13話 これもまた、戦争


 翌日。

 男装姿のアリサが王宮内を歩きロイクの執務室へ向かっていると、女性の言い争う声が聞こえてきた。


「わたくしを、誰だと!?」

「エリーヌ・アゼマ男爵令嬢。あなたこそ、わたくしを誰だと?」

「っ」


 ピンクブロンドの聖女は、唇を噛みしめうつむいてしまう。

 相手は金髪縦ロールのいかにもな貴族令嬢で、アリサはその顔に見覚えがあった。

 

(コラリー・ジョクス……!)


 サロンで大暴れしたダミアンの妹にして、第一王子セルジュの婚約者候補のひとりに間違いない。


「聖女だかなんだか知りませんけど。王宮内では爵位の方が優先されましてよ」


 それは正論だ。だがアリサはロイクの執務室で接しているうちに、エリーヌが非常に純粋な性格で、教会での修行も毎日がんばっていることを知ってしまった。我侭わがままで無知になってしまったのは、周囲の大人たちの責任でもあると気づいたからには――トリベール侯爵家を下に見た発言も、王子の婚約者候補を蹴落とすための、教会の入れ知恵だった――かばいたいと思うのは自然だろう。

 

 キャットファイトをどうすべきか逡巡している、周囲の近衛騎士たちにぺこぺこと頭を下げつつ、アリサはふたりに近づいていく。


「エリーヌ様、こちらにいらっしゃいましたか」

「アル?」

「ちょっと何よあなた。無礼にも程があるわね」

「あ! これは大変失礼をいたしました。わたくし、宰相補佐官執務室付き事務補佐でございます。エリーヌ様へセルジュ殿下より、先日のお茶会の件でお言付ことづけをたまわっておりまして。王宮において王族に関する連絡事項は、何よりも優先されるものですから。はい」

「うぐ」


 おぉ、と近衛騎士からは感嘆の息が漏れる。なるほどその手があったか、である。

 

「大変申し訳ございませんが、エリーヌ様へはご足労をいただきたく。さ、こちらへどうぞ」

「ええ!」

 

 エリーヌは、アリサの導きですぐにコラリーへ背を向けて歩き出した。

『ごきげんよう』をすっぽかしているが、それはそれでいっか、とアリサはエリーヌの背後で屈辱に震えるコラリーへ、内心ぺろりと舌を出す。


 

「ふう。さて、一体どうされたのです?」


 だいぶ離れられたところで、歩きながら聞いてみる。


「えっとね、わたくし、殿下のお顔を見たくって。廊下を歩いていたらあの方が通りかかったのだけど……脇に避けて頭を下げろと」

「うえ~」

 

 伯爵令嬢と男爵令嬢の爵位差は大きい。だが、そこまでするのは王族に対してもしくは、家同士の上下関係が明確な場合に限る。

 

「大奥じゃないんだから」

「おおおく?」

「あーいえゴホン。そんなの、しなくていいんですよ」

「ほんとう?」

「ええ。あんなの、ただの嫌がらせです」

「うえ~……あ、うつっちゃった」

「それは、ダメですね」

「うふふふ! あ、おことづけって?」

「あー。嘘です」

「え!」

「殿下に謝っておいてください」

「わかったわ! そうやって助けてくれたの、って言っておくね」

「いやそれはいいです」

「なんでよー」

「恐れ多いですよ」


 エリーヌの言うことであれば「やれやれ、仕方ないね」で済ませてくれる計算であったが――


「ふうん。勝手に名前使われたのかぁ」


 背後からいきなり本人が現れるとは、思わなかった。

 

「あ! セルジュ様!」

「やあ、エリーヌ嬢。彼は……誰かな?」

「えっとね、ロイクのところの人ですわ!」


 アリサはぽかんとした後で、慌てて最大限の礼の姿勢を取った。


「ロイク・ヴァラン様の執務室付き事務補佐にございます」

「名前は?」

「アル、と申します」

「ふうん」

 

 頭上の声が、尖っている。

 普段は王子として、温厚で柔らかい態度を貫いているセルジュが、なぜこのような態度なのだろうか? とアリサは必死に考える。


「エリーヌ嬢と、ずいぶん親しそうだね」


(わかった! これ、ヤキモチだ!)


