14話 罠と餌


 昼過ぎまでは商会長として客先を回ったりしている、とアリサはロイクに『執務室へ行けない言い訳』をしてある。

 その間は貴族学院で勉学に励んでいるわけだが、来年早々に卒業を控えた身なので、課題はあれどそれほど授業は詰め込まれていない。


 この世界は『月の女神の真似』が季節にも反映されている。

 もうすぐ訪れる冬は、学校も社交もオフシーズンだ。春に卒業パーティであるプロムが行われるまで、最終学年の貴族の子女たちは、将来に備えて婚約をしたり、家業や事業の勉強をしたりするのが慣例である。


「ねえ、オーブリー」

「ん? うん」


 空き時間、廊下を歩いていたオーブリーを見つけたアリサは、声を掛けた。

 セルジュはいつものようにエリーヌを伴って、図書室へ行く様子だ。背後にはバルナバスが付き従っている。オーブリーもセルジュから離れる訳にはいかないので、最低限視界の入る距離を歩くようにする。


「どうしたの?」


 周辺の気配を窺い、人がいないのを確かめてから、アリサは口を開く。

 

「王宮内をコラリー・ジョクスが歩いていたのが気になって」

「!」

 

 立ち止まったふたりの間を、開いていた窓から入ってきた冷たい風が吹き抜けていく。

 オーブリーの前髪が風に巻き上がり、つぶらな目が見えた。心配そうに眉根を寄せている。

 

「王宮でのことは、ロイクに任せるんじゃなかったの?」

「それだと、足りない」


 ジョクス伯爵家を敵と認定したからには、自らも動きたい。

 

「ふむ……」


 やがて、にやりとオーブリーの口角が上がる。

 

「実は僕も、気になってた。店の方はニコが見てくれるんでしょ?」

「うん。わたくしも念のため、外側だけ見て来るつもり」

「そっか……くれぐれも、気を付けて。僕もホルガー様に相談してるんだけどね……あんな風な殿下とエリーヌ嬢の様子を見れば、婚約者が誰になるかなんて一目瞭然いちもくりょうぜんなのに」


 仲睦まじく話をする様子は、見ていて微笑ましい。天真爛漫てんしんらんまんな彼女は、商会長アルの影響で徐々にマナーも身に付いてきている。

 

 アリサは当然、先日のエリーヌの発言を許しきることはできていない。が、それも周囲の煽動せんどうならば仕方なかった、とは思えている。

 

「わたくしも、婚約者候補のひとり。でしょう?」

「……何を考えてるの?」

「とにかくまた、執務室で合流しましょう」

「わかった」


 それから寮の自室へ戻り、鞄に男装の道具を入れながらロイクのことを思う。


(勝手に様子見に行ったと知ったら、きっと怒るだろうな)

 

 アクアマリン色の目で鋭く見つめながら、低い声で静かに説教する様子がありありと脳裏に思い浮かんだ。


 たかが小さな商会の社員たちだ。ご苦労だった、と切り捨てればおしまいであるにも関わらず、安全のためにとわざわざ事務補佐として囲い込んでくれたことには、感謝しかない。ロイクの情が厚く、正義感の強い在り様をの当たりにする度に、まだこの王国には希望があると思えた。


(だからこそ守りたいし、報いたい。もし私の闇魔法が、役に立つのなら)

 

 そんなアリサがヨロズ商会の様子を見に行くため、久しぶりに乗った乗合馬車の荷台のベンチは、こんなにも冷たくて硬かっただろうかと驚いた。屋根とほろだけなので、寒い風に当たりながら乗らなければならない。他人同士が身を寄せ合ってだんを取っているのを見ると、改めて貴族と庶民との違いを感じる。


(貴族の馬車ってすごいのね……あれを当たり前に思ってはダメだわ)


 商会を経営するには庶民感覚も大事、と自分に言い聞かせながら、店よりだいぶ手前で降り、建物の間の物陰に隠れて男装する。ウィッグと眼鏡を身に着け、前開きのコートとワンピースを脱げば、下はブラウスとスラックスにブーツ。鞄の中から取り出したジレを羽織るだけで良い。


 慎重に、店へ向かって歩いてみると――


『魔法の匂いがする』

「奇遇ね、わたしも」


 誰かが魔法を行使した気配がした。少なくとも、オーブリーではない。

 あと一つ角を曲がれば店の軒先のきさきが見えるという場所で、アリサはディリティリオと共に魔力を高めた。


「おーおー。物騒だなぁ」


 突如として背後から掛けられた声に、アリサは驚愕と共に振り返る。すぐそこに、黒ローブのフードを目深に被った、中年男性とおぼしき人物がひとり、モサリと立っていた。今は存在感があるにも関わらず、声を掛けられるまで全く気配がしなかった。ディリティリオは『凄腕だぁ』と耳元で感嘆の息を漏らしている。

