第2話

 男が自らをコルスと名乗ったのは、初めての状況報告をしに、取り決めた場所で会った時だった。人通りの少ない、ちょうどレンを襲った人攫いが走り抜けていたような暗い路地の一角を、レンは落ち合う場所として提案していた。彼が特に避けていた地域のひとつでもあった。


 そう簡単に有力な話が得られるはずもなく、この時は当然、レンはなんの情報も持っていなかったが、コルスは咎めるような真似はしなかった。


 村近くの森から切り出す木材で作った、家具や調度品を売りに来るのも、レンはすっかり慣れていた。当然、通っているこの町にも明るくなる。そんなレンでも、ほんの少し気を抜いたら、昨日のような目にあうのだ。


 だから正直なところレンは、村のみんながいる売り場を離れるのが怖くなっていた。一晩明けて会ったコルスは、そんなレンの恐怖を吹き飛ばしてくれることを言ってくれた。


「君がこの町にいる時は、必ずぼくが見ているよ。もう危ないことはないから、安心して歩くといい」


 常人であったなら、何を馬鹿なことをと失笑を買っただろうが、コルスは常人ではない。一瞬で離れた場所へと移動できる、異能の持ち主なのだ。そんな男が、一介の村人である自分の味方になってくれている。その事実を思うたび、レンは村や、この町で知り合った人達に早くひけらかしたいと、はやる気持ちを抑えるのでいっぱいになった。


 コルスとは、日に二度会う約束をしていた。相も変わらずな実のない四回目の会合を終え、荷車を引き帰る大人達についていきながら、レンはふと、コルスがここまでしてくれる理由はなんだろう、と考えた。


 それらしい怪しげな人物を見たとか、挙動不審な人とすれ違ったとか、そんな話を一度くらいは聞くと踏んでいたレンは、やはりまだ子供であった。そう簡単なことであるはずがない。レンはそのことに、この時ようやく気づいたのだ。


 となると、自分よりずっと年長の、両親よりも年上かもしれないあの男が、町に通うだけの子供が役に立つ話を持ってこれるなどと、期待するだろうか? という疑問が浮かんだ。自分の言い出したことを無駄だ、と切り捨てず、付き合ってくれているだけではないか。でもなぜ? こちらはむしろ、命を救われた側なのに。


 夜が明け、町について数時間後には、レンは五回目の会合に向かっていた。コルスはいつも優しく接してくれていたので、何が何でも理由を聞き出そうという気はなかった。だが会合場所に着いたレンは、別のことへの理由を問わずにはいられなくなってしまった。


 コルスの様子が変わっていたからだ。これまでは立って迎えてくれた彼が、崩れた壁の欠片に腰を下ろし、うつむいている。疲れて眠っているのだろうか、とおそるおそる近づきながら、名前を呼ぶ。こちらの足が止まってしまうほどの勢いで上がった顔の目元には仮面が、口元には布がかかっていたが、その一瞬、彼の目がおびえているようにレンには見えた。


「どこか悪いんですか? 今日は休まれたほうが」


 彼の具合を、その目だけで判別できるはずもない。自分に付き合ってくれているのならなおさら、彼を振り回すようなことはレンも避けたかった。


「いいや、大丈夫だよ。君のほうは、何か手がかりになりそうなものは……なかったみたいだね」


 首を横に振るレンを見て、コルスは目を細めた。ため息の一つでもついたのだろう。


 逆に警戒して逃げてしまったかな、と伸びをするコルスは、すっかりいつも通りに見えた。だが、それが演技だったことを、レンは六回目の会合で確信した。この時のコルスは、隠し通せないほど背を丸め、苦しげに息をついていたからだ。レンはコルスの身を案じたが、彼はやはり大丈夫だ、と返すだけだった。


「本当に、無理をしないでください。ぼくも、ここに来るのは今日で終わりになったんです」

「ああ、三日経ったんだね。尻尾もつかめなかったか、当てが外れて残念だ」


 もしかしたらもう一日、と思っていたが、売り場に戻ったレンに、村人達が今日で切り上げることを伝えていたのだ。次に町に来るのは、ひと月は後になるだろう。


「君がみんなに、自慢話ができなくなるのはつまらないだろうから、ぼくも明日には発つことにするよ。君の聞いてきた話から、ぼくが人攫いをふんじばることができた、と盛って話しても構わないからね」


 大きな手で肩を叩いてきたこの人は、どうしてこんなに自分を気にかけてくれるんだろう。一段と強まったその気持ちに突かれるように、レンはコルスに問いかけていた。


「ぼくが、あなたのためになる話を持ってこれるわけないって、あなたならわかってたはずです。なぜ、ぼくのわがままに付き合ってくれたんですか?」

「聡い子だね。ぼくは、訪れた場所で最初に会った人に、特に親切にするようにしているんだ。それだけだよ」


 流れるようにそう答えられては、レンもそれ以上言う気にはなれなかった。


 日も傾き始めた頃、レン達は町を後にした。街道から細道に入り、村に続く林を抜けていくあいだもずっと、レンはコルスの異変を気にしていた。

 医者を呼んだほうがよかったのではないか。でも、町の誰かに助けを求めるのはつまり、彼との約束を破ることになる。


 いや、ぼくが本当に心配しているのはなんだ? 約束と彼の身体と、どちらが大事だと思ってるんだ? 自身に問うた言葉は、レンの歩みを止めた。何か理由をつけて、町に戻れないか。それが無理なら、夜に村を出て――


 そんなレンの、とても現実的とは言えない夢想は、村人達の叫び声に遮られた。見れば、林のあちらこちらから、人影が飛び出してきている。賊の襲撃だ、と思った時には、レンはその背後に現れていた男に縄をかけられていた。


「餌はいただいた、ずらかるぞ!」


 腕ごと身体を縛られたところにすかさず、細く締めた布を噛まされた。そうして、まるで荷物のように手荒に抱えられたせいで、頭が振られ視界が歪む。吐きそうになったレンはぎゅっと目を閉じ、嫌でも入ってくる賊の駆け足の音や、だみ声だけを聞いた。


 彼らの根城に着くまで、こうされるのだろうか。あまりに長く続くようなら、本当に吐くかもしれない。前兆としてやってくる冷や汗におののいていたレンだったが、意外にも賊の歩みはすぐに止まった。


 とはいえ、襲撃地点から遠く離れたことはわかる。林は深く、もはや森に近づいていることは、逆さになり、安定しない視界からでも判断できた。


「もう来たか。早いな」


 近くにいた賊の誰かが言った。根城に着いたわけではないようだ。見える限りでは、彼らはある一点に注目している。誰かが、そこにいる。


「目当てはこいつだろ? 旅人さんよ」


 さっきの男がそう続ければ、レンは手荒く地面に立たされた。くらくらする目に映ったのは、まばらに散った賊に囲まれた、一人の男。フードを目深に被った顔は、陰り始めている赤い日の光では見ることも叶わない。


 それでも、それがコルスであることは、レンにはすぐにわかった。

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