21話 黒魔女、お見舞いされるも


 目が覚めたアリサには、手のひらがジクジク熱を持っている感覚があり、持ち上げてみる――手に包帯が巻かれているのが見え、なぜだろうと考える。


「……?」


 ぼうっとした頭で見上げたベッドの天蓋は、濃紺の布地と白レースで飾られていて、同素材のカーテンは四つの端でそれぞれ、金色のタッセルで束ねられている。


「ここ……」

「やあ、アリサ嬢。良かった、目が覚めて」

「オーブリーッ!」


 がばりと身を起こすと、濃い紫色の髪の毛が顔の半分を覆っている黒ローブ姿の魔法使いが、ベッド脇の椅子で魔法書を片手に微笑んでいた。


 彼の顔を見るや、アリサの脳は一気に覚醒した。


 メイドの女性がさっとガウンを羽織らせてくれたのに感謝しつつ、口を開く。


「……本物?」

「あは! うん」

「でも今、アリサ嬢って……」

「えっとねぇ」


 オーブリーの顎が泳いだ先から、バリトンボイスが聞こえた。

 

「目が覚めたか」

「っ!」


 バッと振り返れば、部屋の奥の机の脇に、シルバーブロンドにアクアマリンの瞳の男性が立っている。腕まくりしたシャツの上にシルバーのベストで、タイはしていない珍しくカジュアルな姿で、手には封筒を持っていた。手紙を受け取り、今から読もうとしていたような雰囲気だ。


「ロイク様……? あの、わたくし」

「丸一日寝ていた。ホルガーがカンカンに怒ってたぞ。オーブリーの偽物に呼び出されたとはいえ、貴族令嬢が対応するのは間違っていたと」

「申し訳……」

「いや、謝る必要はない。結果として、アリサ嬢でなければオーブリーは救えなかった」

「うん。ポーラを実家に送る途中で誘拐されちゃってね……まんまとやられたよ。ほんとにごめん」


 このわずかな会話からでも、オーブリーがアルの存在をうまく隠して報告してくれたのが分かる。

 

 ほっと胸を撫で下ろしつつも、アリサは「他の方々は無事?」「バジャルドは?」「サロンはどうなったのかしら」と質問が止まらない。


「ポーラは無事だよ、後で一緒にお見舞いに行こう」


 オーブリーが微笑む一方で、ロイクは眉間に皺を寄せ、渋い声を発する。


「コラリー嬢は、未だに昏睡状態だ。……エレーヌ嬢が、治療を拒否していてな……」

「えっ」

「俺にはアルという事務補佐がいたのだが」


 ロイクは机の天板にそっと手紙を置くと、軽く咳払いをしながらベッドへ近づいてきた。


「今回の件で、宰相であるハルトムート・グライスナー卿に処刑されてしまった……彼とエレーヌ嬢は交流があってな……だから、喪に服していると」


 眉尻を下げた顔で振り向く先には、大きな窓がある。外はどんよりと曇っていて、雨が降っている様子だ。


「王都にはこうして、聖女の悲しみの雨が降り続いている。さすが太陽神の、と言いたいところだが、長雨は決して良いことではない。十年前も、可愛がっていた犬をどこかの避暑地で亡くしたと言って、喪に服した時期があってな。大変だった」

「作物や河川に悪影響や損害が……」


 言いながら、アリサはハッとなる。

 八歳の時にトリベール侯爵領を襲った、前代未聞の長雨は……まさか。


(そんな長きに渡って計画されていただなんて……!)


「アリサ嬢?」

「ああいえその、まだ気分が優れませんの」

「それは悪かった。ここはヴァラン公爵家のタウンハウスだ。気にせずゆっくり療養してくれ」

「えっ……ありがとうございます?」


 だからロイクはカジュアルな服装だったのか、と納得すると同時に、なぜ自分がヴァラン公爵家に? という疑問が残る。


「と言っておいて申し訳ないが、目が覚めたのなら、騎士団と魔導士団の事情聴取がある。体調を考慮したいが」

「なるべく早くが良いですわよね。大丈夫ですわ」

「……理解が早くて助かる」


 するとにわかに、扉の外が騒然となった。


「?」

「騒々しいな」


 ――コンコン。


 ノックに部屋付きメイドが扉口で対応すると、焦った様子でロイクに歩み寄り耳打ちをした。ロイクの片眉がぴくりと動くと、あからさまに嫌そうな顔をする。何事かと、アリサがオーブリーと目線を合わせながら首を傾げていると、やがて低い声で言った。


「はぁ〜、アリサ嬢……サマーフ殿下がみえている」

「えっ! まさか、クアドラドの!? でもあのわたくし、このような格好ですし」


 バン、と扉が開いたかと思えば、「お待ちください!」という制止の声を振り切る形で、入ってくる男たちがいる。

 ひとりは、バルナバス。正式な騎士服を着て帯剣していて、明らかに焦っている。もうひとりは、金髪の頭に飾り布を巻き、豪華な金糸の刺繍入りのベージュ色フロックコートに、シャルワールと呼ばれるゆったりとしたズボン姿の褐色肌の男で、見覚えがない。


 その男は、アリサの姿を認めると微笑みながら言う。

 

「そなたが黒魔女か。オレはサマーフ・クアドラドだ」


 傲慢ごうまんなのは王太子ゆえか。

 拒否されるなど、思ったこともないのだろう。


「殿下、アリサ嬢は目が覚めたばかりで」

「見舞いだ、ロイク。構わん」


(構わん? それを判断するのは、わたしだ!)