 

「黒魔女さんよ。なんでそんな格好してんだ?」

「っ」

「とにかく、ここは危ねぇ。帰った、帰った」

「あなたは、誰だっ」

「あ? ああそうか、初対面かよ」


 親指で雑にフードの前側を持ち上げて見せるのは、白髪混じりの茶髪で眼光の鋭い、無精髭の男だった。顔を見てもやはり、見覚えがない。言葉も仕草も武骨で、魔導士というより傭兵の方が、しっくりくる。首をひねっていると、苦笑された。


「ホルガーってんだ、お嬢ちゃん」

「ホルガー……筆頭魔導士の!?」

「おうよ。男装すんなら、足音にも仕掛けしとかねぇとダメだろ」


 アリサは、ぱちくりと目を瞬かせる。


「足音で、性別が分かるのです?」

「骨格からしてちげぇかんな……ま、そんな話は後だ、黒魔女さんよ」


 手を下ろして再びフードで顔のほとんどを隠したホルガーは、続けた。


「あの店にゃなんらかの魔法陣が敷いてある。近づくと発動すんぞ」


 ずいっと身を乗り出し、アリサの目線より少し上から、態度で圧力をかけてくる。

 

「しかも魔法陣内に入ったら、追跡されるおまけ付きだ。我が国の方式じゃねえ。大きな声じゃ言えねぇが……多分お隣さんクアドラドだな」

「っ、わたしの、店ですっ」

「気持ちは分かるがよ。迂闊うかつなオーブリーが悪い」

「オーブリーは、悪くありません。悪いのは、仕掛けた方です!」

「はは! そうだな、その通りだ」


 にや、とホルガーは笑う。


「黒魔女なら、どうする」

「魔法陣の構成が分かっているなら、変性させます」

「そりゃあ残念だが無理だ。だいぶ複雑で言語も違う。俺様でも解読しきらん」

「なら、ダミーはどうですか?」

「ダミー?」


 アリサはその場に、自分とほぼ同じ大きさの人影を闇魔法で生み出した。ゆらゆら揺れるそれは、意志を持ったように手を振ったり頷いたりしている。


「追跡してくれるなら、犯人が分かって逆にありがたいですね」

「おいおい。こりゃ恐ろしい!」


 言葉と裏腹に、声音は楽しそうだった。


「今すぐは無理だ。準備させろ」

「なら、今夜。店から出るように仕掛けておきます。ダミーは、一日以上持ちません」

「くく。きも座ってんな。気に入った! 俺の弟子になれ。な?」


 アリサはいきなりのスカウトに、思わず笑った。

 

「考えておきます……この姿の時はどうぞアルとお呼びください」

「アル。んじゃこれは俺からの贈り物だ」


 ローブから出た指が、ブーツの足先を指す。それから小さく呟かれた。


「……タイタンのしもべよ、力強くあれ……うし、これでいい」


 宰相補佐官執務室で、バルナバスに「ほんとに男か?」と言われたのを思い出す。

 

「ありがとうございます!!」

「おう」

 

 アリサは、ダミーをふよふよと動かすと、店の中へ入れた。


「五の鐘の後、動き出します。目的地は――」




 ◇



 

 王宮内、宰相補佐官執務室。

 男装姿のアリサは、ロイクの執務机の前で深く頭を下げていた。

 

「おい、アル。今なんと?」

「宰相執務室への出向について、即時ご許可をいただきたいと申し上げました」

「いきなりだな。出世を狙っていたのか」

「ええ。そのために、稟議書改正案を出したんです」

「ちっ」


 時系列の伝達工程そのものに欠陥がある、と先日指摘したアリサは、事務補佐としての技量が噂に上っていた。

 宰相から補佐へ寄越せと言われるだろうことは、計算づくである。

 

「真面目に働いてくれていると思っていたがな」

「腹黒くてすみません」


 背後には、アリサを迎えに来た宰相室付き事務官と近衛騎士が控えている。ふたりのこの会話は、彼らに見せ付けるための、いわばだ。

 

「……わかった」

「は。お世話になりました」


 もう一度アリサは深い礼をしてから、ロイクに背を向けた。

 

「アル様……」


 部屋の入り口で不安げな顔をするポーラに「ロイク様を、よろしく」とささやいてから、部屋を出た。

 

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