4話 戸惑い、戸惑う
「あーあ。余計なことしちゃったかな……」
学院寮の自室へ帰って来たアリサは、ベッドへ身を投げ出すようにボフンとうつ伏せで寝転がった。
図書室では、キャピキャピとセルジュに話しかけるエリーヌの態度にどうしても気が散ってしまい、なるべく早く帰ろうとしたのだが――中庭を臨む喫食スペースへ招かれ、お茶を振る舞われてしまえば逃げようがなかった。
諦めて大人しくテーブルに着くアリサの向かいに、セルジュが座る。バルナバスとオーブリーは護衛として王子の背後に並んで立つ一方、エリーヌは当然のようにセルジュの左隣に腰掛け、アリサをじろりと
十四歳で入学した貴族学院で、十八歳になる今までひたすら身を潜めて過ごしてきたアリサにとって、キラキラ輝くロイヤルのオーラは目の毒でしかない。
お茶を飲みながら、セルジュが生活に支障はないのかやら、手紙を送るならオーブリーに頼めばよいやら、
挙句の果てにバルナバスには「
「ご存じの通り、わたくしは闇魔法ができますのよ。いざとなれば視界を
苦し紛れではあるものの、自分は闇魔法の使い手だから近づくなと忠告したつもりが、オーブリーは目を輝かせ身を乗り出すようにして問う。
「それは、どういった魔法でしょうか。僕に教えてください」
「ダークシャドウと言って、黒い霧を発生させるのです」
「黒い霧!」
持っていた魔法書の水魔法のページを開いて見せ、これは水だが黒い霧を散布するのだと解説すると、オーブリーは懐から杖を出して「フォグ」と唱えた。みるみる発生する白い霧に、セルジュもバルナバスも肩をすくめる。
「なるほど! 白い霧でも視界は防げるし、何かあったら使えそうですね!」
「おいおい。すごいのは分かったが、このままでは何も見えないぞ。そろそろひっこめろ」
「あ! えっとえっと」
バルナバスの言葉で焦るオーブリーの横で、聖女がおほんと立ち上がった気配がしたかと思うと、いきなり声高に叫んだ。
「光よ! 霧を晴らせ」
「まっ!」
「スパークルッ!」
咄嗟にアリサが止めようとしたが、一歩遅かった。
ピカッと閃光が走ったと同時に、セルジュが「いっ!」と声を上げる。距離が近かったせいか、目を傷めたようだ。
「殿下! うぐ」
「あわわ、僕も目が」
「えっ、えっ、どうしましょう!?」
油断していたせいか、三人とも光をまともに見てしまったようだ。
アリサは大きな溜息をつくと、聞こえるか聞こえないかの声で魔法を唱える。
「アブ・ソーバー」
闇の吸収魔法によって光も霧も両方吸い込んだのは、アリサの髪に潜むディリティリオだ。『ごちそうさまァ』とささやき声が聞こえてきた。
周囲の光も霧もなくなったのを肌で感じた全員が安堵の息を漏らす。が、やはり
「エリーヌ様。念のため皆様の目元に治癒魔法をお願いできますでしょうか」
「っ……わかったわ!」
エリーヌが慈悲深い祈りと共に、全員の瞼に向けてそっと魔法を唱えると、それぞれ目をぱちぱちさせて視界を確かめ始めた。様子を窺う限り、問題なく治ったようだ。こればかりは、さすが聖女だとアリサは密かに息を吐く。
「ごめんなさい……」
「うん。悪気がないのは分かっているから、いい」
優しいセルジュと裏腹に、バルナバスの表情は硬い。
「光の魔法攻撃、という手もあるのか」
「うん、バル。わかってくれた?」
「ああ、オーブリー」
アリサには、バルナバスとオーブリーの会話の意図が掴めなかった。
疑問に思いつつ顔を動かすとセルジュの視線にぶつかり、背筋にひゅっと冷たいものが走った。
今まで、にこにこと常に柔らかい態度の、典型的な王子様だと思っていた。
(物陰で獲物を見定める、狩人みたい。)
「あの……わたくし、所用がございますの。殿下には申し訳ございませんが、こちらにて失礼をさせていただきますわ。ごきげんよう」
「ああ、ごきげんよう」
無礼は承知の上で、そそくさと図書室を出て部屋に戻ったアリサは、念のため商会に行くのをやめたのである。
「ディリティリオ。王子様のこと、どう思った?」
『ロイクの次にこわい』
「げえ。やっぱりかぁ……でも明日こそは外出しないと。ドレスの調整の時、男性と思わせる魔法、できる?」
『イイヨ。さっきので、栄養たっぷり!』
「あは。なら良かった」
ぎゅいん、と体を伸ばしたディリティリオが、ベッドの上でうつぶせになったままのアリサの、頬の横あたりで止まる。横目で見ると、心配そうな顔をして覗きこんでいた。
『ともだちには、ならないの?』
「……なれないよ」
目的の分からない王子のセルジュと、恐らくセルジュの婚約者の地位を狙っている聖女はおいておくにしろ、バルナバスとオーブリーはアリサに好意的だった。独りで生きてきたアリサに黒蛇が言いたいことは、分かっている。ただでさえ、魔力を持つ人間は少ない。つまり、魔法を使うということそれ自体、理解を得られることはあまりないのだ。
――が。
ヨロズ商会を成功させ、トリベール侯爵家を復興させる。
