20話 黒魔女の本領


「オーブリーッ!」


 怒鳴り声をあげつつサロンの地下室へ乱暴に入ったアリサは、首を巡らせながらその姿を探す。

 建物内に人影は見当たらない。冷たく埃っぽい空気を吸い込むと、喉がひりりと痛んだ。


「叫ばなくても、聞こえてるよ~こっち、こっち!」


 どこかのんびりした声は、最も奥のブースから聞こえてくる。ダミアンが暴れた場所だ。


 以前とは違い、室内ではたくさんのキャンドルに火が灯っており、それほど暗さを感じない。

 

 駆け足で向かうと、涙を浮かべたポーラが口元を布で縛られ、後ろ手に背もたれごと縛られる姿勢で椅子に座らされている。その傍らにオーブリーが立ち、そしてその左横にローテーブルを囲むように置かれた三人がけソファには――コラリー・ジョクス伯爵令嬢が我が物顔で座っていた。


 アリサは肩で息をしながら、ローテーブルを挟んでオーブリーと相対する。


「ポーラを! 離せ!」

「やだよ~」

「んまぁ、なんですのその恰好? 平民の殿方みたいですわね。はしたない」


 アリサが『アルの服装』であることを見咎みとがめたコラリーが、品のない赤い扇を開いて口元を隠す。そういう自分は、趣味の悪い黄色のドレスで着飾っている。赤と黄色がまるでキャンドルみたい、とおかしなことを考えるのは、まだ現実感がないからかもしれない。


「なぜあなたがここにいる」

「なぜって? いやだわ~。トリベールは我がジョクスのものでしょう? この際はっきり伝えておこうと思って、アリサ・トリベール。王太子妃となるわたくしに仕えたいなら、這いつくばって礼を尽くしなさいな」

「くだらない」

「なんですって? わたくしの采配で、あなたの今後の人生が」

「なんにも知らないのね。御前会議で、セルジュ殿下の婚約者は、エリーヌ様に決まった。トリベールは、ロイク・ヴァランが采配することになった。ジョクスは廃爵、宰相閣下は収監」

「あっはっはっは!」


 コラリーは扇でゆったりと顔を仰ぐ。


「妄想甚だしいこと! 頭がおかしくなったのかしら?」

「おかしいのは、お前だ。自分の兄が捕縛されたことすらも知らないのか」


 アリサはもう、口調をとりつくろわない。そして、オーブリーから決して視線を外さない。


「そんなデタラメ」

「デタラメじゃない。王宮に照会すればいい。兄と会えるかは、知らないけどね」

「……なによ! 全然、つまらないじゃない! 黒魔女が這いつくばるのが見られるっていうから、来てやったのに。オーブリー! どうなってるのよ!」

「あっはっは。いやぁ、貴族のご令嬢なのに、下品なんだねえ」

「まったくよ! 下品な黒魔女を、さっさと排除なさいな!」

「ええ〜? しょうがないなぁ」


 オーブリーが両腕をゆっくりと広げると、黒ローブの前合わせも開いた。

 首に何重もじゃらじゃらとかけられた、天然石や金銀宝石のネックレスが見える。両手首も同様だ。


「!! ディリ! ポーラを守って!」

『わかったヨ~』


 ディリティリオが離れ、ポーラの腕を這いあがったのを確認しつつ、アリサは闇の結界魔法を唱える。黒い霧の魔法を応用させ、空気を遮断するものだ。

 濁った視界の向こうで、オーブリーがニタニタと何かを唱えたのが分かった。

  

イエーナ呪いぁ」

「うぐ」


 途端に首をぎゅっと握られたような感覚になる。窒息する。視界が真っ赤に染まっていく。


「くろ、まじょを、呪う、だなんて」


 ぐぐ、と奥歯を強く噛みしめる。

 

「なめ、たもの、ね……カース呪い!」


 ポーラが、涙目で首をぶんぶん振っている。何かを訴えている様子だと気づいた。必死で体を揺すり、顎でアリサの左横を指している。すると、腰掛けていたコラリーの目から、いきなり力が失われた。

 

「あぎゃ……?」

「え!?」

「アハハハハハ!」


 呪いを返したというのに、オーブリーは楽しそうに笑っているだけだ。その代わりに左にいるコラリーが、眼球が飛び出そうなほど目を見開き、震える両手を持ち上げたかと思うと、無言で泳ぐように宙を搔いている。それからぐりんと白目を剥いて、腰から崩れ落ちるように横倒しになった。

 

 ディリティリオが、ポーラの背後から叫ぶ。

 

『身代わりの術ダッ!』

「!!」


 アリサはすぐに魔法の手をゆるめるが、コラリーは倒れたまま微動だにしない。


「やったあ! 人殺しだあ!」

「そ、んな……」

「ねえ、どんな気分? 魔法で人を殺すって。ねえねえ。ねえ、ねえ!」


 きゃきゃ、とはしゃぎながら飛び跳ねるオーブリーの、首のネックレスがじゃらじゃらと音を立てる。

 