 

「……殿下。見舞いという言葉の意味、ご存知ですか」

「ん?」


 バルナバスが、サマーフの背後でみるみる青くなっていくのが分かったが、アリサは見ないふりをする。

 

「もちろんだ。怪我や病気の人間を訪れ、慰労することだろう」


 サマーフが返事をしながら、アリサの枕元に近づいてくる。

 

「ええそうです。聞き方がまずかったですわね。見舞いの主役は誰でしょう」

「病人だ」

「では、わたくしが主役ですね。今、人と話すことにかなりの心労を感じておりますの。ご足労いただき誠に恐縮ですが、どうぞお引取りを」

「おお? オレに帰れと?」

「はい」


 呆気に取られていたロイクが、焦って動き出した、


「殿下、アリサ嬢は目が覚めたばかりで」

「ロイク様、申し訳ございません。ですがこちらのお方は、わたくしの名も呼ばず、許しもなく部屋へ入り、寝間着のレディに遠慮なく近づき、病人への気遣いもまるでない。控えめに言って最低最悪です」


 サマーフは、フサフサまつ毛で彫りの深い目をぱちぱちさせている。


「……すまなかった」


 それから、頭を下げた。


「殿下」

「殿下っ!?」


 ロイクもバルナバスも、それを見て慌てている。

 一方のオーブリーは、何か起きても対応できるようにと、構えていた。


「バジャルドと接触した人間に、いち早く話を聞きたいと焦っていた」

「はい。見舞いなどという、心のこもっていない取ってつけたような理由は、逆に失礼です。最初からそう仰ってくだされば、協力は惜しみません」

「! アリサ嬢……もしかして、こういった『王の振る舞い』は、良くないのか」

「わたくしの個人的な意見で申し上げれば、時と場合です。使い分けなさるのがよろしいかと」

「なるほど……おい、ロイク」

「は」

「お前の婚約者にするのは、待ってくれ」

「は?」

「アリサ嬢。オレと結婚する気はないか!?」


(え? 今、ロイクの婚約者って、そう言った?)


 だがアリサは努めて冷静に、サマーフを見上げて告げる。

 

「……バジャルドの件が最優先であるため、ご協力申し上げる、とは言いました。わたくしの体調にご配慮いただけないのなら、どうぞお引取りくださいませ」

 

 みるみる口元を歪めるサマーフは、最後に両手で頭を抱えた。


「このオレが! 翻弄させられているというのか! バルナバス!」

「あーえー……そうですね」


 サマーフは、キラキラ顔でアリサに迫るが、アリサは正直、起きていることも疲れるくらい、まだ体力が回復していない。

 

「ますます! 気に入ってしまったぞ!」

「はっきり言いましょうか。迷惑です」


 しんどい上にめんどくさくなり、ぼすりとベッドに横になって、頭からシーツを被る。


 ロイクとオーブリーは、顔を見合せて戸惑っている。アリサは、そちらをフォローせねばと目だけシーツから出し、ロイクを呼ぶ。


「……ロイク様」

「! なんだ」

「王太子殿下から庇おうとしていただき、ありがとうございます」

「いや、疲れているだろう。気にせず今日はもう休め。明日の昼ならどうか」

「はい。お心遣い、感謝申し上げます……この場にオーブリーだけ、残していただけますか?」

「分かった」


 ロイクは、眉尻を下げて微笑む。

 アリサが事件の全容を聞きたいであろうことを、察してくれたのだ。


「さあ殿下。応接室にて今後の対応を協議させていただきたく。美味しい茶を用意させましょう」


 公爵令息らしく接待をはじめるバリトンボイスを、シーツの中で聞きながら、アリサはウトウトする。

 

「……ぐぬぬ」

「ここは我がヴァラン公爵家タウンハウスであり……家主は私です」


 言外に『いい加減にせえよ?』というロイクのイライラが聞こえた気がした。


「わかった、わかった! 案内せよ!」


 ――バタン。

 

「……すごい強引な人だったねぇ。でも納得しちゃった。なんか、御前会議でまで我が物顔だったらしいよ〜」


 部屋に残ったオーブリーの一言で、ますますアリサの気が滅入ってしまったのは、言うまでもない。

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