第一話 陰陽師と虎 ①


「お帰りください」

 客の話が用件にはいるまでに小半刻もかかった。火鉢は置いてあるが炭の量が少ないので室内はあまり暖まらない。その部屋でよくそれだけしやべれるものだ。

 客は商家のだんのようだが、なにを扱っているのかは話さない。それでいて、いかに自分の店が大きく、歴史があり、苦労してきているのかと続き、最後にようやく望みを切り出してきた。

 しかし、当主の寒月はるあきらはそれを聞いたあと弱々しく答えた。

「申し訳ありませんが、うちはそういうことを生業なりわいとはしておりません」

「しかし」

 相手はにこやかな笑みを消さぬまま答えた。五十は超えているだろうに、かがみもちに油を塗ったようなてらてらとした頰を持つ男だった。

「こちらは由緒正しいおんみようの家筋とお伺いしました。陰陽師ならば相手を呪うことがおできになるでしょう」

「人を呪わば穴二つと申します……」

 対する晴亮は二十になったばかりの、あしの穂のようにひょろりとした青年だった。声の方もおどおどと自信なげだ。

「呪いは必ず返ってきます。あなたも墓穴を掘りたいんですか?」

「そこはそれ、そのようなことがないように、」

「できません」

 晴亮は泣き出しそうな顔でさえぎった。

「そんな恐ろしいこと、考えたくもありません。陰陽師は人を災いから避けるためのお手伝いをするものです。あなたもそんなよこしまな考えを改めて、真正直にお仕事に精を出してください。そうすれば人を呪わなくても商売繁盛間違いなしです」

 青年のありきたりな返答に、鏡餅は笑顔を消して不満げな表情を浮かべる。畳にこぶしをついて、ずいっと身を乗り出した。

「しかしですね。あいつが私のところの商品を真似して客を奪っているのは明らかなんです。私が何年も考えてやっとできたものを……この悔しさはおわかりいただけるでしょう?」

「わかりますわかります。だったらその商品をさらによくしてみたらどうですか」

「そうしたらまた真似される! あんたみたいな若造は、なにもわかっちゃいない! 最後の頼みにと来てみたが、しよせん時代遅れの陰陽師、何の役にも立ちやしない!」

 怒れる鏡餅はその巨体に似合わず素早く立ち上がった。

「こんなところまできて本当に無駄足だった」

 その足取りは年季の入った廊下の床板が割れるのではないかと思うほどだった。

 鏡餅のような商人は屋敷を出て、門にかかっている看板をにらんだ。そこには「陰陽師いろは堂 よろず困りごと、せ物、ご相談」と書いてあった。

「何が陰陽師だ!」

 看板の横には十歳くらいの少年が立ち、丁寧に頭をさげる。

「またのお越しを」

「誰が来るか!」

 商家の主人はばしゃりと門の前の水たまりを踏んだ。先日降った雪が溶けて、道はぐずぐずになっている。商人はいまいましげに汚れた足を持ち上げた。

 屋敷の前には駕籠かごが待っている。乗り込むと駕籠かきたちが威勢のいい声をかけて持ち上げた。重みに歯ぎしりしながらも、「えっさ、ほいさ」と泥をって走り出す。少年は夕日に溶けてゆくその背中を見送った。

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