の背後の林から、いっせいに鳥たちがはばたいて舞い上がる。
伊惟が悲鳴を上げて
目の前の祠がまるで生きているかのように左右に細かく揺れ始めた。
「じ、地震!?」
とっさに屋敷を見て、それから林を見て、晴亮は違和感を覚えた。どちらも揺れてはいないのだ。
「祠だけが揺れている?」
地面に震動は感じる。細かな砂や小石が浮き上がっているくらいだ。なのに。
「師匠!」
伊惟がしがみついてきた。その小さな体を抱いて晴亮は祠を見た。蝶番が壊れている方の扉が落ちる。そしてもう片方も内側から
「なに、か……?」
祠の中は真っ暗だった。いつもは中に
その渦の中心から、にゅっと突き出てきたのは腕だった。人の腕。人? いや、人はこんな巨大でふしくれだって青ざめて長い爪の指は持たない。
鬼封じの祠──中から封じられていたものが出てきたのか!?
出てきた指がなにかを
「うわあっ!」
晴亮と伊惟は一緒に悲鳴を上げた。飛び出してきたものはごろごろと勢いよく地面を転がる。それは巨大な人型の異形だった。
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