「ね。楽しいでしょ! 楽しくない? もっと僕とたくさん、殺そうよ!」

 

 濃い紫の前髪が、ふわりふわりと宙に巻き上がる。

 アリサは倒れたコラリーを見て茫然となり、ゆっくりと首をめぐらせ、はしゃぐオーブリーが視界に入ると――


「ぶふ! あはははは!」


 突如として、爆笑した。

 

「あ、やっぱり楽しいよね!」

「あはははははは! おっかしー! ばっかみたい! あはははははやばいー!」


 腹を抱え、涙まで流して笑い続けるアリサを、笑顔で見つめていたオーブリーはしかし、だんだんいらついてくる。


「いつまで笑ってるの?」

「だって! おっかしくって。あっはっはっは! あーっはっはっはっはっは!」


 その間、ディリティリオはポーラの縄と猿轡さるぐつわをほどき、闇の霧で包む。

 

「もう人質なんていらないからいいよ~。ねえアリサ。僕と一緒に、これからも人を呪っていこうよ」

「……そうね」


 アリサの頭には、ディリティリオが戻ってきていた。

 

 やがて黒髪の中にうぞうぞと何匹もの黒蛇が生まれたかと思うと、ウネウネと立ち上がりはじめた。いくつもの赤い目がオーブリーを見つめ、シャーッを牙と長い舌を見せ、威嚇する。


「うわあ、すごいなあ。黒魔女の本領発揮だ!」


 ニタァとアリサは笑ってみせる。


ダークネス・マインド闇の精神攻撃

 

 オーブリーが、黒蛇の口から放たれる黒い魔力に包まれた。

 

「え」

「さあ。悪夢と共に眠りなさい……

「!」


 驚愕に目を見開いたは、ひきつった笑いを見せた。

 

「な、あ? あれ」


 ぶるぶる震えだす身体は、自分では制御できないようだ。


「あはぁ……だめだったか~……ざぁんねん!」

 


 ぼん! と大きな黒い煙が打ちあがったかと思うと――姿は掻き消え、後には黒いローブだけが残されていた。



「ま~たねぇ~」


 無邪気な子供の声が、天井を這うように聞こえたかと思うと、シンと静寂が訪れる。


「逃がさない! どこまでも、追いかけるっ!」

  

 アリサは唇を噛みしめキッと宙を睨んでから、ポーラに駆け寄った。


「ポーラ! 大丈夫!?」 

「私は大丈夫です! この方、どうしたらっ!」

「っ、闇魔法を喰らってしまった……なら」

『聖女を呼ぶしかないネ。けど、大変だあ。出られるカナ』


 次々と倒れるキャンドルが、布地の張られた椅子やソファに火をつけ、燃え広がり、テーブルや壁の絵画に飛び火していく。


「くっ……これも狙ってたわけねっ」


 わざわざ呼び出すからには、何かあると思っていた。


「火の回りが速い!」

『んん〜? なにか、聞こえなイ〜?』


 コン、コン。

 コン、コン。


「! ポーラ、ここで待ってて!」

「アル様!?」


 アリサがロイクとともに潜入した日、給仕たちは眠らせたダミアンを裏へ引きずっていった。つまり、バックヤードがあるはずだ。アリサは走って見当をつけた場所へ近づくと、魔法を唱えた。


アブ・ソーバー吸収!」


 闇で炎を吸い込みかき消すと、黒焦げの扉が現れた。音はやはり、そこからしている。

 真鍮しんちゅうのドアノブに手を掛けると、ジュッ! と音が鳴る。熱によって一瞬で手のひらが焼けただれたのだ。


「いっ! ……いま、開けるから!」


 だが構わず力任せにドアノブを下ろし、肩を何度も叩きつける。身体ごとぶつけ、またぶつける。


「くっそ! ごほ、ごほ」


 ロウの焼けた煙を深く吸い込み、喉が潰れかけている。

 扉はたわむものの、なにかがいるようで、なかなか開かない。

 

「闇魔法で、あと何ができる! 扉を壊すにはっ」


 大体が精神に干渉したり視界を塞いだりするだけで、物理的な力は期待できそうにない。


「精神……魔力……魔力譲渡なら! ――オーブリー! そこにいるんでしょ!? 水魔法、得意なんでしょ! 魔力、渡すからっ! ゲホッ、ゴホッ」


 室温が上がり、気道や肺が焼けるのを感じる。背後のふたりを気遣う余裕も、もはやない。


「おねが、い……」


 アリサは、確信している。

 今まで共に過ごしてきた親友が必ずそこにいて、助けてくれるはずだ、と。


『イヒヒ〜これを見て、テラはどう思ったか聞きたいよネ〜』


 悠長にクネクネダンスをする黒蛇の一部が、扉の下を這っていくと、ほんの少しして――


 バシャ!


 扉に前のめりにもたれていたアリサの頭頂が、水で濡れた。


「つめた……」



 ――そうして、意識を失った。

 

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