15話 放たれた矢


 ラブレー王国宰相であるハルトムート・グライスナー侯爵は、執務机から入室したアリサ(男装姿)を一瞥いちべつするや、事務官――細身で眼鏡をかけた中年男性――へ「御前ごぜん会議に備えよ」と一言告げた。


 整えられたこげ茶の頭髪や髭に、神経質そうな表情が、いかにも宰相という印象。さらには、激務のためか充血の酷い眼球に顔色も悪く、骨ばった肩のラインは不健康に見えた。


「畏まりましてございます」

「この書付かきつけは、指示後処分しろ」

「は」

 

 言い捨てると、ハルトムートは椅子から立ち上がり、不機嫌な顔のまま退室していった。部屋にいる侍従やメイドたちはそれを深々と礼をして見送ってから、後を追いかけるように部屋から出ていく。

 扉がパタンと閉められたところでアリサが顔を上げると、室内には事務官だけが残っていた。

 

「……いいか、よく聞け。十日後に、御前会議が執り行われることが決定した。議題はセルジュ殿下の婚約者選定、並びに隣国クアドラドからの要求事項について。これは、機密中の機密扱いだ。この部屋で見聞きしたことを外で発言することは、一切禁じる。一言でも漏れたことが発覚した場合は、即時極刑となる。良いな」


(即時極刑……!)


 つまりは、裁きなしに斬首、もしくは絞首刑である。


 事務官はアリサが頷くのを確かめてから、再び口を開いた。


「貴様はロイク様の後ろ盾があるとはいえ、庶民だ。このような重要な案件を頼むのは異例中の異例。わきまえろ」


 わざわざ釘を刺すその徹底っぷりに、苦笑が漏れる前に深々と礼をする。

 

「はっ!」


 アリサの態度に満足し、事務官は机上にあった書類を二枚持ち上げ、それを眺めながらさらに具体的な指示を飛ばし始めた。

 

「では、通達する。殿下の婚約者候補は、現時点で三名に絞られている。聖女であるエリーヌ嬢、侯爵令嬢であるアリサ嬢、そして伯爵令嬢であるコラリー嬢だ。殿下のご意向はエリーヌ嬢であるが、陛下のご意向はコラリー嬢である。これは、クアドラドとの交渉事に起因している。太陽神教会の最高司祭も、御前会議へ出席予定だ。聖女の今後の処遇について、合意文書の作成が必要になる」


 アリサは、眼鏡の奥で瞠目どうもくした。配属早々眼前に並べられた、核心に迫る情報の数々に、身が震える思いだ。即時極刑も頷ける。

 

「アル、と言ったか」

「は」

「先日の稟議書改正案を、閣下はいたくお気に召したご様子。今回の合意文書について、貴様に下書きを作成しろとのご命令だ。期限は今日中」

「かしこまりました」


 事務官は、もう片方の手で机上の書類の束を持ち上げ、ばさりとアリサへ手渡す。


「出来上がるまで、部屋から出ることは許さん」

「は」

「ジョクス伯爵家への通達文、並びに婚約届の作成は他の者が行う。各大臣との事前会議の議事録は、後ほど持って来させよう」

「あっ、あの!」


 アリサが手を上げると、事務官は言葉を止め鬱陶うっとうしそうに顔を向けてきた。

 

「なんだ」

「トリベール侯爵家への通知は、されないので……?」

「ああ……断るだけだし、宰相補佐官へ依頼する」

「! では、宰相閣下の委任状をご用意しなければ」

「それもそうだな。なら、任せる」


 重責じゅうせきの数々に、アリサは腹の底が冷えるような感覚を味わっている。ロイクが命懸けと言ったその意味が、よく分かったからだ。


(庶民のアルなんて、事が済んだら適当なことを言って極刑にすればいい。むしろそのために呼ばれたわね……ロイクの言う通りだわ)


 アリサは眼鏡のブリッジを人差し指で持ち上げ、びしりと背筋を伸ばした後で深々と礼をし、あてがわれた机の椅子に向かった。

 手の中に在る、欲しかった機密情報の数々。それらを全て頭に叩き込み、なるべく早く秘密裏にロイクへ伝える。そのために、委任状作成も請け負ったのだ――

 


(十日もない! なんとかしなくちゃ……)


 


 ◇



 

 それから数日後の深夜。


 騎士に付き添われたアリサは、青白い顔で真っ暗な廊下を歩いていた。

 庶民のくせに宰相執務室付きになった、と噂の事務補佐は、機密情報漏洩の疑いで収監されるのである。


「部屋から一歩も出ず、不眠不休のお仕事がやっと終わったと思ったら、牢屋入りですかぁ」


 大きな独り言を、放つ。


「ねえ騎士様たち。いったいわたしは、どんな情報を漏らしたんですかねぇ」

「っ、黙れ」

「どうせ死ぬんだし? 教えてくれたって」

「黙れ!」

 