「親しいなどと。大変恐れ多いことにございます」

「アルは、賢いのですよぉ。色々教えてくれてるのですぅ!」

「へえ。例えばどんな?」

「お手紙の書き方とかぁ」

「手紙? ……私への、もかな?」

 

(ぎえええええ)


「で、殿下。恐れながら」

「なんだ」

「エリーヌ様の、殿下への愛情あふれるお言葉の数々を拝見させていただき、誠に感銘を受けました」

「!」

「事務補佐として、わたくしの知る範囲でご助言を差し上げただけにございます」

「うふふ。あのね、ちゃんとした言葉で書いた方が、たくさん伝わるよって教えてくれたんですぅ。お恥ずかしいですわぁ」


 薔薇色に染めた両頬に手を添えつつ、クネクネするエリーヌを見て、セルジュは満足したようだ。

 

「ごほん。そうだったのか」

「それにね、さっきぃ、コラリー様にいじめられたのを、アルが助けてくれたんですぅ。殿下のお名前でっ!」

「ほう」


 ますますご満悦の表情になったセルジュに、内心ほっと胸を撫でおろす。

 

「はい、あの、勝手ながら……」

「良い。これからも、エリーヌ嬢を支えてやってくれ」

「は」


 セルジュは上機嫌で肘を差し出し、エリーヌもそれに腕を絡ませどこかへ立ち去って行くのを、礼の姿勢のまま見送った。


 

 王宮内も、別の意味で争いが絶えないものだな、とアリサは身の引き締まる思いをした。



 そして、セルジュの態度で確信する。

 コラリー・ジョクスが王子の婚約者になる目は、無いに等しい。

 

 

 そうだとしても、あの自信に満ち溢れた態度は何なのだ、という疑問が残る。

 伯爵家とはいえ、王子本人の意向と『聖女』というこの国唯一無二なブランドをくつがえすのは、容易ではない。


 考え事をしながら執務室で仕事をしていると、自然と溜息が出てしまっていたようだ。ロイクに見とがめられた。


「どうした、アル」

「すみません、ロイク様。たった今このようなことがありまして」

「……それは……嫌な予感がするな」

「同じくです」

 

 あれほど態度がなるには、相応の後ろ盾があるに違いない。

 ロイクもアリサと同じ考えのようだ。ペンを止め眉根を寄せると、低い声を発した。

 

「セルジュ殿下の婚約者決定時期が未だに不明なのは、やはりおかしい。隣国対応も、方向性すら下りてきていない」

「やはり、秘匿ひとくされている何かがあるのでは」

「宰相補佐官の権限に限度はあると言っても、妙だ。とはいえ、あまりバルナバスを使っても、警戒され余計な火種を生むだろう。辺境は王都から遠い分、猜疑さいぎ心を持つ者もいる」

「ならばロイク様。わたしを宰相執務室へ推薦してくださいませんか。もはや潜り込むしかありません」


 しん、としばらく沈黙が流れる。

 ロイクが机の上に両肘を突き、手を組み苦悩する。

 

「……アル、それは命懸けになるぞ。俺の権限では、何か起きても……貴様の命を救えないかもしれん」

「承知の上です」

「中の情報だけでも足りない。貴様が言った通り、外でダミアン・ジョクスが暗躍しているというなら」


 隣室から資料を持ってきたニコが、どさりとそれを執務机に置いてから肩をすくめた。


「てことは、そっちは俺の出番ですねえ」

「ニコ!?」

「……危険すぎるぞ」

「正攻法じゃ無理なとこまで来てますって、ロイク様。路地裏から探るので、軍資金ください」


 にこにこ笑顔でしれっと差し出すニコの手のひらへ、ロイクが懐から小さな巾着を出して乗せた。ちゃりん、と軽くない音がする。


「五日戻らなかったら、警備隊を介入させるからな」

「情報持ち逃げなんて、しませんて」

「どうだか」

「ニコッ!」


 止めようとしたアリサへ、ニコは笑顔を向ける。

 

「アル様。俺の夢はね……どこでもいいから、商会の三人で平和に暮らすことなんですよ。アル様も絶対無理しないでください。では、いってきます」

 

 不安に震えるアリサの耳に、ディリティリオが『心配だから、オイラの一部、くっつけといたヨ~』と囁いてくれ――ようやく安心した。

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