19話 裏切り


「え、宰相閣下も、中毒者だったんですか!」

「おう。陛下の御前で不敬を働いたってことで、近衛が捕縛した」

「バニラの匂いはしなかったのに……」


 だが思い返せば、眼球は血走っていたし顔色も悪く、病的な見た目をしていた。

 

「サマーフ殿下いわくは、香料を使わないもっと強烈な処方のものらしいぞ」


 戻って来たホルガーは、アリサとニコを研究室へ招き入れ椅子に座らせると、御前会議での出来事をつぶさに語った。

 アリサの情報で組み立てたロイクの案がうまくいったぞと、ホルガーは腕を組んで頷いてから、今度は意味深に笑う。


「トリベール侯爵家再興の筋書きは、直接ロイクから聞け」

「え? はい、わかりました」

 

 アリサとしては、非常に複雑な心境だ。

 自身の力で再興したくて頑張って来たのに、ロイクの手にかかればあっという間だろう。なにせ名門ヴァラン公爵家だ。今までの努力は無駄だったのか? という気持ちが沸くのも、致し方ない。それに、商会を続けたいという気持ちだって、まだある。ニコとポーラとの日々は充実して楽しかった。だが一方で、自分はこれから魔術師バジャルドの『餌』になるのだから、それで良いのだという諦めに似た気持ちもある。

 

「ロイク様なら、よくしてくださるでしょう」

「ああ。無事全部終わったら、お祝いをしよう。な」

「はい、ホルガー様」


 無骨だけれど優しい言葉が、アリサの背中を押す。

 椅子から立ち上がり、真正面で深く頭を下げた。


「色々お世話になり、ありがとうございました」

「おお? ほとんどおめえの活躍だろう」

「とんでもありません。ダミアンの捕獲などは、ホルガー様のご尽力なければ叶いませんでした。なによりアルをかくまっていただき、感謝しております」

「……おい、嫌な予感がするぞ」


 アリサはウィッグと眼鏡を取り、横に座っていたニコへ手渡す。

 

「やり残したことがありまして」

「まてまて! どこへ行く? 何をするんだ?」

「大丈夫です」

「そのツラは、大丈夫じゃねえ。死地に行くやつってのはな、独特の顔をするもんだ」


 ば、と立ち上がり行く手をふさごうとするホルガーに向かって、アリサは微笑んだ。


「……無駄ですわ。わたくしは、黒魔女ですから」

「ま!」


 止める手も言葉も届かず、アリサの体は一瞬で黒い霧に包まれたかと思うと、何羽もの黒い蝶となって羽ばたき――消えていった。


「おいニコ! なんで止めねえんだ!」

「今の俺にできるのは、信じて待つこと。それだけです」


 アリサの残したウィッグと眼鏡を握りしめる、とび色の目からは、一筋の涙が流れていた。

 

 


 ◇




 王宮を出たアリサは、ヨロズ商会近くの物陰に潜んで様子を窺った。

 いつだったか、ホルガーと初対面をはたした場所だ。

 

「魔術師とやらは、方位占いの魔法陣を逆手に取られたら、悔しがるでしょうね」

 

 アリサがディリティリオに言った手は、魔術師バジャルドのプライドを刺激し、黒魔女へ恨みを向けさせるというもの。


『危ないよ~。けど、仕方ないネ~』

マディア占え、ディリティリオ」

『イヒヒ~~~~~』

 

 ぐん、と頭皮が引っ張られる感覚に負けじと、アリサは下腹部に力を込めた。

 ディリティリオはアリサの頬の横で、チロチロと長い舌を出したりひっこめたりしている。


『ふむ……店の中に誘導してるネ~』

「え」

『見てくるヨ~』


 アリサはぷちんと髪の毛を数本抜き、ディリティリオに差し出した。


「本体で行ってはダメよ」

『イヒヒそうだネ。おいしー!』


 細くて小さな黒蛇が地面をしゅるしゅると這っていったかと思うと、あっという間に軒先からヨロズ商会の中へ姿を消す。

 

『ありゃ。なんか手紙が置いてある』

「え?」


 しゅるしゅるとまた戻って来た分身からカードを受け取ったアリサは、戦慄した。


『ウーン、そうきたか~ダネ』

「ポーラッ、オーブリー……!」



 ――ポーラを無事に返して欲しかったら、ひとりでサロンの『うたげ』の場所まで来てね。待ってるよ。オーブリーより。

 


「バジャルドの手先だった、ってこと? そんなの、信じられない!」

『きっと会ったら、分かるヨ~』

「そうね……!」


 アリサは、瞬間で走り出した。アルの厚底ブーツには、ホルガーの魔法がかかったままだ。

 そのせいか靴音が大きく響く。路地の建物の壁に跳ね返って、耳にうるさい。自分の吐く息の呼吸音も、胸の中で暴れる心臓の音も。

 

 息を切らせて王都のメインストリートに出ると、乗合馬車の御者が手を振っているのが見え、すかさず荷台に飛び乗った。

 

「出して!」

「おお、久しぶりと思ったら、ずいぶん勇ましいな、お嬢ちゃん!」

「おじさん! 急いでるの! お願い、『オルガ』へっ」

「!! よっしゃまかしとけ!」

 

 行き先が違うにも関わらず、馬の鞭を入れてくれたことに感謝する。しかも警告用のベルを打ち鳴らしながら、全速力で走ってくれている。これなら十分程度で着くだろう。


「オーブリー……」


 硬いベンチに座り、アリサは自然と両手を祈るように組んだ。


(ヨロズ商会に出資して、側で相談に乗ってくれていたのは――すべて嘘だった? この二年、ずっと黒魔女の私を狙っていただけだった?)


 魔法研究にのめり込みがちな彼を、何度となく止めてきた。

 

(違うよね)

 

 だが思い起こせば、商会でバニラを使ったのも、クアドラドの薬物だと言い出したのも、ポーラを預かろうと言ったのも――全て彼だった。

 商会が荒らされた時も、彼の魔法でニコとポーラは眠らされていた、と言われれば腑に落ちる。


「そういえば、オーブリー……薬草学をきちんと研究すれば、聖女に頼らなくても傷が治せる。そんなことを言っていたわね」

『ウン』

「考えたくないけど、魔術にも傾倒していったのかしら……ううん、あんなにたくさん助けてくれたんだもんっ」


 アリサの耳には、全能の神ゼーの威厳ある声が鳴り響いている。

 何度も聞いた『ナルの現身うつしみ』のような人間を作っては不幸にする、女神の話だ。


 否定と肯定で、心の中がぐちゃぐちゃになる。


「親友の裏切りだなんてっ! 愛の女神のくせして! 趣味が悪すぎるのよっ!」

『落ち着いて、アリサ。まだ決まったわけじゃないヨ~』

 

 ヒーイイイインンン!


「お嬢ちゃん、ついたぞ!」

「! ありがとおじさん!」


 ポケットから投げるように渡したコインが銀貨だったので、御者が「ひあああああ」と声を上げたが振り返る余裕はなかった。

  

 

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