 揺らめくロウソクの炎の中で、騎士は帯剣に手を伸ばす。


「なら、取引しませんか?」

「……」

「無実の王国民を斬首なんて、本当はしたくないでしょ」


 縄で縛られた手の中にはいつの間にか、金貨が数枚ある。

 

「逃げようとしたから、斬り捨てたということで。いかがですか」

「っ」

 

 廊下の突き当り、地下牢の入り口には真っ黒なローブ姿の男たちが待っていた。

 そのうちのひとりが、呆れたような声を発する。


「おいおい、賄賂わいろは良くねぇなあ」

 

 それを見とめた騎士ふたりは、沈痛な面持ちで身柄を引き渡そうとする。

 

「……あきらめろ」

「……ちゃんと、するんだぞ」


 アリサはそれを拒否するように暴れ出し――

 

「っ離せ! 離せよ! 離せって!」

「こら!」

「大人しくしろ!」

「いやだあああ! ちくしょう! やってやる!」

 

 騎士の静止を振り切ってローブの男に襲い掛かり――

 

「!」

「まてっ!」

「ちっ、しゃあねえ! 燃やせファイア


 ぼん! と音が鳴り大きな炎が上がったかと思うと――アリサの姿は一瞬でかき消えてしまった。


「な!」

「消えた……?」


 呆然とする騎士ふたりを尻目に、ローブをまとったもう一人が、おおげさにパチパチと拍手を鳴らす。

 

「うわ~さすがですね! ホルガー様!」

「うるせえオーブリー。おいお前ら。囚人が暴れたから魔導士団が排除した。そう報告上げとけ。わしもそうする」

「は!」

「はっ」


 ふたりの王宮魔導士は、恐ろしさに膝を震わせる騎士を背に、その場をのしのし去っていった。

 心なしか、オーブリーのローブが一回り大きくなった気がするが――




 ◇




「あ~あ。アルって身分、気に入ってたんですけど」

「なあに、ほとぼりが冷めたらまた出てくりゃいいさ。どうせ奴ら、覚えちゃいねえ」

「それもそうです」


 アリサは、王宮魔導士団筆頭魔導士の研究室にかくまわれた。


「しっかし……えげつねえな」


 飄々ひょうひょうとしたホルガーですら、ぎりりと奥歯を噛んでいる。

 

 実験や講義をするための大テーブルの上には、様々なガラスフラスコやシャーレ、本が雑多に置かれている。その中央、ジャム瓶のようなガラスの密閉容器に入れられてあるのは、『バニラ』だ。それを半眼で見つめるオーブリーが、静かに言う。

 

「はい。スコーピオ類の毒で幻覚と麻痺を。サボテンの毒で依存性を。バニラの香りで誘惑を。使用すれば、方位占いの魔法陣が展開される仕組みでした」


 それから散乱していた書類をかき集め、持ち上げ、指で文字を辿る。分析結果の書かれた資料を、確かめている。


「これだけあからさまな『クアドラド』の介入を認める薬物を蔓延まんえんさせるだなんて。強気だよね」

「それもこれも、トリベールがジョクスに堕ちたからよ。さすがのフォクト辺境伯も、挟撃は想定外のはずだわ」

 

 アリサの苦悶の声が、静かな研究室の床を這っていく。


「なにもかも、我が侯爵家のせい……」

「それは違うぞ、お嬢ちゃん」

「そうだよ。ジョクスが悪い。それにね」


 オーブリーが、意味深に口角を上げる。


「我が王国の頭脳ロイク・ヴァランが、このまま黙っていると思う?」

「!」

「あの、すぐキレる爆発小僧だ。なにかやらかすだろうよ」


 アリサはきょとんとした後で、爆笑してしまった。


「爆発小僧って! あはははは!」

「あはは~。ロイクってさ、魔力が分かった時に散々ホルガー様のお世話になったからね。文字通り色々焼いちゃって」

「そうだったの!?」

「おう。やんちゃで手が焼けたなぁ。騎士になりたかったのに、魔力はあるわ賢いわで、結局宰相かよってグレてなぁ」

「ええっ」


 あの冷たい風貌のロイクが、と信じられない思いだ。


「だから安心しろ。ああ見えて胸の奥は熱いやつだ。今ごろ、ものすごい破壊力の矢を放ってるだろうよ」

 

 

 ――寝られるうちに寝とけ、とホルガーの仮眠室を借りたアリサは、ようやく眠ることができた。

 

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