それまで、アリサは脇目も振らず走る。そう、心に決めていた。
◇
「つーかれーたー」
アリサは、いつものようにオフィスの一番奥にある自席の天板に突っ伏した。
「アル様、お茶どうぞ」
「ありがとー、ポーラ」
ロイクの指定したドレスメーカーで、女装のためのドレスの最終調整(一から作ったら間に合わないので、既製品をお直し)をし、ヨロズ商会へ出勤したアリサ。
ついにロイク様がドレスをオーダーしたと気合を入れたのに、任務のためでしかも男性! と悲鳴を上げるマダムの愚痴を、延々聞かされてきた。ヴァラン公爵家には普段からお世話になっている、ロイク様の婚約者のドレスを作るのが楽しみで仕方がないのに、などなど、止まらなかった。
「ドレス作るのって、そんな疲れるものなんです?」
またしても、パーテーションの上からニコがにやにや見下ろしてくる。
「ニコも一回やってみたらいいよ」
「やですよ」
「女装なら、ニコでも良かったじゃん!」
「むりむり」
と、カラロン、とドアベルが鳴った。
「はー……いっ!? あああの? 今日お約束ございましたかっ!?」
振り返ったニコが、慌てている。手のひらをパタパタと振って、なにかの合図をしている。なんだろう? とのほほんとアリサがそれを眺めていると――
「いや。近くまで来たついでだ」
低く耳心地の良いバリトンボイスがした。
アリサは、だらりとしていた上体をがばりと起こす。頭と眼鏡を手で確認し、胴体を目で確認する。幸い、ドレスのサイズ調整のため男装姿のままだった。
ニコが時間稼ぎのためか、会話を続けてくれている。
「急に来られると、びっくりします!」
「迷惑だったか?」
「とんでもない!」
息を整え終えたアリサは、そろりとパーテーションの横から顔を出す。
「驚いただけですよ、ロイク様」
目が合うなり、冷たいアクアマリン色の瞳がきらりと光った。手には何かの紙袋を持っている。
「アル! 差し入れだ」
「ありがとうございます。お茶淹れましょう。それとも、ホットミルクに蜂蜜入れます?」
「! それにしてくれ」
ロイクは、まるで自分の店であるかのように遠慮なく応接スペースまでやってくると、ソファにどかりと腰を下ろす。
ニコが念のためとパーテーションを動かして、入り口から見えないようにした。ポーラはポーラで、平皿をローテーブルに並べる。
「ふたりとも、気が利く」
気を良くしたロイクは、がさごそと紙袋に手を突っ込んで、皿の上に焼き菓子を並べ始めた。意外にも、シロップ漬けやジャムを挟んだ、特に甘いものばかりだ。
アリサは、カップに注いだミルクと、蜂蜜の入った小瓶を置いて向かいに腰かける。そのカップを、ロイクは魔法で温めた。宰相補佐官が火魔法の使い手なのもまた、有名な話である。
「ふー。ロイク様って、意外と甘い物お好きですよね」
「頭を使うと、甘い物食べたくならないか」
「なりますね」
「だろう。……どうだった」
「え?」
「ドレス。気に入ったか?」
アリサは一瞬、言葉に詰まった。
「もしかして、わざわざそれを聞きに?」
「悪いか」
ほんのり頬を染めるロイクは、珍しい。
「素敵なお品物でした。平民で男のわたしには、もったいないですね」
「そうか」
「肩のラインや喉仏を隠しつつ、女性らしさを際立たせるようなデザインで」
「眼鏡で瞳の色が分からないのが、残念だ」
「え」
「普通は髪や瞳に合わせた色を選ぶ」
「そうでしょうけど。たった一晩、しかもわたしのためにそこまでしなくても。仮面着けますし」
「……そう、だな」
先ほどまで上機嫌だったものが、どんどん悪くなってきたので、アリサは居心地が悪くなってきた。よし話題を変えよう、そうするしかない、と考え――
「それよりですね。わたし、当たり前ですがダンスとかできませんけど。大丈夫でしょうか」
と言ってみると、またしてもきらりん、と瞳が光った。
「そうだな! 食べ終わったら、練習しよう」
「は?」
ポーラはにこにこしているし、ニコは口を真一文字にして肩を震わせている。
「練習しながら、打合せするぞ」
「はあ」
ご機嫌が直ったのは良いが、急にやる気を出されて、アリサは戸惑うしかない。
おやつを食べ終わるや早々に、奥の応接室でダンス教室が始まった。
「基本のステップだけ覚えればいい」
「はあ」
「俺がここに力を入れたら、ターンだ」
「はあ」
「……なかなか、筋が良い」
中身は侯爵令嬢なので、という言葉はごくりと呑み込んだ。幼いころ、基礎を学んではいたのが役に立って良かったのか、複雑な気持ちだ。
「潜入調査といっても、くれぐれも無理をするな。深追いするなよ」
「わかっています」
いつもキリリとしているロイクが眉尻を下げると、優しい顔になることを発見した。
――冷たい宰相補佐官は、本当は優しい人なのかもしれない。
腰に添えられている手の熱い体温を感じながら、アリサはそう思った。
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